2-4

夏休みが終わっても、夏の気配は増すばかりだ。

それでも、屋上で過ごす日課に変わりはない。給水塔の日陰にいれば気温ほどの暑さを感じなくて済むというのもある。


とはいえ、今日は読書って気分じゃなかったので、給水塔の近くではなく、屋上の扉近く、縁の陰になっている部分に寄りかかって音楽を聴いていた。

夏の日差しは眩しいけれど、風が程良い強さで吹いているので、トータルでは心地良いと言っていい。

ぼんやりと建物の群れを眺めていると、背後からガチャガチャとドアノブを回す音がした。

多分、佐倉だろう。


右耳のイヤホンを外す。

壁から少し離れて振り向くと、ちょうど扉が開くところだった。

その先には予想通り佐倉がいて、こっちに気付く。


「今日は上じゃないんだね」

「まぁね、気分」

佐倉の問い掛けに適当に答える。いつも通りのやりとりだった。


ここまでは。


屋上に入ってきた佐倉が扉を締めようと背を向けた時、彼の動きが止まった。

「あ」

佐倉が呟く。

「何?」

「いやぁ……」

戸惑ったような声を出す佐倉は、扉の奥を見つめている。

佐倉と私の距離は少し離れているので、扉の奥、彼が見ているであろう階段の下の方は、私には見えない。


だから、タイムラグがあった。


佐倉の視線の先へ目をやっていると、遅れて数秒後、私の視界にも戸惑いの原因が現われた。

なるほど。そりゃ戸惑う。

階段を人が上がってきたのだ。


しかも、それは生徒会長、鈴井流花。その人であった。



「え、嘘、もしかして逢引?」

生徒会長の開口一番の台詞はこれだった。


「違います」

まさか、といった表情を浮かべる鈴井先輩に対し、私は即座に否定を突っ込んだ。


「どうしたんですか、いったい。なんでこんなところに」

私は思わず尋ねるが、鈴井先輩の目は佐倉の方に向けられている。

「逢引じゃないなら何してるの」

彼女の問いは佐倉に向けたものだ。口にする鈴井先輩の表情が、なんだか怖い。

「えぇと、暇潰し?」

「わざわざ二人で?」

鈴井先輩の突っ込みは続く。


「たまたま二人いるだけで、一緒に何かしてるとかではないです」

今度は私がきっぱりと答える。

「怪しい」

「怪しまれても困りますよ」

「ふぅん……暇潰しって、何してるの?」

これは、私に向けられている。

「読書です」

「日光の下だと眩しくない?」

「あそこの給水塔の近くだと、陰になっててちょうどいいんです」

そう言って私はいつもの場所を指差す。

「普段はあそこに上がってます」

「ほう……。で、佐倉くんは?」

「僕も読書だったり、あとはたまに絵を描いたり……」

正直な答えだ。まぁ、やましいことはこれっぽっちもないので、正直で全然構わないのだが。


対する鈴井先輩は、その答えを聞いてなにやら神妙な表情になっていた。

「そう……。なら、いいんだけど」

何かを納得したようだ。自分で言うのもどうかと思うが、このやりとりに納得できるほどの要素があっただろうか。


それからしばらく、三人とも無言のままの時間が続いた。

なんだか気まずくなってきたので、私は疑問に思ったことを聞いてみることにした。

「あの、どうして生徒会長がここに?」

「え?」

考え事でもしていたのか、鈴井先輩は虚を突かれたような反応をする。

「ここのこと、知ってたんですか?」

「いや、さっきまで知らなかったよ」

「それじゃぁなんで今日はここに?」

「うーん……なんと言いますか」

私の質問を受けて、鈴井先輩は考え込むような仕草を取る。

何か言い淀むような理由でもあるのだろうか。


そう思っていたら彼女は口を開いた。

「実は、彼を尾けてきました」

鈴井先輩はそう言って佐倉を指差す。

「僕を?」

「佐倉を?」

私も、鈴井先輩を見ながら佐倉を指差す。

こいつを尾行って、どういうことだ?


「あんた、何やらかしたわけ?生徒会長に尾行されるってどういうことよ」

「いや、思い当たる節が無いんだけど……」

佐倉は本気でそう思っているらしい。

ということであれば、尾行していた本人に理由を聞くのが手っ取り早い。

「鈴井先輩、どうして尾行を?」

「実は最近、佐倉くんが昼休みや放課後になると姿を消すことが多くなったという話を聞きつけまして」

「そんな話、誰から?」

佐倉が尋ねる。

「ん?田島君」

「あいつ……」

「それで、もしやどこかでよからぬことをしているのではないかと思い、放課後になったらそそくさとどこかへ向かおうとする君を尾けてみた、というわけです」


なるほど。

ただ、経緯自体は納得がいったのだが、妙に腑に落ちない部分もある。なんだろう。

そんなことを考えていたら、鈴井先輩が言葉を続けた。

「実際のところは単なる暇潰しみたいだし、何事もなくてよかった、ってところだけど」

どうやら鈴井先輩の中では決着がついたらしい。

しかし、疑われていた側の言うことではないが、本人達の証言だけで問題無しと判断するのは早計ではなかろうか。


「それでいいんだ……」

佐倉が余計な一言を呟いたが、鈴井先輩はそれについてもただ頷くだけであった。

佐倉がそれほど信用されているということなのだろうか。少なくとも私ではあるまい。鈴井先輩とはほとんど面識無かったし。

「一つ気になるのは、ここの鍵のことなんだけど。どうやって開けたの?鍵を借りれる理由、無いよね?」

鈴井先輩が佐倉に向かって問い掛ける。


普通なら、職員室に行って先生の許可を得なければこういった場所の鍵は手に入らず、侵入は不可能なのである。

「あー、なんかね、上手いことやると鍵無しでも開けられるんだ、そこ」

「上手いこと?」

「口で説明するのは難しいなぁ」

「……ま、別にいいけど」

鍵についての追求は諦めたらしい。

「変なことしてないっていうなら、私から特に言うことはないよ」

そう言って、鈴井先輩は立ち去ろうとする。

「いいんですか?自分で言うのも難ですけど、ここって立ち入り禁止なんじゃ」

私は思わず尋ねてしまった。

「別に、そう書いてあるわけじゃないでしょ。単に、鍵が開かない扉ってだけ。開けられちゃうんじゃ、入れても仕方ないよ」

随分と物分りがいい。何か裏があるのではないかと勘繰ってしまいたくなる。

「こういう場所で静かに時間を過ごしたくなることあるの、わかるからさ」

ふと、鈴井先輩が言葉を漏らした。

「あまり派手なことしなければ、大目に見るよ」

「いいの?」

佐倉が言う。

「うん。変なことしなければね」

鈴井先輩は笑顔でそう答え、扉の向こうへと進む。

彼女の手によって扉が閉められた。

それから、ガチャリと鍵の締まる音がする。

そういえば、勝手に鍵が締まるんだったな、ここ。


そして、一瞬の間。


「え?ちょっと、おっくん!なんで鍵締めたの!やっぱり変なことするつもりなんじゃないでしょうね!」

鈴井先輩がドアノブをガチャガチャと揺らしながら大声を出している。

「変なことってなんだよ流花姉!違うって!勝手に締まるんだよ、ここの鍵!」

それに応ずるのも、これまた大声の佐倉。

内容はさておき、なにか聞いてはいけないものを聞いてしまった気がする。


「……え?そうなの?」

佐倉の返事を受けて、扉の向こうから微かに聞こえる小さな声。

静まりかえる空気。

「……ごめんね、大声出して」

鈴井先輩の呟きだ。

「いや、いいよ、別に……」

そう言いながら佐倉が鍵を開け、再び扉を開け放つ。

「ほら、もともと鍵の調子がおかしいわけだし、勝手に締まっちゃうのも無理はないよね……」

「そ、そうね」

どうにもぎこちないやりとりである。

「じゃ、じゃぁ、私、行くから。二人とも、あまり遅くならないようにね」

鈴井先輩はそう言って、私と佐倉の方を気まずそうな顔で一瞥する。


「あ、そうだ、瀬尾さん」

その一瞥で思い出したかのように、鈴井先輩は言葉を続けた。

「なんですか?」

「生徒会室への呼び出し、たまには来てね?別にお説教するってわけじゃないからさ」

あぁ、そういえば、最近は生徒会室への呼び出しが何度かあったな。

面倒だから、一度も行ったことがなかったけど。


「何の用なんです?」

「うーん、ここじゃちょっと言いづらいかな。そういうのも含めてね、とりあえず明日でいいから、一回来てくれると助かるな」

「……気が向いたら行きます」

「……ありがと。待ってるね」

そして、今度こそ鈴井先輩は扉の向こうへと去っていった。

佐倉の方は、鈴井先輩を見送ったあとに私の方を見て、ははっ、と軽く笑った。乾いてる。


呼び出しのことはまた明日考えることにしよう。

それよりも、さっきの会話で面白いものを聞いてしまった。

無言の間が幾許か流れたあと、私は口にする。

「流花姉、おっくん……」

随分と親しげな呼び方じゃないか。

その呟きを聞き、佐倉は気まずそうに微笑む。

私は思いきって訊いてみることにした。

「二人ってどういう関係なの?」

質問を受けて、佐倉はなんだか諦めたような表情をする。

「……幼馴染」

「へぇ、そうなんだ」

恋人同士かと思った。嘘だけど。


そういえば鈴井先輩に対する佐倉の話し方は、少し砕けたものだった気がする。

「流花ね……鈴井先輩とは、家が隣同士なんだよ」

「わざわざ言い直さなくてもいいのに」

「変に誤解されるから、そう呼ばないようにしてきたんだよ」

焦るとその呼び方が出てきてしまうあたり、どうやら徹底し切れてないようだが。

「でもまさか、生徒会長にこの場所がばれるとは思わなかった。佐倉、あんた本当に何もしてないの?」

尾行って、よくよく考えたら相当に度胸のいる行為だ。

「何って、何をだよ。単にあの人が心配性なだけだよ……。昔からいつもそうなんだ」

「昔から?」

「いや、こっちの話。なんでもないよ」

「ふぅん」

なんとなく問い詰めてみたくなったが、今は我慢しておく。

どうせ、簡単には口を割りそうにないし。

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