第48話 カラスと魔法使いレイヴン

 話が一段落すると、リンドルはようやくいつもの優しい笑みをクロエに向けた。


「いきなり過ぎて驚いたでしょ? 無理もないわ。私だってデイジーからスティレット家のことやルーシーのことを聞かされたときは、すぐには信じられなかったものよ」


 もちろんクロエにしても、これまでの話の内容を全て理解出来ているはずもなく、未だリンドルの言葉が頭の中にぐるぐると渦のように回転していた。

 クロエはそんな頭を抱えたまま、ぼーっと窓の外へと目をやった。

 気付くと太陽はすっかり沈みかけ、空は夕焼けの茜色に染まっている。


 時折リンドルの話を遮るかのように聞こえていたカラスの鳴き声が、さらにその数を増しているように思えた。


「今日は、なんだかカラスが多いですね。まるで世界中のカラスがここに集まっているみたい……」


 クロエはその場の雰囲気を和まそうと少し冗談めかしたように呟いた。


「カラス……確かに今日の多さは異常ね。昨日ここに来たときは、そんなことなかったのに……」


 リンドルは、ふいに何かを考え込むかのように、右手の人差し指を軽く曲げ自分のあごに押し当てた。

 すると次の瞬間、何かを思いついたかのように窓を バンッ! と開けて外を見渡した。

 勢い良く開けた窓の音に驚いたのか、近くの木々に留まっていたカラスたちが西に向かって一斉に飛び立った。

 

―――― バサッ バサッ バサッ バサッ ――――

―――― カァー カァー カァー カァー ――――


 目に見えるだけで数十羽、いやそれ以上か。

 リンドルはカラスが一斉に飛び立つ姿を見ながら「なんだか悪い予感がするわ」と呟いた。


「悪い予感……?」とクロエが聞き返す。


「クロエ、あなた先にルーシーたちを追ってちょうだい」

「え、今からですか!? でも『エルフの里』へ繋がるゲートは壊れてしまいましたし、私の転移魔法じゃせいぜい数百キロ程度、飛んで行こうものらな3日はかかります」


 エルフの里は果てしなく遠いのだ。

 するとリンドルはパチンッ!と指を弾き、目の前に『紋章の書かれた小さな石』を出してクロエに渡した。


「これは『エルフの里』を記憶している『転移の石』よ。これを使えばあっという間に着くわ」

「ベルコ師匠やっぱり『エルフの里』に行ったことがあったのですね」

「ええ。100年以上前だけどね。そこで私はエルフの予言者に会っている。あの時、私が予言通りに行動していれば……」


 リンドルは大きな自責の念を押し殺すように拳を力いっぱい握った。


「待ってください。100年前の予言っていったい……?」

「話は後よ。とにかく今は私の言うことを聞きなさい。クロエは『エルフの里』に行ってルーシーとミレノアールの二人と合流してちょうだい」

「師匠はどうするんですか?」

「私は転移の石はもうないから『エルフの里』には行けないわ。そうね、どこかで落ち合いましょう。あの街がいいわ。そこでルーシーと待ってて」

「スティーレという街ですね? わかりました」

「私はたぶんこの後、魔法協会の本部に寄ってから行くと思うわ。だから少し遅くなるかもしれない。クロエ、ルーシーを頼んだわよ。あなたは自分が思っているよりずっと優秀なんだから、自信を持ちなさい!」


 リンドルはそう言うや否や、ホウキに跨ると開いた窓から飛び立った。


「ベルコ師匠!」


 クロエの声が届くよりも速く、リンドルは周りを囲む木々の間隙を縫うようにして瞬く間にそれらの木よりも高く飛び上がった。

 飛び立つリンドルの背中が見る見るうちに小さくなるのを目で追ってから、クロエは『転移の石』に呪文を唱え高く振りかざした。

 高く飛び上がったリンドルが振り向くと、ずっと後方のさらに下、たった今自分が飛び出してきた小屋から大きな閃光が放たれるのが見えた。そしてクロエの気配がその場から消えたのを確認すると、リンドルは再びカラスを追って速度を上げた。

 遥か向こうの地平線に沈みかけた大きな太陽が、まるで『悪い予感』を象徴しているかのように真っ赤に燃えていた。

 リンドルは余りの眩しさに一瞬目を細めるが、カラスの群れはその夕日に向かって飛んでいる。

 空気抵抗を少しでも減らすため前屈みになってホウキに掴まると、リンドルは猛スピードでカラスのあとを追った。

 だが、カラスの行き先はすぐにわかった。


 リンドルの目線とカラスが飛ぶ先には、周りの木よりも頭一つ二つ抜け出したように高くそびえ立つ一本の杉の木が。そしてその一本の木の頂上に立つが見えていた。

 夕日を背にしているせいで逆光となり顔は見えない。だが、着ているローブからその人物が魔法使い、いてはその胸元に見える紋章から王国直属の魔法騎士団の者であるとわかった。

 そしてその人物の周りには30~40羽ほどのカラスの大群が飛び交っている。


 しかしリンドルがホウキに跨ったままその人物に近づくと、カラスは一斉に散らばって飛び去った。

 カラスが飛び立つ瞬間、その人物が何か言ったようにも聞こえたがカラスの鳴き声と羽音に混ざってリンドルには届かなかった。


「まさかとは思うけど、王国直属の魔法騎士団がカラスを使って盗み聞き?」


 リンドルは、『悪い予感』のそのを口にして尋ねた。


「あははっ。よく気付いたね。さすが魔導士ベルコ・リンドルだ。それにしても面白い話を聞かせてもらったよ」


 男は一本の木の頂上に立ったまま答えた。


 リンドルはその聞き覚えのある声とようやく見えた顔に、その男が誰なのか分かった。

 青みがかった銀髪と中性的な顔立ちは、漆黒のローブがミスマッチに思えるほど幼く見える。一般的に言えば美青年の部類なのだろうが、不気味な笑顔が対峙する者に恐怖を与えていた。


「あなた……確か魔法騎士団副団長のレイヴンと言ったかしら。魔導士の任命式で一度会ったわね」


 カラスを魔法で操り情報収集をしていたこの魔法使いの名はレイヴン。わずか17歳にして魔導士の肩書きを持ち、王国直属の魔法騎士団副団長の男であった。


「ここら一帯に強い結界を張ってたみたいだけど、残念でした。『魔力を持つ血統ウィザーズ・ブラッド』には強力だけどカラスには効かなかったみたいだね。あ、もしかして動物の生態系を壊さないように敢えてそうしたのかな。甘いよ。そういう優しさが取り返しのつかないことに繋がるんだから」


 レイヴンは、人を食ったような笑みを返した。


「それで、その面白い話はいつから聞いてたのかしら?」

「さあねー。でも重要な話は全部聞いてたよー。ヴァルプルギスの夜のこと、スティレット家を魔法協会が匿っていること、そして死んだと聞かされていた『ステューシー・スティレット』が生きているってこと」


 レイヴンはわざとらしく見せるように一本づつ指を立てて数えた。


「どうするつもり? また王国は戦争を始めるわよ。それにルーシーは――――」

「あー待って待って。別に今すぐ報告するなんて言ってないよ。そうだな、じゃあ僕と取引をしようか」


 リンドルの話をレイヴンは両手を広げる仕草で遮った。


「はぁ!? 取引ですって? 信用出来るわけないでしょ。王国は10年もの間、スティレット家とルーシーを探していたのは知っているのよ」

「だからー、僕にはどうだっていいんだよ。王国も魔騎団も。今も団長に言われてるからやってるだけで、正直あの団長おっさんに手柄をやるのもしゃくだしね」 


 レイヴンは両手を持ち上げると不満げな様子を表した。


「それで……取引って言うのは?」

「僕を魔法協会の幹部に推薦してよ。なんて言ったっけ? セブン……」

「『七人の魔導士セブンス・ウィザード』ね」

「そうそれ。七つの国から一人づつ選ばれるんでしょ? 今この国の代表がベルコ・リンドル、あんたなんだから僕に変わってよ」

「そんなの無理に決まってるわ。何の理由もなしにあなたを推薦できるわけないでしょう。それに今、あなたはこの国の魔法騎士団副団長よ。そっちはどうするの?」

「過去に『七人の魔導士セブンス・ウィザード』と魔法騎士団の団長を兼任した人がいたって聞いたよ。確かーミレノなんちゃらって。ああ、団長が探してるのってその人か」


 レイヴンは何かを理解したかのようにポンっと手を叩いた。


「例え私の推薦があっても最後に決めるのは魔法協会の会長よ。ペパームズ会長が認めた人物でないとなれないわ」

「『ヴァイオレット・ペパームズ』かぁ……世界最高の魔女、生ける伝説なんて呼ばれてるけど……噂ではもう800歳くらいの婆さんって聞いたよ。そうだ、じゃあペパームズに変わってリンドルが会長になればいいよ。そして僕を『七人の魔導士セブンス・ウィザード』に推薦してくれればいい」

「はぁ。無茶な提案ね。もう少しまともな取引かと思えば……」


 リンドルはため息とともに赤ぶちの眼鏡を左手の中指でくいっと押し上げた。


「それじゃああの話、王国に報告しちゃうよ。いいの? ステューシーが王国の手に渡れば魔法兵器として使われちゃうよ。そうなれば魔法協会も黙っちゃいないはずだよ。世界戦争の始まりだよ!」

「……勝手にしなさい。ルーシーは私が守る。10年前にそう約束したの」


 リンドルは眼鏡の奥から鋭い眼光でレイヴンを睨みつけた。


「……残念。あんたならステューシーのためにこの取引に応じると思ったんだけどなー。まさかそれほどのがあったなんて」

「当然よ。私は命を懸けてでも――――」

「違うよ、リンドル。あんたの覚悟は『』だ」


 レイヴンが言い放ったその言葉に、リンドルは自分の背筋が凍るような感覚を覚えた。


 10年前の、ルーシーの母デイジーが最後に残した言葉。それは、もしこの先ステューシーの封印が解けそうになり、世界の滅亡を招くほどの可能性があるとしたら、その時はリンドルの手で終わらせてほしい。そう願っていたのだった。

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