第47話 リンドルとデイジーの選択

 リンドルはそっと目を閉じると、あの時のことを思い出していた。



 ――――『2度目のヴァルプルギスの夜』によって、この街が崩壊した日から5日後の真夜中のこと。街の中でも比較的被害の少なかった古びた教会に、生後1か月に満たないステューシーを抱えてデイジーがやって来た。

 母親の腕の中でスヤスヤと眠るステューシーの寝顔は、無垢な赤子そのものだった。

 リンドルにとっては未だ、そのたった一人の女の子が5日前この街を崩壊に導いたなどとは、とてもじゃないが信じられないことだった。


 デイジーは時間がないのだと言った。一族に見つかれば、アルバノン王国に引き渡されるのだと。


「……シー、ごめ…ね…… ステューシー……ごめんね」


 デイジーは涙をこらえて何度もそう呟きながら、魔法陣の書かれた講壇の上にステューシーを乗せた。


「では、本当にいいんですね? この子の『魔力』を完全に封印します。もしかしたら、もう二度と魔法を使えることは出来ないかもしれません」


 その場にいたリンドルはそう言った。


「……はい」


 力なく答えたデイジーの頬をつたった涙は、そのまま床に落ちて消えた。


 リンドルはデイジーの涙に気付かないふりをしてそのまま話を進めた。


「それともう一つ、前にも話しましたが、この『破邪の封印』というのは封印自体を主とし、その主を守るための使い魔が存在します。その使い魔を造るためには『魂』を必要とします。用意は出来ていますか?」

「はい。それは……私の命を使ってください」

「うっ! ……やはりそうですか。あなたのことですから予想は出来てましたが、ステューシーがいずれその事を知ったらきっと悲しみますよ」


 リンドルは自分の友人であるデイジーが、いくら娘のためとはいえ命を落とす選択をすることを簡単には見過ごせなかった。


「でも……あれほどの魔力を封印するためには『破邪の封印』しか方法がないのを知っています。ステューシーのために誰かが犠牲になるのなら私は喜んで命を差し出します。それに封印の使い魔になればずっとステューシーのそばにいられるのでしょう」

「確かにそれならばステューシーのそばにいられるかもしれませんが、使い魔になればデイジーの記憶も意識もなくなります。本当にそれでいいのですか? あなたは生きて遠くからでも見守るという手もあるんですよ」

「いえ、それでいいんです。私が生きていれば必ず一族やアルバノン王国がステューシーの居場所を聞き出そうとするでしょう。私がいくら口を閉ざしても、魔法で口を割らせたり頭の中を覗こうとするかもしれない。だから私がいなくなって、魔力もなくなり名前も変えたステューシーがどこか遠く街へ行けば、彼らから見つかることなく一生普通の女性として生きていけるでしょう」


 デイジーからは強い意志と覚悟がはっきり見えていた。

 それはリンドルにこれ以上反論させないためのものだった。

 時間がない、そうデイジーが言ったのを思い出す。


「使い魔を創るための器は用意出来ましたか?」


 デイジーは頷いて指をパチンと鳴らすと、カボチャのぬいぐるみを目の前に出した。


「これはステューシーが産まれたときからずっとそばにあったぬいぐるみよ。きっとこの子も気に入ると思うわ」


 使い魔としては不恰好だな、とリンドルは思ったがデイジーが決めたことを否定する気にはなれなかった。


「わかりました。それではステューシーの魔力を封印するための儀式を行います。最後に何かステューシーにかける言葉はありますか?」


 リンドルがそう問いかけると、デイジーは右手でステューシーの頬をさすり左手でその小さな手を優しく握った。


「生まれてきてくれてありがとう。そして私の手で育ててあげられなくてごめんね。これからあなたは魔女としてではなく、普通の女の子として生きていくのよ。あなたならきっと幸せになれる。私の可愛いステューシー、さようなら……」


 リンドルは必死に涙を堪えながら、毅然きぜんとした態度で封印のための呪文を唱え始めた――――


 

――――ちょうど窓の外でカラスの鳴き声が響き渡るのが聞こえると、リンドルは我に返ったように意識と感覚をに戻した。

 10年前の悲しく辛い記憶は、今でも昨日のことのように蘇ってくる。

 自分でも気づかぬ内に、閉じた瞼の奥から涙が溢れ出していた。

 

 そしてその時のことをクロエに話して聞かせると彼女もまた涙を流した。


「ルーシーの封印には、そんな事情があったんですね……」

「デイジーは母親として自分の命と引き換えに娘の将来を守ったの」


 リンドルは赤ぶちの眼鏡を外すとポケットからセーム革を取り出し、涙で濡れたレンズを拭いた。


「それにしてもあのカボチャのジャックにルーシーの母親の魂が入っていたなんて……性格は全然受け継がれなかったようですけど……」


 クロエはつい先日の出来事を思い返した。


「私もねー、封印の儀式を終えてぬいぐるみの中にデイジーの魂を入れたあと、聞こえてきたのがおっさんの声でガッカリしたわー。それにあの性格と口調でしょ。それでジャックには2度としゃべらないようにきつく言ったのよ。いやほんと、あれはマジでショックだったわー」


 リンドルは再びあの時のことを思い出しては大きなため息とともに、「ないわー」を連呼しながらうなだれた。


「そう言えば、ルーシーも思ってたのと違うってショック受けてました」

「まあでも、あのカボチャからルーシーの姓をパンプキンにしたんだけどね。少しでも母親と繋がりがある方がいいと思って」

「それでルーシー・パンプキンと改名を」


 クロエは「なるほど、なるほど」と2度頷いた。


「デイジーの行動によりステューシーを失ったスティレット家は、やがてアルバノン王国の怒りを買い、逃げるしかなくなった。そこで味方したのが魔法協会だった」

「魔法協会が? どうしてまた?」

「アルバノン王国がルーシーを手にいれ人間兵器として育てれば、世界平和を望む魔法協会にとって厄介な存在になるのは目に見えているもの。魔法協会は今もスティレット家をかくまっているわ」

「人間兵器……もしかして魔法協会とアルバノン王国が揉めている理由って……」

「そう。魔法協会とアルバノン王国がここ10年に渡って争い続けている原因はこの事件を発端としている。ステューシーとスティレット家は死んだと報告したけど、アルバノン王国はそう簡単に信じるはずもなかった。あいつらは今でも消えたスティレット家を探してるわ」


「それじゃあアルバノン王国この国の魔女であり、魔法協会の幹部でもあるベルコ師匠も危ないのでは?」

「もちろんしらばっくれているわよ。このことを知っているのは私と魔法協会の会長、それと今はクロエあなたを含む3人だけね」

「そんな大事なこと……良かったんでしょうか? 私なんかが聞いちゃって……」

「だから初めに言ったはずよ、あなたには聞かないという選択肢もあるってね」

「いえ、私の覚悟はもう十分出来ています。でもここまで隠し通してきたことをなんで私なんかに?」


 クロエは不安な気持ちとともに純粋な疑問をリンドルに尋ねた。

 そしてリンドルはそんなクロエを見つめながら諭すように言う。


「クロエがルーシーに会っていなかったら、私も話してなかったと思う。それに言ったでしょ。クロエにはいつか私の跡を継いで欲しいって。私に何かあったときはルーシーをお願いするわ」

「何か……ありそうなんですか?」


 心配そうに尋ねるクロエ。


「ルーシーを探しているのがアルバノン王国だけならこの先もずっと隠し通せるかもしらない。だけどいずれスティレット家がこっちに戻ってきたら、デイジーと私の関係を知り、ルーシーのもとに行き着くかもしらないわ。それに……」


リンドルはそこまで言うと少し躊躇ったように俯いてから一呼吸置いた。


「もしかしてルーシーの封印が解ける可能性が?」

 

 クロエのその言葉が図星だったのかリンドルは一瞬目を見開くと顔を上げて小さく頷いた。


「いっしょに暮らしてるとね、ごくごくたまにだけど、ルーシーから微量の魔力を感じることがあるの。最初は気のせいだと思ってたんだけど、おそらくルーシーもそれに気づいてた。だから突然、魔法学校に行きたいなんて言ったんだと思う」

「でもあの封印が完全に解かれることなんてあるんですか?」

「わからないわ。解かれたという前例はないけど、もしも私の想像を遥に越えた魔力を持つ者が現れでもしたらあるいは、針の穴くらいは開けられるかもしれない」

「それくらいなら大丈夫なのでは?」


リンドルは首を左右に振った。


「今のところルーシーの存在が見つかってないのは、ルーシーに全くの魔力がなくただの女の子にすぎないから。ルーシーに少しでも魔力が見られればステューシーであるかもという疑いが生じるはず。そしてあの封印がバレればまずいことになるのは明白だわ。だからこの先のことも含めてあなたには知っておいてもらいたかったの」


 クロエはその時初めて、ルーシーという一人の少女の存在がこの世界をも揺るがすことになるのだと理解した。

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