第46話 ルーシーの秘密とヴァルプルギスの夜 「その2」
クロエの前にもティーカップとクロワッサンが差し出されると、使い魔のショコラが手慣れた扱いでそのティーカップに紅茶を注いだ。
丸一日寝ていたクロエは、その時ようやく自分のお腹が空いていることに気付いた。
クロワッサンをひとかじりして紅茶で流し込む。それを2、3度繰り返すと頭に浮かんだ疑問をリンドルに尋ねた。
「街が滅んだ理由が災害じゃなかったってことですか?」
「そうね。あ、先に言っておくけど、私はスティレット家の人間じゃないから今から話す出来事もさっきの話同様、人伝に聞いた話よ。まあ途中からは私も当事者になるけれども」
リンドルは何かを思い出すかのように少し悲しそうな目をしながら、再びゆっくりと語り始めた。
「それは今からおよそ10年前、スティーレという街が滅ぶことになる少し前こと。ある日、その街で平和に暮らすスティレット家の魔法使いと魔女の夫婦に、一人の女の子が産まれたの。その夫婦は女の子を望んでいたから、とても喜んでいた。そしてその子はすぐに覚醒していることがわかったわ。もしかしたら母親のお腹の中にいたときから既に覚醒していたのかもしれない。もちろん『
「真夜中の事件……ですか……」
やはり「災害」ではなく「事件」という言葉を使うリンドルに、クロエは不安な気持ちでいっぱいになった。
「その子の魔力が突然暴走を始めたの。その魔力は絶大で、スティレット家には当時でも多くの魔法使いや魔女がいたけれども……誰も止めることが出来なかった」
「えっ!? 誰も止められなかったって、たった生後3週間の赤子をですか?」
「そう。私だって未だに信じられないような話よ。だけど事実。それは魔法と呼ぶには実に荒々しく、解放されてコントロールを失った魔力は、それ自体をぶつけるように炎を降らせ、大地を裂き、街を崩壊へと向かわせた。そしてその子は自分の魔力が尽きるまで一晩中、おそらく無意識で街中を暴れまわったの。陽が昇る頃にはもうその街は、街と呼べるようなものではなくなってたと聞くわ」
「…………」
クロエは固唾を呑んでその話に耳を傾けていた。
「そしてその出来事をきっかけにスティレット家は長年語り継がれるもう一つの逸話を思い出した。一万年前のヴァルプルギスの夜によって国が滅ぶことになったときのこと、スターミリオンというその魔法使いが死ぬ間際に放った言葉……」
「死ぬ間際の言葉?」
「『俺は自らの魔法によって、一万年後に再び甦る。その時は必ず世界に復讐し全てを滅ぼす』ってね。もちろんそんな話、スティレット家ですらただの伝説に過ぎないような話だと思ってたらしいわ。10年前のあの夜、その光景を見るまではね」
「じゃあその子が一万年前の魔法使いの生まれ変わりだって言うんですか? まさか………そんなことが?」
「もちろん一万年前から転生したなんて話信じられないし、証明するすべもない。でも一夜にして一つの街が滅んだという事実だけは変わらない。それをしたのが生後3週間の赤子だったというのも否定できないわ。国と街とじゃ規模は違うけど、スティレット家が関わった事件として10年前のその夜の出来事を『2度目のヴァルプルギスの夜』と呼ばれることになったの」
そこでようやくクロエに一つの確信めいた予感が脳裏をよぎり始めた。
それはこれまで語られたどの事実よりもクロエにとっては残酷で悲しいものだった。
それを察したのかリンドルの口が止まる。しかしクロエはその事実を確かめずにはいられなかった。
「まさか……その子って……」
「残念だけど、そのまさかね。その赤子こそがルーシー。ルーシーの本当の名は、『ステューシー・スティレット』よ」
クロエは得も言われぬ失望感と胸を締め付けるような悲しみに打ちひしがれた。
つい先ほど食べたクロワッサンを吐き出しそうになったくらいだ。
「そんな……それでその後、ルーシーはどうなったんですか?」
「スティレット家は悩んだわ。強すぎる魔力を持つ子をどうするか? 一族の中でも意見は分かれた。ステューシーをこのまま魔女として育てるべきだという者、反対にいつまたヴァルプルギスの夜と同じ悲劇が繰り返されるかわからないからステューシーを生かしておくべきではないという者もいた。先の悲劇によって一族が崩壊しかけていたスティレット家にとってステューシーは毒にも薬にもなり得る存在だった」
「スティレット家にとってもルーシーにとっても残酷な選択だったんですね」
クロエは気付くと涙が止まらなかった。頬を伝う涙を拭うこともなく話を聞き続けた。
「でもそんな時、噂を聞きつけたアルバノン王国がステューシーを引き取りたいと言ってきたの。街が一晩で壊滅したことはすぐに知れ渡っていたけど、スティレット家はステューシーのことまでバレているとは思いもよらなかったらしいわ」
「アルバノン王国がなぜルーシーを?」
「
「その魔女ってのがベルコ師匠なんですね!?」
クロエが思わず身を乗り出して尋ねた。
「ふふっ。残念ながら違うわ。その魔女とはルーシーの母、『デイジー・スティレット』よ。デイジーと私は古い友人で、私は2度目のヴァルプルギスの夜が起こった次の日にはその出来事を知ってスティーレという街を訪れていたから、デイジーの選択に関わっていることは確かだけどね」
リンドルは10年前に起こった出来事の順序を自分で確かめるかのような口ぶりで話した。
「それじゃあルーシーの母親が運命を変えたっていうのはいったい?」
「
「優しいお母さんだったんですね」
ルーシーを想う母親の気持ちを聞いて、クロエは少しホッとした。
「そこでデイジーは、ステューシーの魔力を完全に封印することにした。一族の者に話せば反対されることは目に見えていたから、こっそりステューシーを連れ出して私のもとにやって来たの。スティレット家を敵に回しても、デイジーは命を懸けて娘を守ることを選択したの」
「それでベルコ師匠があの封印を?」
「そう。デイジーに頼まれてね。当時、あの封印を施せた者は世界にもほとんどいなかったから」
ルーシーの母親が命を懸けて娘を守ると決めたときのことを、リンドルは昨日のことのようにはっきりと覚えている。
そしてリンドルは再びあの時の記憶を辿るかのようにそっと瞼を閉じた。
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