それからー2:軍人の務め

 首都を発ち、カテワルトの大通りを軍勢は進んだ。先頭を行くは老将。ハウジアを象徴するかのような、威風堂々とした行軍だった。

 東の門を出て、盛大な民衆の応援も途切れた。意識高揚の時間は終わり、ここから本当の遠征に入る。


「このようなことは初めてですね。気がお疲れになったのでは」

「多少な。しかし儂の失態を、取り返させてもらえるのだ。しかもそれが市民の励ましになるのであれば、道化となるくらいは容易いことだ」


 遠距離行軍の準備をさせているのは、ワシツ将軍。それを見送るのは、メルエム男爵。

 遠征軍を多く見せるために、第六軍の人員に後ろを着いて進ませたのだ。


「しかし、この人数では──失礼を承知で言わせていただきますが、無謀かと」

「いや十分だ。この苦しい現状で、五千を与えてくださった陛下には感謝のしようもない」


 新たに即位したフィラム王は、先王の長子。三十歳を超えているが、王にはならない予定だった。

 長時間の執務には耐えられないので、ほとんどをプロキス侯爵やその他の宰相が代行している。ある程度以上の意思決定を、否か応かだけ答えているのが現状だ。


 将軍は、先王と共に常に戦場にあった。ずっと安定しなかった東を大きく切り取り、そこにジューニを築いたのも先王を総指揮官とした将軍だ。

 それからはそこに居たが、それがハウジアに取ってどれだけの重量を持つ重石となったことか。


 忠義がどうこうと言う前に、戦友として当たり前のことをしてきたのだ。メルエム男爵は、将軍からそう聞いたことがあった。


「練兵場からも、五千が出るそうだ。何とかなる」

「そうですか──ご無事を祈っております」

「うむ。貴殿もな」


 出発可能であると報告があって、将軍はエコに乗った。「ご存知でしたか」と聞くと、将軍は頭の上に両手を乗せておどける。


「儂の耳は、エコより長いでな」

「お気をつけて!」


 そのまま去っていく背中に、男爵は手を振った。

 将軍のすぐ後ろを、将軍の旗を掲げたエコが進む。泥の中を踏みつけたように薄汚れて、修繕の跡も多い。

 あれが将軍の誇りだと、男爵は知っている。いや誰もそんなことは言っていないが、そうに違いないのだ。


 あの戦争の最中、あの旗を最後に持っていたのは将軍の娘婿だ。

 部隊の間を割られた将軍が、一旦は戦場を抜けて逃げることを指示した。その時に狙われたのは、やはり目立つ旗持ちだ。


 娘婿。名をウィルムというその男は、将軍が行くのとは別の方向へ進んだ。手近に居た旗持ちから、旗を奪って。

 逃走する部隊に旗が立っていれば、敵はそこに将が居ると思うだろう。当人もそこまでは知らなかっただろうが、他の旗は全て既に折られていたのだ。


 ウィルムは、帰ってこなかった。

 男爵とは同年に叙勲されて、それから不思議と縁があった。あちらは腐れ縁だと言っていたが、本当にそうだった。

 くだらないことで窮地に陥って、何度助けてやったことか。


 しかし、ただの一回。男爵は、彼に救われたことがある。戦場で武器を失い、孤立したところを、彼がただ一騎で駆けつけてくれたのだ。

 さっさと逃げてしまえば自分は助かっただろうに、戻ってくるとは馬鹿なのかと思った。


 実際にそう言うと、「お前には借りが多いからな」と答えがあった。「大馬鹿者だ」と訂正した。

 囲んでいたのが雑兵ばかりであったから、武器を借りた男爵とウィルムで道を切り開くことは出来た。


「私の貸しなど、お前への借りに到底及びはしないのに……」


 旗を見ている男爵の目に、ひと粒の水滴が生まれ、流れた。




 ずっと忙しくて、なかなか時間が取れていなかった。しかしたまたま訪れたこの猶予に、男爵は馴染みの刃物店に立ち寄った。

 愛剣の手入れを頼んだのだ。


 それも済むと海軍基地へ戻り、自身の執務室は素通りして食堂に向かう。この時間ならば、目的の人物がそこに居ると踏んだ。


「やあ。傷はどうだい」

「これはこれは、我らが鬼の副長。おかげさまで、全く問題ありません」


 目当ては居た。ペルセブルというその男は、重傷を負っている。切り傷ばかりで、失血によって衰弱もしていたが、ここ数日は動けるようになったらしい。

 今も病人食ではなく、普通の食事を前にしているようだ。回復の速さは驚嘆に値する。

 男爵は男の対面に、腰を降ろした。


「鬼とは酷いな、上官を捕まえて。せめてそういうのは、陰口にしてくれないか」

「いやいや、賞賛しておるのです。我らを信頼して、大役を任せてくださったことを」

「あまり虐めないでくれ。あの場は、ああするしかなかったんだ」


 数万の大軍を、数百の寡兵で抑えろ。それがペルセブルに与えた命令だ。抑えきれなくとも、そのままそこで死ねとも言った。

 地の利はあったが、それでどうにかなるものではない。

 首都からの援軍がもう少し遅れていれば、彼とその部下たちは全滅していただろう。


「海軍最強と言われる君だからこそ、というのも本当にあったんだ。無茶な命令だけれど、君ならば或いはとね」

「正確には、海軍最強の男です。まあそれも、実際にはあなたや軍団長がいらっしゃる。

 まだしも軍団長には、訓練で何度か勝ちをいただいていますが。あなたには、それさえもない」


 確かにそうだ。しかし、あくまで訓練だ。実戦とは何もかもが違う。だがそう言えば、たった今言った言葉を否定することになる。


「いや──大役をいただいたとは、本当に思っておるのですよ。しかしこの体たらくですからな、冗談にでもせねば話も出来ません」

「そんなことはないさ。君は役目を存分に果たしてくれた」


 死ねと命令した者。途中で力果て、生き残った者。

 その間に、終わって良かったでは済まない、複雑な感情が横たわる。


「それで今日は何です? わざわざ私の肴になりにいらっしゃったのではないでしょう」

「ああ、そうだね。今日はミリアくんがこちらに来ると聞いていたんだが、まだ会えていないんだ」


 この食堂は、下級の兵士たちが使うための場所だ。上位の者が使って悪い法はないが、普通は遠慮する。誰しも食事くらいは、仲間内だけで落ち着いてしたいものだ。


「また振られたいのですか。懲りませんな」

「まあね。それもこれが最後だよ」

「最後?」


 ペルセブルは、引っかかりを覚えたようだ。ついでにその話もしようと思っていたので良いのだが、話を変えることになった。


「おおい、ミリアくん。こっちだ」


 いつの間にか食事を受け取る列に並んでいた、ミリア隊長を見つけた。彼女も呼びかけに気付いている。


「おやおや、ここでお会いするには珍しい組み合わせですね」

「エルダ。仮にも、曲がりなりにも、男爵閣下だ。口を慎め」


 慎まなければならないのは、どちらだろう。普段からの人間関係の構築に、誤りがあったことを反省せずには居られない。


「失礼しました。失礼ついでに、次の用務まで時間がありません。食事をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「もちろんだよ。堅苦しい話でもないしね」


 言った通りに、ミリア隊長は食事を始めた。貴族を前にして自分の用事を済ませるなど、本来は許されない。

 しかしここは、身分の低い者たちに与えられた場所だ。そうと決めたのはもちろん軍の高位の人間だが、更にそれを許可したのは国王だ。


「手短に言おう。ミリアくん、私の副官になってくれ。護衛任務付きでね」

「何度も仰っていただいて光栄ですが、お断りしたはずです」


 この誘いは三度目だっただろうか。言うように、前の二度は丁重に断られた。今回は忙しいと言っていたから、丁重の部分は端折ったのだろう。

 しかしペルセブルに宣言した通り、これが最後だ。彼女を護衛に望む理由もある。その言葉だけでは引き下がらなかった。


「私は近々、ジェリスに行く。ここへは当分の間、戻って来られないだろう。向こうで君のような人材を探すのは、不可能なんだよ」


 ペルセブルとミリア隊長の、食事をする手が止まる。後者に至っては、握っていたフォークを落としてしまった。

 驚くだろうとは思ったが、ここまでとは。ジューニが落とされたと聞いた時にも、減らず口を利いていた気がするが。


「先日の任務ですか。あれは撤回されたのでは」

「撤回というか、軍団長が代わりに務めてくださったからね。それとは別に、新たな命令だよ」


 東の隣国ラシャ帝国への牽制に建設されたのが、海上要塞ジェリスだ。陸地にある軍事拠点よりも、その隔絶性は高い。

 施設の性格上、そこに派遣される人員は相当の忍耐を要求される。


 食事は質が悪く、時化でも続けば量もままならない。女性は一人も居ないし、娯楽設備も存在しない。


「独断行動への懲罰ですか」

「そうとは言われなかったけれどね、そういうことだろう」


 メルエムは第六軍の副軍団長であり、男爵でもある。おそらく最下級の兵士が赴くのとは、また話が異なるだろう。

 しかし作戦中にちょっと立ち寄る、というのとは違うのだ。


「それならば護衛が重要になりますな……」


 かの地では、同性愛が多い。報告こそ上がってこないが、強制的なものも多いに違いない。任期がどれほどになるか知れないが、その間をずっと緊張しているわけにはいかない。

 心から信用出来る副官は、どうしても必要だった。


「それは……」


 ミリア隊長の手が拳に握られ、テーブルの上に固まっている。葛藤が目に見えるようだった。

 彼女がどれだけカテワルトを愛しているのか。そこで名を上げるミーティアキトノを捕らえることに、どれだけ心血を注いでいるのか。

 男爵は、よく知っていた。


「副長、小官は──」

「いや、分かった。諦めよう」


 え? と混乱した表情から出た声は、ただ息を漏らしただけのようでもあった。

 それはそうもなるだろう。これだけしつこく言って、最後は返事も待たなかったのだ。


「ここまで言って即答がなければ、諦めようと決めていたんだ。部下を徒に困らせたくはないからね」

「申しわけありません……」


 ミリア隊長は、残っていた食事を一気に口へ流し込んだ。咀嚼する間も惜しんで飲み込むと、「失礼します」と逃げるように去っていった。


「よろしいのですか」

「なるようになるさ。彼女の役職は、伊達ではないということだよ」


 ミリア隊長は一番隊を率いる十人隊長から、同じく一番隊を率いる十人隊長筆頭となった。これはその上司に当たる、百人隊長とも同格とされた。

 現場を強く望んだ彼女のために、特別に作られた役職だ。


「じゃあ、君だけでもゆっくり食事をしてくれ。私は退散するから」

「また無茶な指示を仰る──」


 それはそうかと失笑しつつ、メルエム男爵は席を立った。味方が得られなかったのであれば、現地で味方を作るしかない。

 その準備のための時間は、もう僅かしか残されていないのだ。

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