第356話:フラウの思い

 本当に死んでしまったのだと思って、岩穴での出来事を経て、今のフラウの姿はとても元気そうだ。元々が華奢な体をしているので、団長やメイさんみたいな人の元気とは比べるべくもないけれど。


「団長。どうしてフラウに、あんなことをさせたんですか。絶対に、完璧に生き返る保証はなかったそうじゃないですか」

「理由はもう、聞いたんじゃないのにゃ?」

「聞きました。フラウが死んだとなれば、ユーニア子爵からの追求はなくなる。少し考えれば分かることでした」


 そう、確かにそれは聞いた。そうすることをフラウも望んだとも。


「でもそれは原因であって、理由ではないですよね。ボクは、どうしてフラウにそんなことをさせたのかと聞いたんです」

「怒ってるのかにゃ?」


 座ったまま、団長は小首を傾げた。意外だと言っているのではないと思う。何だかは分からないけれど、団長が相手の出方を見ている時の感じに思えた。


「怒って──いました。今は、残念に思っています。ミーティアキトノは、みんながやりたいことをみんなで叶えるんですよね。ボクはそんなこと、望んでいなかった」


 絡ませていた長い脚が解かれて、団長はゆったりした動作で立ち上がる。そのまま何歩か前に出て、両手を腰に堂々と立つ。

 ボクよりも団長のほうが背が高いから、すぐ目の前に来るのは避けたのかもしれない。それをすると、威圧する格好になってしまう。


「そうと言われてしまうと、そこだけはごめんなさいするにゃ。でもみんなの願いを全部は叶えられないにゃ。特に願いがぶつかり合った時にはにゃ」

「願いがぶつかる? ボクと──団長のですか」


 それ以外に、フラウの死を演出した団員は居ない。だからそうだとするならば、団長はボクの意見より自分の独断を優先したことになる。

 それはボクに取って、何より耐え難い。


「違うにゃ」

「違う? じゃあ誰です」

「その答えは、アビたんがさっき自分で言ったにゃ。フロちが望んだからにゃ」

「フラウ? だってフラウは団員じゃ──」


 団長の目が、困ったように伏せられる。それはほんの一瞬で、またすぐいつもの強い意志を持った眼差しに戻った。

 しかし何か見落としているのでは、とボクに考えさせるには十分な威力を持っていた。


「フラウは団員じゃない──けど。ボクがフラウを大切にしたいから、フラウの意見を大切にすることもボクの意志だと?」

「そんなややこしいことは考えていないにゃ。アビたんの彼女なら、あたしたちの仲間みたいなものにゃ。それにフロち自身が、入団させろって言ったのにゃ」


 え……それは初耳なんだが。

 フラウに目を向けると、何か問題があったかとでも言いそうな、不思議そうな顔をしている。


 ええと。いやあ──なるほど。

 聞いてみれば単純な話で、ボクの意見を無視したと思ったのは間違いだったらしい。けれども理屈ではそうでも、フラウに危険を冒させたことを納得するまでは出来ない。


「そうですか……でもそれなら、ボクに教えてくれても良かったじゃないですか。

 ああ、いえ。こんな言い方はずるいですね。ボクにそんな演技を出来るはずがないですからね」

「そうだにゃ。言いたいことは、はっきり言ったほうがいいにゃ」


 言いたいことは分かっている。でもそれを言ったところで、じゃあどうするのが良かったのかとなったら、もう手詰まりなのも分かっている。


「すみません──ボクは本当に未熟で。言っても仕方がないと分かっているのに、言わずにいられないんです」

「遠慮しないで、言ってみるといいにゃ」


「……どうしてフラウなんですか。どうしてボクの好きなフラウが、そんな目に遭わなくちゃいけないんですか。ボクが代わったっていい。フラウじゃなくて、いいじゃないですか。

 ボクはフラウに、幸せって感じてもらいたいんです。たぶんボクもまだはっきりどんなものか分かっていないけど、フラウに幸せを見せてあげるのはボクがやりたいんです。

 ボクはそのためなら、どんなことだってやってみせるのに。実際にそうしてくれたのはフラウで……ボクは……」


 胸が詰まって、頭の中に吐き出すものも見つけられなくて、言葉が止まった。

 そんなボクに苦言を吐いたのは、誰あろうフラウだ。


「何を言っているの? 私はもう、いくつか幸せを見せてもらったわ」

「──ええ?」

「もちろん、あなたがくれたのよ。私を起こしてくれたこと。抱きしめてくれたこと。眠っている間に、ずっと呼んでいてくれたのもそうね。

 それに、私が薬を飲んだことだってそうなのよ?」


 一歩誤れば死んでしまうような薬で、博打を張る。それが幸せ?

 彼女が何を言っているのか、ボクには全く見当もつかない。例として挙げたことだって、フラウを助けるために必要だっただけだ。

 そうしていたら、自然とフラウに伝わってしまっただけだ。


「ねえ、アビス。あなたは私に、幸せを作ってくれようとしているんじゃないかしら。

 もちろんその気持ちは嬉しいの。

 とても。とてもよ。

 でも──私、思うのだけれど。それはきっと、自然に見つけるものではないかしら。

 どんなことも意のままにやり遂げようとした人を、私は知っている。そこに幸せがなかったことも。

 彼にあるのは、ただ、ただ。乾きだけだったわ」


 この部屋の空気は動かない。少しばかりの風は舞っているけれど、髪の一本をも動かしはしない。

 誰もその場を動いていない。仄かに口角を上げて、頬を上気させて、優しい瞳で語るフラウを見つめるだけだ。


 だのに。ボクはここを、暖かいと思った。

 共感はしても同じ場所には決して立てない恋敵の話なのに、それが過去のことだと分かる。

 過去に出来たのは誰の──どれだけの仲間のおかげなのか分かる。


 これが優越感という卑しい気持ちであるなら、暖かいとは感じなかっただろう。みんなが作ってくれた今という空間の中に、ボクはフラウという幸せを見つけた。

 フラウの心が、ボクを掴んでいる幸せを。


「あ──大丈夫よ。それはあくまで以前のこと。今の私は、あなたのことを愛しているわ」

「うん。それは言わなくても分かったよ。でも、言ってくれてとても嬉しいよ」


 繋いでいた手を引いて、反対の手も握る。近付いた額と額が、緩くぶつかった。


「分かった。フラウもボクを助けてくれようとしたんだね。知っていたはずなのに、ボクのほうこそ君の気持ちを見ていなかった。ごめんね」

「いいの。でも謝るのは、私にじゃない気がするわ」


 その指摘で、フラウしか見えなくなっていた視界が元に戻る。団長はにやにやと笑い、トイガーさんは完全に苛々としてしまっている。


「仲のいいのは結構ですにゃ。二人だけの時にやってもらえると、尚結構ですにゃ」

「すみません……」


 しゃあぁっ! と威嚇さえするトイガーさんに平謝りして、団長にも謝ろうと向き直る。


「さてアビたん。あたしはお勧めしないけど、仕上げに行くのにゃ?」

「はい。今夜にでも」

「分かったにゃ。それならあたしは、終わるまで何も言うことはないにゃ」


 そんな中途半端な。と、呼び止めようとしたけれど、団長は立ち去ってしまった。「コラちん、おやつがほしいにゃ」とわざとらしく言っているのは、話は終わったと重ねて言っているのだろう。


 団長にも思うところはあるだろう。終わるまでと言うなら、すぐに終わらせるだけだ。


「トイガーさん、お願いがあります」

「何ですにゃ」


 まだ機嫌悪そうに、じろりと睨む目。怯みながらも、ボクは話す。

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