第321話:厨房の刺客
「おやあ、お二人さん。お早いお目覚めだねえ」
ただ話すだけで、その場が不吉に冒されたような。ねばねばとした口調を、忘れようはずもない。
「クアト――さん」
「いやそれとも、今まで起きていてこれから……いやそこまで言っちゃあ、無粋ってものかねえ」
ほとんど言ったようなものだと思うが。
団長なんかに言われたら赤面してしまうようなそのセリフも、この人に言われると嫌悪感しかなかった。発言の内容が云々以前に、こちらを探る姿勢からしてだ。
彼女は影としての黒装束でなく、メイド姿だった。髪はまとめて後ろに垂らされていて、先入観なく見ればそれほど違和感はない。
しかしやはりこの人はクアトで、なぜかこの厨房に陣取って鍋を見ていた。それにはさすがに、あれやらこれやら言いたいことが多すぎる。
「ええと、まず――何をしているんです? ここで再会する時には、意外な対面をするルールでもあるんですか」
「まず? おや、そんなに質問がおありかい? あたいなんかにご執心とは、そちらのいい人が悲しむと思うけどねえ」
いつも以上に苛とする話し方だけれど、どうやら今ここで物騒な何ごとかをするつもりはないようだ。
話題もそうだけれど厨房の隅の机にメイさんが居て、どうもクアトが作ったらしい料理をがつがつと食べている。
「メイさんも珍しく早起きですね。それにもう朝食ですか」
彼女の朝は何時ころと、あまり決まっていない。何か目安を求めるとすれば、前日に団長が深酒をしていればメイさんの朝も遅くなるというくらいか。
「起きる前のごはんみゅ! おいしいみゅう」
「起きる前のごはん──?」
何だその「気付いたら寝ていた」みたいな、よく考えると不可能な事象は。
まあメイさんが一日に何食を食べたところで、それ自体は驚くに値しない。心配なのは毒でも入っているのではとその点だけだ。
クアトはメイさんにかなり執着していたようだから、そんなことがあっても不思議ではない。いやさそうでないほうが不思議、といった感がある。
「お腹は大丈夫ですか」
「ぺこぺこみゅ!」
「ああ──問題ないみたいですね」
既に皿が何枚も積み上がっているのに、ぺこぺことはどういうことか。そこに疑問を覚えることにも意味はない。
ボクがどうあがこうが、空は青いし氷は冷たいのだ。
「毒なんか入れちゃあいないさ」
「いえそんな」
正解を察せられているのでとぼけても仕方がないけれど、言葉の上だけでも否定をしておいた。
言質を取られるというのは、時と場合によってかなり面倒臭い。
「毒はあたいの領分じゃないからねえ。使い慣れない物を使っても、自分が痛い目を見るのが落ちさね」
「はあ……すると料理もそうなのでは」
クアトはハウスメイドだと聞いている。だとすれば料理は専門外で、掃除が仕事のはずだ。
「あはははは。これは痛いところを突かれたもんだねえ。でも掃除はあたいの生き甲斐さあ。料理は趣味さね」
「なるほど。意識の向きが違うんですね」
仕事と言えば、そもそもの使用人たちはどうしたんだ。
まさか趣味で料理をしていると言いながら、あの人たちは殺してしまったとかはないと思いたいが。
「ああ、あの三人かい?」
ボクがきょろきょろと探していたので察したらしく、クアトのほうから言ってきた。
それによるとクアトがオクティアさんの友だちだと告げると、彼らは進んであの地下室に入っていったらしい。
「さっき焼き菓子を持っていったから、食べてるんじゃないかねえ」
「優雅ですね……」
この人たちに楯突いてもどうにもならないことは示されているのだろう。それでオクティアさんからの待遇も良かったとなれば、荒立てる理由がないのは同意出来る。
「それで結局、何かここに用があるんです? オクティアさんは昨日、どこかに行ってしまいましたよ」
「オクティアのことなら、知っているさあ。ずっと見ていたからねえ」
「昨日も居たみゅ」
見ていた? 昨日も?
どこにだ。ボクは全然、気付かなかったのだけれど。
「仲間の恋路を邪魔するほどに、あたいも女を捨てちゃあいないんでねえ。あんたたちが来るからには、オクティアが先に出ていくだろうとも予想もついたことだし?」
「するとオクティアさんの付き添いということでもなく、あなたはあなたでやはり用事があるんですね」
指摘すると、クアトは舌をぺろっと出して額を叩く。
「ありゃあ、あたいとしたことが。どうにも正直者でいけないねえ。まあまあ正解だよ。もちろんあたいの用事ってのは、みゅうみゅう娘にだ」
どの口が言うんだ、世界中の正直者に謝れ。
みゅうみゅう娘こと、メイさんは自分に話が向いたと気付いた。皿に残っている料理を一気に掻き込んで、何かむぐむぐと言っている。
「みょっもまむむ」
……ちょっと待つみゅ。かな?
待とう。
傍らにあった果実酒で口の中を洗ったメイさんは、いよいよお呼びに答えるべく席を立つ。
「お代わりが欲しいみゅ!」
「ああ、まだまだあるよ」
──どうにもこの二人の間の空気感は、よく分からない。
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