第319話:思い合う気持ち

「本当に、そうなのね」


 ボクが認めたことで、フラウもそれを真実だと受け止めたらしい。疑いが晴れたとかではなく、確定した事実。知識として頭に入れたのだろうという意味で。

 その証拠に彼女はさっきからずっと、ボクの言葉を一つ聞くごとに頷いている。


「でもそれじゃあ――」


 彼女の視線が、ボクの手や頭の上を舐める。ボクがアレクサンドの子なら、そこにあるべきものがないのではと不思議そうだ。


「うん、父親はハンブルだからね」

「ああ――」


 スーラ=アレクサンドがキトルであることはこの国の住人なら、或いは他国の住人であってもよく知られている。

 彼女は王宮や高級貴族の邸宅で行われる夜会などにも多く招かれているし、商会の取引きは穀物や野菜から軍船などにまで及ぶ。

 この国の近辺に住んでいて、彼女を知らずに居るほうが難しい。


 その子どもなら、耳や尻尾、メイさんのようなもふもふの腕や脚があって然るべきだ。


混血メックなのね」

「そうなるね。見た目はほとんどハンブルそのままだけれど、足だけは──ほら」


 覆い靴オーバーブーツを脱いで、素足を見せた。女性に足の裏を向けるのもどうかと思ったけれど、一番分かりやすいので足を上げる。

 ボクの体では唯一としてキトルらしい、体毛と肉球のついたその部分。


「柔らかいわ」


 遠慮する素振りも見せず、彼女の手はボクの足を揉みしだいた。

 混血という事実は、人によってかなりの悲劇を伴うことも多い。だから遠慮しないことで意識していないと気を遣ったのだろう。


 ああでもそういえば、ジューニではキトンに手を伸ばしていたっけ。動物が好きなのかもしれない。

 そうだとしたらそれはそれで、妙な気分だけれど。


「目や鼻も、ハンブルよりかなり利くよ。キトルの中では全然だけれどね」

「混血で苦労したりはしなかった?」


 キトルとハンブルの混血は、たぶんそれほど珍しくはない。でもキトル自体の見た目に個人差が大きいので、傍からそれと気付くことは少ないだろう。

 ボクみたいに、ハンブルとほとんど見分けがつかない例も多いに違いない。


 でも例えばギールのように、ハンブルと接点をあまり持たない人種には混血を忌避することもある。

 中には戦場でミリア隊長を口説いていたような例外もあるようだけれど、あれは単にあの人の気紛れだろう。


「それほどあちこちで苦労したってことはないよ。そんな機会に遭うことさえない環境だったのが、それに当たるかな──」

「何があったの──?」


 ボクには父と母、それに二人の兄が居た。あとになって弟も一人増えたけれど、それはこの話に関係しない。


 母は父に取って後添えだった。結婚した時には既に、二人の子が居た。だから兄は両方とも母の子ではないし、混血でもない。

 前妻はハンブルだったらしい。


 アレクサンド商会はもうその時からあったけれど、今とは比べ物にならない細々とした商売をしていた。いやそれでも、金持ちの部類ではあったようだけれど。


 父と母。それに二人の子の人間関係がどうなっていたのかは、よく分からない。

 そんなことを誰でもは知らないだろうし、知っているような人にボクが質問する機会はなかった。


 ミーティアキトノで盗賊なんてやっていると忘れがちだけれど、キトルは種族としての出自も関係して高級市民であることが多い。

 母もそうだった。


 キトルのコミュニティに顔の利く母を、父は必要とした。

 母はどうだったのだろう。のし上がるために父を利用するつもりだったのだという意見が多いけれど、真偽は定かでない。

 一つ間違いないのは、二人の子が母を敬遠していたことだ。これも細かなことは知らないが、互いに遠慮し合うような状況だったらしい。


 結婚して三年だか四年だか経ったころ、父と母の間に子が産まれた。それがボクだ。

 その辺りから母と兄たちの関係は、うまくいくようになったと聞いている。


 実の子であるボクを蔑ろにすることが、母の用いた作戦だ。望んでキトルと結婚したにも関わらず、産まれた子が混血であることを父が嫌悪したせいだとも聞いた。


 だからボクは、父と母が開拓した裏の商売の手形として使われるようになった。

 実の子であるとなれば、客の信頼度を高めることが出来る。子どもを一緒に動かすとなれば、より安全な方法で商品を扱うだろう。

 そういった目的のためだ。


 産まれた時にはその人生が決められていたボクだから、肉親はおろか使用人からも人として扱われた記憶はない。

 この例えはリマデス卿に申しわけないけれど、勝手に動く人形のようなものだったのだろう。


 そういったことを、いくつかの体験も交えて話した。フラウはずっとボクの目を見て、何度も何度も頷いていた。


「そう。あなたはそんな人生を送ってきたのね」


 大体説明しただろうというタイミングで、フラウは言った。なるべく感情を含まないように「うん」と返すと、彼女も「ええ」とだけ言う。


 大したことない話ね。なんてことをそれは言わないだろうけれど、同情や感想もなかった。

 そんなものだろうかと疑問に思いかけて、それで当たり前なのだと気付く。


 彼女も普通の人生とはどんなものか知らないのだ。大したことがあるのかないのか、判断がつくはずもない。


「いえ、それはあなたの人生よ。私が良かったとか悪かったとか、決めてはいけないでしょう?」

「ああ……」


 どうして感想を言わないのかと、聞いたりはしなかった。でもボクの顔に疑問が浮かんだのだろう。彼女はそう言った。


 彼女はそう考えるのかと知って、懐かしさのようなものが込み上げた。懐かしくはあっても、惜しむような感情ではない。団長に出会う前のボクがそうだった。


 ボクの意識はボクのもの。それ以外の意識は、やはりそれぞれ当人のもの。それを触れ合わせて思い合うなんて、想像もしていなかった。

 あるとすれば、強者である一方がもう一方の意識を踏み躙る時だけだと思っていた。


「ううん。勝手には──しないけれど。ボクはフラウがどう感じるのか、想像するよ。フラウがオクティアさんをどう思っているかとか、レリクタを思うとつらいのかなとか」

「想像してどうするの?」


「フラウが嫌なことだろうと思ったら、楽にしてあげられる方法を考えるよ。嬉しいことだと思ったら、一緒に喜べる方法を考える」


 彼女は、何を言っているのかよく分からないと。いう表情をした。

 でもそのあとすぐに、口角を上げて嬉しいと示した。


「うん、そういうことだよ。ボクもうまく出来ないことが多いんだ。一緒に出来るようになろう?」

「あら……」


 理解していないのを察せられたことに、少しフラウは驚いた。でもそれはすぐに別の表情に変わる。

 意識的に作った、がちがちに緊張したのとは全く違う。彼女を綺麗だとボクが思う、あの笑顔で。


「ええ、そうしましょう。すぐにあなたに追いついて、すぐに私のほうが得意になるわ」

「そうだね。そうなる自信があるよ」


 それは本当にそうなるだろうと思ったので、素直に言った。でも彼女には気に入らなかったらしい。


「あら、私の気持ちを理解したくないのね」


 あの悪戯っぽい笑みはない。おどおどとした、緊張の伺える顔。

 しまった──。

 まだ冗談なんて言い合える状況には至っていないか。当たり前だと後悔したけれど、それよりも彼女に謝るのが先だ。


「ごめん、そうじゃないよ。フラウのほうが、何でもよく出来そうだって思っただけ」

「そう。ごめんなさいね、言われればそんな言葉も理解出来るのだけど。受け止め方が分からなくなってしまって」


 文字を覚えるために、一文字ずつを刻まれた積み木。たぶん彼女の頭の中は、それをごちゃっとひっくり返したようなものなのだろう。

 しかも積み木なら一つの文字は一つずつしかないけれど、彼女の記憶はそうでない。


「そうなんだね。きっとそれも、少しずつ戻していけるよ。ボクも手伝う」

「ありがとう……」


 フラウはボクの手を持って、自分の頬に当てた。砂浜で拾った貝殻を耳に当てるようにも見えるその格好で、しばらく彼女は何も言わなかった。

 ボクも眺めていたかったのでじっとしていると、おもむろに彼女は聞いた。


「それじゃあ、あなたの名前はアビス=アレクサンドというの?」


 家を出たといっても、本当に飛び出したというだけだ。だから何かの書類を見れば、ボクの名はアレクサンドとして残っているのかもしれない。

 まあそれはどうでも良いとしても、ボクの名はフラウの言った通りではなかった。


「ううん。ボクの名前は、アビシニアだよ」

「アビシニア=アレクサンド。アビシニア」


 心に刻むように、彼女は何度か繰り返した。それを終えると、ボクの目をじっと覗き込む。


「覚えたわ。それであなたは、この名前をどうしたいの?」

「──それは少し難しい質問だね」


 さて。また何から話そうか。えらく距離の近いフラウの顔を見ながら、ボクは頭を掻いた。

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