第289話:オクティアさんの歓迎
「おっ、オクティアさん!?」
「はあい、オクティアさんですよう」
違う、名前を確認したわけじゃない。
「え──ええと? オクティアさんがここに居るってことは、ユーニア子爵の持ち物なんです?」
中に入れてもらいつつ、思わず天井や壁を見回した。
そんなところに名前が書いてあるはずもないのだけれど、何か手がかりでもないかと誰でもやるだろう。
「おうちに名前を書く方ではないですよう」
ええ、ええ。そうでしょうとも。
でもまあ、その言い方だとユーニア子爵でもないのだろう。今回の反乱での功績で、この辺りの土地をもらったのかとも思ったのだけれど。
「ブラムさまは、三階にいらっしゃいますよう」
そう言われて、見える範囲をまた見回した。正面は緩いカーブのかかった階段。左右は広くまっすぐ伸びる廊下。
ここをボクが掃除するとしたら、一日かけて一階の半分ほども終わるだろうか。
そんな広い空間に、オクティアさんしか居ない。もちろん見えないところに居る可能性はあるけれど、ボクの耳にそんな気配は聞こえてこない。
三階に居るという辺境伯──元辺境伯の気配も分からないけれど、これはじっとしているのだろう。
でも昼日中にじっとしている使用人なんて、居るものだろうか。
「お腹が空いたみゅう」
「あらあ、それは大変ですう。大した物はご用意出来ませんけどお、こちらにおいでくださいましい」
とてとてとゆっくり廊下を歩き始めたオクティアさんに、メイさんは喜んで着いていく。
やれやれ、辛抱たまらないか。
「って、団長まで。辺境伯のところに行かないんです?」
「どうせ今日はここに泊まるにゃ。焦っても仕方ないにゃ」
「はあ……」
ミリア隊長は監視が仕事なので、意見を求めても仕方がない。だから自然と視線は、サバンナさんへと向く。
彼女までここに来てくれているのは、もちろんその背中にフラウが居るからだ。団長が負ぶってくれてもよかったのだけれど、「ものはついでだに」と言っていた。
ボクの視線に気付いて、「ん、行かないのかに?」と反応があった。
渋っているでもないのだけれど、気が急いているのも否定出来ない。あの戦いの中を危険も顧みず、フラウを連れ回したのは一刻を争うと思ったからだ。
実際に何度も苦しそうな姿を目にして、このまま死んでしまうんじゃないかと気が気でなかった。
でも最後に辺境伯と話をして、日と場所を改めて会うという話をしたあと、フラウはただ眠っているだけのようになった。飲み物や潰してスープのようにした食べ物ならば、口の中に入れれば飲み込んだ。
コニーさんたちもこれならしばらくは大丈夫だと言ったので、それでもやきもきしながらボクはこの日を待ったのだ。
「まあまあ、あたしたちは着いたばかりにゃ。リマっちの都合も聞かずに、押し入る気かにゃ?」
「あ──」
それはそうだ。
ボクはそれだけを目的に来たのだけれど、あちらはあちらで都合があるに決まっている。幽閉とはとても呼べないような場所で、人も少なく、尋問を受けている様子でもない。
一体何をしているのか、お金持ちの隠居生活みたいにも思えるけれど、それなら尚更その平穏を乱してはいけない。
普段のボクならそう考えているはずなのに、やはり冷静ではないようだ。
「みんな早く来るみゅう」
一つ先の部屋の中から、メイさんが顔を出した。もう両手には、果物とパンがある。
絨毯の敷かれた、洒落た食堂。長椅子にフラウを寝かせて、ボクたちはお茶をご馳走になった。
メイドだから本来は立っているのが普通なのだけれど、ここにボクたちを応対する人は彼女しか居ない。それが立ちっぱなしでは落ち着かないので、彼女もテーブルの末席に座っている。
テーブルの上には、果物以外はここで作ったのだろうか。パンやお菓子が、山盛りに並べられていた。
「ここはどなたのお屋敷なんです?」
「国王さまのですよう」
「王さまの? でも、ここって」
建っている場所。領地がどこかといえば、リマデス領だ。領地をどうするかとかはまだ発表されていないようなので、たぶんたった今は誰の物でもない。
しかし、ということは国王の物でもないということだ。この邸宅だけ目をつけていて、すぐに自分の物にしてしまった、なんてこともあの流れでやりはしないだろうし。
「オクティアさんは、難しいことは知らないのですよう」
知っているけれども、話す気もない。そう顔に書いてあった。
この人は虫も殺さないような顔をして、あっさりと嘘を吐く。表情に表れている分、今はまだましかもしれない。
「じゃあ、オクティアさんはどうしてここに? ユーニア子爵の指示なんです?」
それくらいしか思いつかなかったのでそう聞いたけれど、それもおかしな話だ。
国王の持ち物である建物に居る大罪人の傍に、貴族としては下級になる子爵の手配した人物が居るとは。
しかもこの人は、ユーニア子爵にとって存在を隠さなければならない、影の部隊だ。
「閣下の命令ではないですよう。オクティアさんは、お暇をいただきましたしねえ」
「ええ、やめちゃったんです!?」
やめちゃった。ということより、やめさせてくれるんだという意味で驚いた。
よそに漏らしてはいけない秘密なんかも色々知っているだろうに、やめるには死ぬしかないように思っていた。
「質問ばかりですねえ。楽しくおしゃべり出来ない子には、お仕置きですよう」
変わらずゆったりとそう言って、ゆっくりとした動作でオクティアさんは水を飲んだ。そのカップをテーブルに置くと、今度は薄く微笑む。
その口元からは、緑色の。いや、紫。いやいやまた変わって赤色──と、色調のはっきりしない靄のようなものが零れていった。
オクティアさんの特技。それは毒に強く、毒を使うこと。
ボクの顔も、青ざめたに違いない。
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