第276話:ボクの役目

 ボクは、いつ起き上がったのだろう。思い出そうとしても、意識的にそうした記憶が全くない。

 でもそういえば、団長の姿を探した時にはもう立ち上がっていた。


 まだふらふらとするような中で無意識に立ち上がって、今また無意識にこの場所まで来ている。


「メイさん、駄目ですっ!」


 感情の沸騰しきったメイさんが、持てる全ての力を辺境伯に叩きつけようと右腕を振り上げる。

 駆け出した一歩先に、ボクは立ちはだかった。


 その衝撃はボクの経験上で初めてのものなので、これくらいと例えようもない。でもボクの体は周囲に居る誰の頭よりも高く上がったし、何なら近場にある灌木よりも高かっただろう。


 ぶつかった瞬間に、ぐんと大きな力の加わる感触はあったけれど、不思議と痛みはなかった気がする。

 地面にぶつかったのも、響く振動ばかりが意識には目立って、やはり痛いとはそれほど思わなかった。


「アビ!」

「アビたん!」


 何度も名を呼ばれたけれど、誰がどれを言ったのか区別がつかない。

 宙を飛んでいる時もそうだったが、何だか時間がゆっくりと過ぎているような気がして、聞こえる音もぼんやりしていた。


 駆け寄ってきた顔の中に、メイさんも居た。

 良かった、踏みとどまったんだ。と考えると、それが鍵であって縮まっていた時間が元に戻ったかのように、景色が急に忙しく動き始めた。


「アビたん、大丈夫かみゅ!」

「──平気、ですよ」


 起き上がろうとして体を捻ると、左腕に鋭くて熱い痛みが走った。


「痛っ!」

「アビたん!」


 そこが痛いと感じた途端、鈍い痛みと刺すような痛みが同時に襲ってきた。

 腕と──脇か。

 脈が打つのに合わせて、痛みも波になって襲ってくる。これは首都で怪我をしたのと、同じようにやってしまったらしい。


「やっぱりウチが相手をしてやるみゃ」


 黙ってボクを見ていたトンちゃんが、すっと立って静かに言った。表情が消えて、視線はとても冷たい。

 ボクのためになんて自惚れはさておいて、彼女が本気で怒るとこうなるのだろうか。


 普段、ボクに厳しく言ってくれるトンちゃんも怖い。でもそれとは全く異質の、何者も寄せ付けない雰囲気が比べ物にならない怖さを感じさせる。


 でも……そのまま戦わせるわけにはいかない。


「そうは行きませんよ。メイさんに言ってくれたんでしょう? 辺境伯の相手をするのはボクだって」

「うるさいみゃ。怪我人は引っ込んでるみゃ」

「引っ込みませんよ。何だか、もう少しで見えてきそうなんですから」


 右腕だけで、全身が軋むような痛みを堪えて立ち上がろうとした。メイさんやコニーさんが手を貸してくれようとして、ボクはそれを断りかける。

 いや、違う。

 ほんの些細な一つ一つの行動の、何が正解なのか。考えてみると、ここは素直に手を貸してもらった。


「リマデス辺境伯。ボクはただ、あなたにお願いがあって来ただけです」

「アビ!」


 コニーさんに肩を貸してもらって立つボクに、トンちゃんは鋭い言葉と視線を突き刺してきた。

 これはトンちゃんの優しさだ。もう自分たちに任せてくれてもいいんだと言えば、ボクは必ず遠慮する。

 そう言わせないために。


「大丈夫。ボクにやらせてください」

「………………好きにするみゃ」


 辺境伯は興味深そうに、ボクたちのほうを見ていた。

 こちらを指さすギールには、あっちを頼むというような仕草をしているから、わざわざ時間を空けてくれているのだろう。

 ありがたいことだ。


「リマデス辺境伯」

「お願いとは何だ。俺がお前に何かしてやれるほど、知り合ってはなかったと思うが」


 もう負けはあり得ないだろうに、辺境伯は口早に言う。何を焦っているのか。期限のある何かを控えているのか。

 いや。そうと感じるのは、ボクのほうが焦っているのかもしれない。この戦争に決着がついてしまえば、まず間違いなくボクと辺境伯が話す機会なんてないのだから。


「お願いの前に、ボクはあなたに問わなければならない。その上で、あなたをこそ断罪しなければならないかもしれない」

「断罪? 俺は今日この時のために色々とやっている。今更お前に教えてもらわなくとも、悪人の側に立っていることは知っている」


 つまらなそうな、また期待外れかという顔が見えた。やはりそこに焦りは見えない。


「悪人なんて。そんなことを言ったら、ボクだって盗賊です。このまま仲良く王軍のみなさんと一緒に帰ったら、その足で捕まってしまいます」

「お前にそれほどの度胸があるようには見えんがな。ああ、先にも言ったがしつこさだけは認めてやる」

「それはどうも。悪人同士、認めるところは認めるということで。それでもね」


 ボクは息を大きく吐いて、言うべきことを頭に描いた。間違っていないだろうか。おかしなことを言おうとしているんじゃないか。

 それは結局、味見をしすぎておいしいのか分からない料理みたいなものだった。でももう配膳をやめるわけにはいかない。

 うっかり胸いっぱいに息を吸って、脇の痛みに顔を顰める。


「悪人にだってね、筋ってものが必要なんですよ。それがなければ、あなたの言う屑になってしまう」

「俺の復讐に筋が通っていないと。そう言っているのか?」

「その通りですよ」


 辺境伯はボクの言い分に、心当たりを探してくれているようだった。訝しむような顔でありながらも、神妙さを隠しきれない。

 間違いない。この人は、とてもいい人なんだ。こんな辛いことを続けてちゃいけない人だ。


「分からんな。さすがにこの争いの中で、いつまでもこうしてはおれん。答えは聞かせてもらえるのかな」

「お望みなら」

「望もう」


 辺境伯の手が差し伸べられて、言ってくれと促された。

 もちろんここで、やっぱり言わないなどとひねくれたことを言うボクではない。


「どうしてあなたは──」

「リマデス辺境伯! 神妙にしなさい!」


 会話に割って入ってきたのは、全身鎧の戦士。血みどろの彼女は、鉾槍ハルバードを辺境伯に振り向けた。

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