第232話:破局
「概ねは聞いておる。しかし正確を期すために、貴公の望みをあらためて聞かせてはくれまいか」
「――恥を知らんのか」
「無論。恥に感じておる。だからこそこの場に脚を運んだとは、理解してもらえぬものだろうか?」
辺境伯は目を閉じて、深く息を吸い、吐く。
その目をまた開けると、立ち上がって椅子を横に蹴倒し、国王のほうへと蹴って転がした。
相手が国王でなくとも無礼には違いないけれど、その動作に荒々しさはなかった。もうこの話は終わりだと、行動で示すついでに椅子を返してやったのだ。そんなところだろうか。
「下がれ。態勢を作るくらいはさせてやる」
「貴様っ! 陛下に向かって、何という口を利くのか!」
国王の脇に立っていた一方の男が咎めて、唾を散らしながら言った。ワシツ将軍よりも若いけれど、辺境伯よりも随分上の年齢に見える。身に着けた物にも装飾が多く、国王の隣という実際に立っている今の位置に近い立場の人なのだろう。
「プロキス候。勘違いをしているようだから、教えておいてやる。俺は確かに反乱を起こした身だが、リマデス辺境伯領の領主だ。その領地は、王から下賜されたものではない。故に、俺の部下たちの主人は俺一人。その老人と、立場は同じだ」
「言うに事欠いて、陛下と同等と言ったか。思い上がりも甚だしい!」
「お前の感想など、どうでもいい。ただし、一つ聞きたいことはある」
激高とも言っていい勢いの口撃に、辺境伯はさほどの反応を示さない。少なくとも表面上は。
ここまでに見てきた熱量からするとそれは何とも異様で、嵐を前に風の凪ぐのを見ているようにも思えた。それももう少し言えば、今は現実そうであるように夕刻で、このあと人々の安眠など許さないぞと荒れ狂う気配があった。
「私に?」
「候は、ご存知であったのか」
何を、とは言わなかった。
プロキス侯爵も、聞き返さなかった。
互いに神妙な面持ちで見つめ合い、まばたき以外に目を逸らすことはなく、二十ほども数える間があった。
おもむろに、プロキス侯爵は薄く開けた唇の間から息を吸い、言った。
「すまぬな。知っていた――という返事は、あり得ぬと分かるであろう?」
「そうか。ならば諸共に」
辺境伯はイスタムやリリックを始めとした部下たちにいくつかの指示を出して、その場を去った。
裸にされたままの王子二人は連れ去られ、軍勢も陣形を整えながら岩盤回廊の方向に後退する。
「いよいよ決戦ということですか」
「そうなるね。一度は決着もついていたけれど、陛下がお出でになったことに免じて機会くらいは与えてやろうということかな」
ワシツ将軍は自分の部隊の再編制をウィルムさんに任せて、国王のところに行っていた。何もすることのないのは、メルエム男爵を含めた港湾隊の面々だ。
「あれは、暗に謝っていたんでしょうか」
「……それが何の話かは特定できないけれど、そうだと思うよ」
国王に仕える立場として、メルエム男爵もそこまでしか言えないらしい。でも十分だ。
知っていたという返事は、あり得ない。知らないのでなく、あり得ない。
つまりは、知っていた。
そしてそれを言う前に、すまないと謝った。辺境伯の言い分を認めて、黙っていたことを謝った。
「みんな、苦しいんですね」
男爵の返事はなかった。でも地面に目を落とす振りをして首を下げたのは、きっと頷いたのだと思う。
多くの人は、自分の立場を守らないと生きていけない。
それはボクたちのような盗賊だって同じことだ。仲間同士で信用のおけないようでは、とても困る。それが立場を守るということだ。
貴族や軍人となれば、そうするに当たって条件や制約も増える。そういうことなのだろう。
そうであれば、最も高い位置に居る国王は、問題の王子たちの親である国王は、本当のところで何と言いたかったのだろう。
人の繋がりという部分で考えることが多いと、ボクには少々難度が高い。頭の中がぐちゃぐちゃとしてきて、胸ももやもや気持ち悪い。
「アビスくん、姿勢を低く。国王陛下だ」
「えっ?」
振り返ると、確かにボクたちの居るほうに国王がまっすぐ歩いてくる。さっきまでと同じく、プロキス侯爵ともう一人に手を貸してもらいながら、自分の脚で。
姿勢を低くって、膝を突けばいいのかと思って見ると、男爵は右手をお腹に当てて軽く腰を折っていた。いやに略式だけれど、これを真似ればいいのかな?
「いや、そのまま。みな、そのまま」
「急の時である。陛下のお許しもあった。全員、礼は不要である!」
ああ。戦場だから、いちいち畏まったことをするなということか。なるほど一つ勉強になった。
何もしないままぼけっと突っ立っているボクの目の前に、国王が立ち止まる。
その後ろにワシツ将軍の姿も見えた。
「――うっ」
「どうか、したかな?」
これは何だ――。
覇気など消え失せた普通の老人だと、遠目にはそう見えた。いや辺境伯と向き合っている時には、間違いなくそうだった。
それが今は全く違う。
背丈がボクよりも頭二つ分も高いから、豪華な衣装を着ているから、国の重鎮が傍に居るから、そんなことは全く関係ない。
ほんのりとだが、微笑んでくれている。手は相変わらず杖に乗せられたままだ。
それなのに、大きくてどうしようもない。ただそこにあるだけなのに、圧し潰されそうだ。
ボクはまず、そう感じた。
例えば実際にすぐそこにある岩盤回廊。あれはどうしてそこにあるのか、ただ一つの巨大な岩だ。その中をくり抜いた洞門を通り抜けるのに、歩けば二時間以上もかかってしまう。
そんな途方もないひと塊を見て、ボクはその大きさを意識する度に圧倒される。
いま国王に感じているのは、それにも倍する威圧感だ。
「いえ――お初に、お目にかかります」
「これは丁寧なことだ。痛み入る。さて早速で悪いが、少し聞かせてもらいたい」
「え、ええ。な、な、何なりと」
恐ろしさに震えが走る。
これがハウジアを統治する国王の覇気なのだと、ボクは知った。
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