第218話:頼むべき人

 どこから来るのだろう。

 西か、東か、山か、海か。まさか空から?

 ぐるりと見渡しても、苦し気な仲間たちと暗鬱な敵方ばかりだ。目新しい物はない。


 ボクの言ったことに、意味などほとんどないだろう。死にたいと望むのでもなければ、耐えるしかないのだから。

 ここはもう、この場にない何かが投入されなければ、こちらの状況が明るくなることはない。半包囲はじりじりと縮まっていた。


 実際の時間にすれば、ほんの数分だっただろう。

 月並みな感想ではあるけれど、いつまで耐えればいいのかと苦しくて、よもや未来永劫このままなのかと思えるほどの時間に感じた。

 実際には圧し潰されてしまえばそれまでなのだから、永遠にそれが続くなんてあり得ないのだけれど。


 ともかく光明が見えた。いや、聞こえた。

 東の方向から、勇壮な雄叫びが何度も繰り返されている。それはまた、こちらに近付いてきてもいた。

 ワシツ将軍とメルエム男爵。二人の率いる部隊だと、旗や軍装で分かる。


 辺境伯の側からいくつかの号令が飛んで、防衛の陣が敷かれる。ボクたちの周りからも、ギールの密度がぐんと減った。


 突破されるとは思っていなかったのか、急な指示だからか、二つの部隊はその防衛もぐいぐいと押し返す。

 瞬く間に、ボクたちの声も届くくらいにまで将旗が近付いた。


「将軍! ワシツ将軍!」

「……おお! 無事であったか!」


 切り結んでいたギールを柄で押し返して蹴り倒し、将軍の剣はその胸を一突きにした。

 厳しい顔ではあったけれど、表情に痛ましさは感じられない。熟練の職人、例えばアッシさんが武器を見て槌を持つ時のような。

 素人には何をどう触ってよいかも分からないところに、やるべきことを見出す熟練の目だった。

 ギールや他の兵士を薙ぎ倒しながら、ボクのほうへと寄ってくる。


「何よりだ。それで、辺境伯は何処いずこに?」

「あちらですけど、見えなくなってしまいました」


 辺境伯はしばらくそこに留まっていたが、少し前に移動してしまった。

 ボクを見て自分の胸を叩き、指で地面を指した。何か言いたいことがあるのなら、俺の目の前まで来い。きっとそういうことだろう。


 移動した方向は分かるので、そちらをワシツ将軍に言った。


「むう――王子殿下の御座おわす方向だな」


 その方向には、王家の紋章が見えた。旗の装飾の色で、国王とか王子とかの身分が分かるらしい。


「将軍! アビスくん!」

「おお、貴殿も息災か!」


 メルエム男爵も、こちらを見つけてやってきた。ワシツ将軍もそうだったけれど、直衛の兵の一人さえ付けていない。


「将軍――暢気なご様子で安心致しました」

「はっはっ! いちいち鬱々とやっていては、この歳まで現役ではおれんよ」


 二人が戦列を離れたことに気付いたそれぞれの部下の人たちが何人か、ボクたちを取り囲んでくれた。

 井戸端会議と洒落込むわけにはいかないけれど、落ち着いて情報交換くらいはさせてもらえそうだ。


「貴殿、指揮はいいのか?」

「残念ながら、私の部下はもうほとんど残っていません。この周りに居るのが精々です」

「そうか――」


 指揮はいいのかという質問は将軍もそうだろうと思うのだけれど、男爵と違って自分の部下ばかりの将軍ならば、代わりをやってくれる人も居るのだろう。


 元々が港湾隊の隊員たちは、こちらに来ていない。ミリア隊長たちと、ペルセブルさんが護衛にと無理やり付けた二十人ほどだけだった。

 あらためて周りに居る兵士たちの中に、港湾隊の装備を着けている人を探してみる。一人、二人――三人。

 それで全員だった。


「ユーニア子爵も戻られましたし、警備隊の指揮をお返ししたので、めでたく自由の身です」


 自嘲気味に言う男爵だったけれど、こちらは痛ましくて見ていられない。

 自分の周りの部下が倒れていくのを、直接に見るのはつらいだろう。死地に置いてきたペルセブルさんたちのことだって、同じようにつらいだろう。

 港湾隊が隊員を派遣したのは、男爵を捜索するためだった。成り行きとはいえそのまま連れ回して死なせてしまうとは、耐え難い苦痛だろうと察して止まない。


「そんなことより、どうしてまだこんなところに居るんだ」

「ええと、まあ……」


 サバンナさんの背中に、フラウが居るのを見つけた男爵は即座に言った。

 それはそうだろう。逆の立場ならボクだって言う。とっとと逃げろ、と。


 フラウの目を覚まさせるのには、辺境伯の施した呪縛を解かなければならない。そう説明すると、皺を寄せた眉間に手を当てつつ男爵はため息を吐く。


「ああ、男というのは、どうしてそう──」

「まあそう言うな。貴殿に言われては儂も擁護しにくいが、存外に男とは女々しいものだ」


 おや。将軍は辺境伯の全てを否定しているわけでもないらしい。少し意外だった。

 奥さんを大切にする人だから、ユヴァ王女の件を自分のことのように思うというなら分かるけれど、フラウのことはまるで逆の話だ。


「まあ私がとやかく言うことではありません。どうであれ、辺境伯には矛を収めていただかなければなりませんし」

「ああ、それはもちろんだ」


 頼もしい二人が言って、安心感はあった。でもボクが期待した人ではない。

 一体あの人は今、何をしているんだろう。もしかするとまだ、西で戦っている中に居るんだろうか。

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