第167話:辺境伯は謳う
北西から北東方向には、色とりどりの旗がいくつも見えた。例の子爵たちの旗だ。
反対を見れば、ボクたちがどこに行ったのか見失った――或いは諦めたと思っていた、リマデス辺境伯の軍勢もこちらを睨んでいる。
「行方を眩ませたと見せて、子爵たちをお誘いに行っていたにゃ。そうしたらこっちの居場所を、正確に割り出せるっていう計算もしていたにゃ」
この期に及んでまだ暢気な口調で、団長は答えを明かしてくれる。
誘いにというのは実際のところ、脅しになのだろう。であれば確かに、辺境伯自身が行かなければ意味がない。
目的からすれば、たくさんの護衛を連れて行くのも都合が悪い。
「あくまで第一目標は、フロちということにゃ」
「そんな。ここまで来て、これ以上何をさせようと言うんです」
「それはリマっちに聞いてほしいにゃ」
聞いてみれば、そうだったのかしまったとある程度納得がいって、気付けなかったことを悔やみもする。
でも数万の軍勢が実際に動いて、首都の陥落も十分にあり得る状況の中にあって、まだそんなことを考えているなんて。
そこまでと思っていなかった。
「おいでなすったにゃ」
ボクはいつの間にか、フラウを抱きしめていた。
腰を引き寄せて、頭を抱えて。他の誰からもフラウが見えないように。
そんなことは無理なのだけれど、たぶん無意識にそうしていたのだろう。
団長の見ているほうを、ボクもフラウも見た。
フラウは一瞬で体を強張らせ、すぐに目を背けてしまった。でもボクは――いや、だからこそ。しっかと目を見張ってその人物を見た。
「あれがリマデス辺境伯、ですか」
「そうだにゃ」
体躯は大きいけれど、巨漢というほどではない。上半身も下半身もバランスよく鍛えられているようで、腰にある剣を振るえば切れのいい斬撃を繰り出し、かと思えば存分に体重を乗せた渾身の一撃も放てるだろう。
高位の貴族を示す
その下に隠されることになる顔。
年齢は三十代半ばと聞いているけれど、二十代でも通用するかもしれない。でもそれは軽々しい雰囲気ということでなく、単純に肌の張りとか目の輝きなどがそう見えるということだ。
逆にここまでのことをする人間が、意思の表れる場所をそんなで保っていることが恐ろしいと言えるのかもしれない。
意思に衰えがなく、壮年の充実した経験と知識と技で野望を成す。そうしたくとも出来なかった権力者は、どれほど居るのだろう。
顎に髭が整えられている。髭は男から見ても不潔に見えることが多いけれど、あれは生え方にも恵まれていて、凛々しさを増すのに相当の効果があるだろう。
「フラウ!」
髭が動くのに伴って、いや逆だ。口と共に髭も動いて、辺境伯は大きく声を発した。
優れた支配者の第一条件は、声が大きいことであるとはよく言われる。
それが本当であるなら、これは素質があるのだろう。その声はとても通りが良くて、発音もいい。
奥行きがあるとでも言うのだろうか。この声を聞くと何やら理由もなく、そこに意味がありそうな気分になってしまう。
ボクでさえその一声でそこまで感じてしまったものを、フラウにはどう聞こえているのか。
フラウの体は小刻みに震えて、ボクの体にしがみついてくる。
「フラウ! そこに居るのだろう!」
強固そうな脛当てを付けた脚が、二歩前に出た。フラウがこれに対抗するには、自分で自分の体を抱きしめなければならないようだ。
体重をボクに預けて、なんとか倒れないではいる。
その姿が痛ましくてどうにかしてあげたいのに、もっと強く抱きしめる以外に何も出来ない自分に「くそっ。くそっ!」と悪態しか出てこなかった。
「何やら小細工をしたらしいな。待っていろ」
辺境伯は、背後に居る子爵たちへと向き直る。
広げられた両腕には分厚い肩当てと籠手が着けられて、同様の胸当てと合わせて動きやすさと防御力を兼ね備えた重戦士の出で立ちだ。
「さあ諸君、狩りの時間だ! と言っても、レフスを傷付けてもらっては困るがな」
白くか弱い小動物のレフスに例えられたフラウは息を荒くして、またびくと体を震わせた。
――違う。
「キトンとレダは狩り放題だ。存分に憂さを晴らすがいい! それに――功の多い者には、行く行くを考えてやろうじゃないか!」
脅されているだけのはずの子爵たちが、まるで我が主君に呼応するかのように、それが正義の戦いであるかのように、雄叫びで答える。
――これは、違う。
辺境伯は、都合が悪くて少人数で行ったんじゃない。
子爵たちなんか、それにボクたちなんか。三人でどうとでも出来ると思っているんだ。
いやもちろんあちらも人間である以上は、戦って全て勝つということではない。でも時には剣で、時には話術で、時にはまた別の何かで相手をやりこめることが出来ると考えている。
それが本当に可能かどうかは別にして、あの男は本当に本気でそう考えている。
あの目は、全てが自分の思い通りになると考えている目は。
ボクには見覚えがある。
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