第146話:ひとすじの光

「オクティアさんはですねえ、レリクタに居たんですよう」


 ペルセブルさんの持つ短剣など見えていないかのように、オクティアさんはつかつかと歩み寄ってくる。

 その目と表情はにこにこと笑っていて、どこを見ているとも分からない。


「止まれ!」

「待つにゃ」


 威嚇ではあるだろうけれど、切りつける素振りを見せたペルセブルさんの腕を、団長が止めた。

 オクティアさんはそのやりとりも意識した様子を見せず、ボクの目の前まで足を運ぶ。


「やっぱりフラウちゃんですねえ。とてもとてもお久しぶりですう」

「フラウを――知ってるんです?」


 この人もユーニア子爵に縁のあるはずだから、フラウを知っていることに不思議はない。

 でも今の言い分は、そういう意味には取れなかった。


「知っていますよう。フラウちゃんは、あのころとちっとも変わっていないですう。オクティアさんは髪がとても長くなったので、印象が違うかもしれないですねえ」


 伸びるがまま任せたような。それでいて、だらしないとかいうようなマイナスの印象を受けない豊かな髪を、オクティアさんは愛おしそうに撫でる。


 彼女はレリクタに居たと言った。きっとそれは、同じ時にフラウも居たということだ。しかしだからといって、今それを言い出す理由が分からない。

 そのころ以来で久しぶりに出会うから、声をかけるくらい普通だろうと?

 どうにも、この人の考えは読めない。


「あらあ? 何だか苦しそうですねえ。まだ縛られてるみたいですう」

「しば……あなたもそうだったんです?」


 オクティアさんが何を意図しているのか。ボクの中で、それはほとんど意味を持たなくなった。問題があるとすれば、彼女がフラウを危険な目に遭わせようとすることだけだ。


「そうですよう」

「どうやって解いたのか、教えてもらえますか」


 恐る恐る聞くと、彼女はあっけらかんとして「いいですよう」と言った。ただ、すぐに続けて「でもお」と翻す。


「どうやるのか、オクティアさんにも分からないんですねえ」

「ええ――」


 がくりと力が抜ける思いがした。

 そうだ彼女はこういう人だった。素でそうなのか、演技なのか。演技だとしてどうしてこんな面倒な性格を演じるのか。その辺りは、まるで分からないが。


「何か薬とかを使うんじゃないんです?」

「使いますよう。でもそれはあ、きっかけなんですねえ。オクティアさんが治ったのは、時間が経ったからだと思いますよう」

「それは、薬が切れただけということじゃなく?」


 オクティアさんは頷く。

 団長の活き活きとした笑顔とはまた少し違う、優しい微笑み。彼女の顔を見ていると、精緻な作りの女神像でも見ているかのような錯覚に陥りそうだ。


「指示を受けちゃうとですねえ、やってあげなきゃあって気持ちになっちゃうんですよう。怖いんですよう?」


 少し表情を引き締めて、といってもあくまで茶化すように、オクティアさんは言う。


 ……もしかして。誰の言うことにも影響を受けないように、もう縛られないように、彼女はそうしているんだろうか。

 他人の言葉に耳を貸していては、またいつそうなってしまうか。それが怖くてたまらないから。


「あなたは――」


 体力を失って、暴れる力もなくなったフラウ。それでもどこか動かないかと、意識はないのにボクから逃れようとしている。

 ボクはもう、フラウを押さえる手にほとんど力は入れていない。それでもフラウは逃れられず、抗うこともやめられない。


 何てむごいことを……。


 人は嫌なことを忘れるから、その場所から逃げ出せるから生きていられる。

 誰かに言われてそれがやるべきことだと、自発的に考えたように思わせられて。そう出来なくなっても、失敗だと諦められない。

 その先に待っているのは、体と心の破滅だ。


 フラウにそう思う気持ちが、オクティアさんにも当て嵌まる。

 だからオクティアさんを見ていると、知らないうちに涙がひとつ、こぼれ落ちた。


「……困った人ですねえ」


 微笑みを絶やさないまま。言う通りに困った顔も、そこに付け加えられた。

 オクティアさんはフラウの脇に膝を突いて、その頬を優しく撫でる。その意識はフラウに半分、ボクにも半分が向けられているのがはっきり分かる。


「そんなことじゃあ、助けてあげたくなってしまうじゃないですかあ」

「たす――え、助けるって。何か出来るんです!?」


 その質問には、首が横に振られた。でもボクの顔を見て、オクティアさんは言った。


「他でもない、フラウちゃんのためですからねえ。薬の中和くらいは、してあげられますよう」

「本当ですか――。それでも、それだけでも助かります!」


 ボクはどんな表情をしていたのか。喜んで、急いた気持ちだったのは分かっているけれど、自分の顔は分からない。

 分かるのは、それを見たオクティアさんに、吹き出して笑われたということだけだ。


「そこの君が持ってるのはあ、薬鞄ですよねえ。見せてもらえますかあ?」

「いいよお。役に立てばいいけどねえ」


 オクティアさんはすぐさまコニーさんの鞄に目を付け、中を漁った。いくつかの瓶を取って、地面に置いていく姿が何とも頼もしい。


 その作業の途中で、鞄に頭を突っ込むようにしていた彼女は顔を上げて言った。


「そういえば、君の名前は何て言いましたっけえ?」

「ボク、ですか? アビスと言います」


 前に名乗ったかどうか定かでないけれど、どうして今聞いたのだろう。その疑問の答えは、珍しくオクティアさんが示してくれた。


「アビスですかあ。それは良くない名前ですねえ。忘れられなさそうですう」


 彼女にしてはわざとらしく、ボクも忘れられなさそうな言葉だった。

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