第111話:黒衣の少女ー9

 随分と連れまわされるものだ。

 また別の場所へ移動して、正直な感想としてフラウは思った。ディアル侯爵の城から数えても、もう三カ所目なのだからそうも思う。


 ほんの少し前までならば、そのことに何の感慨も持ちはしなかった。

 でも今は違う。


「アビス――」


 彼が追いかけて来れなくなる。彼と会えなくなってしまう。

 そうでなくとも、アビスがフラウのもとを訪れる可能性はない。そうなるようにフラウ自身が話したのだ、自覚している。


「あの人が、余計なことを言うから」


 去り際に、あの団長は言った。アビスはフラウの同類だと。

 そうと裏付ける事実も語った。それが偽りである可能性も、もちろんある。でもあんな場面で、冷静に聞けば「そんな馬鹿な」と笑い飛ばされるようなことを言うものだろうか。


 少なくとも、フラウは信じた。信じたから、辛くなった。


 あのまま、ただの酷い女で居させてもらえれば。それに騙された、ただ純朴な少年で居てくれれば。もう壊れてしまえたかもしれないのに。


 もう一度会って話せば、何かが変わるかもしれない。


 それはとても薄い期待ではあったけれど、その可能性があるということにフラウは気付いてしまった。


 あてがわれた部屋にぽつんと置かれた椅子に座って、まっすぐ前を向いた頬に涙が一すじだけ流れた。


「可愛くなってしまったもんだな」


 不意にかかった声に、僅か腰がびくと震えた。しかしそれを取り繕うことも、涙を拭うこともせず、フラウは椅子を降りて低い姿勢で頭を下げた。


「どれだけ縛っていても、終いには勝手なことをしたがるのはお前も同じか。醜いもんだ」

「申し訳ございません」


 その男が具体的に何について言っているのかは分からない。それでも支配下にあるフラウにとって、叱責を受けたならば謝罪する以外の選択肢はない。


「ああ、すまん。お前個人を責めたわけじゃない。俺も歳を取って、随分と優しくなってしまったからな。むしろこう言って、お前の同情を買おうという卑しい魂胆かもしれん」


 男は「歳を取って」などという年齢ではなかった。フラウも正確には知らないが、三十を僅かに超えているくらいのはずだ。


 ただ男が言うように、フラウと接する時の態度や物言いの雰囲気は、違ってきているとは思う。優しくなったのでなく、より厭らしくなったというのがフラウの印象だが。


「傍に居たいと思えるような相手でも出来たか?」

「――いいえ」


 何ら態度を変えることなく、否定出来たはずだ。僅かな間も、質問を噛み砕くのに必要な時間でしかない。


「なるほどなあ。どうすればお前の鎖を砕けるのか、その手管を知りたいもんだ」

「そのようなことは」


 手管などと、そんな言葉でアビスを貶めるな。はっきりとではなくとも、フラウは男の言葉に心中で抗った。


「構わん、構わん。お前のお役目だけ、きっちりやってくれればな」


 フラウの心に鎖はかかっている。縛られていると、フラウも分かっていた。そうと言われれば、他のどんな思いも打ち消される呪縛の言葉が何なのかも知っている。


 現に今、アビスが僅かに緩めてくれていた鎖が、ぎちぎちと擦れる音を立てて締まっている。


「ご指示のままに、何なりと」

「次で死ぬとしてもか?」


 自分を傷つける行為を、厳しく律されている。この男に殴られたことは何度もあるが「死ね」と言われたことはない。

 身も心も、命そのものでさえ、フラウはこの男に委ねさせられていた。


「それがご指示であれば、他の何を左右するものでもございません」

「――そうか、分かった」


 男はそこで、初めて顔を歪めた。それまでは小馬鹿にしたような、薄い笑いを浮かべていたのに。

 金払いの良さをアピールしていた客に、支払う金が足りないと言われた時の飯屋の主人。ちょうどそんな感じだった。


「お前にいい仕事をやろう。それが終われば、お前は自由だ。どこにでも行くがいい。最後のお役目だ」

「それは――ありがとうございます」


 最後、と。男は言った。

 その言葉は、フラウの胸に一つの感情と思惑を促させる。それで私は自由になれるのかと、解放感も。


「内容はあとで伝えさせる。とりあえず、服を着替えて寝室に来い」

「畏まりました。のちほど伺わせていただきます、ブラムさま」


 扉のない出入り口から、男――ブラムは去った。数拍を待って、戻ってこないことを確認すると、フラウはすぐに夜着へと服を取り替えた。

 その胸に、アビスの名は欠片も浮かんでいなかった。

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