第94話:牧場の夜

 賑やかな物音で目が覚めた。木が軋んで、激しく壁を叩く音もする。

 寝ぼけてぼんやりした視界には、折り重なるように眠る山賊たちの姿が目に入った。


「夢かな……?」


 その時、音はしていなかった。具体的には、ボクがあくびをするだけの間。

 思いきり吸い込んだ空気に、妙な味が混ざった。


 煙?


「火事だ!」


 ボクが叫んでも、きっと火に怯えた動物たちの暴れる音がしても、山賊たちは起きる気配がない。

 それを蹴り起こして窓の戸板を開けたボクは、我が目を疑った。


 な……なんだこれ。


 横並びに見える母屋のほうが、煌々と赤い光を発していた。


 その対面には、たいまつを持った人たちが大勢居る。離れた場所に整然と並んで、こちらを眺めていた。

 と、その中の一人が大きな声を発した。


「構え!」


 よく訓練されているらしい揃った動きで、その人たちは弓を構える。


 たいまつを持った人たちがその矢に火をつけ終わると「放て!」の号令がかけられた。

 風を切る音がいくつもして、火矢はボクたちの居る建物の壁にも刺さった。


「何てことを……」


 こんなことを誰がするのか。それは考えるまでもない。

 あんな整った動きは、盗賊や山賊ではないだろう。いやまあ、どちらもここに居るけれども。


 どうしてばれたのかは分からないが、山賊たちを捕まえに来た兵士に違いなかった。

 振り返ると山賊たちはもうしゃきっとしていて、コニーさんと話していた。


「どうする?」


 問いはそれしかないだろうし、答えは


「逃げるしかない」


だった。

 数でも負けているし、正々堂々と迎え撃っても何も得がない。

 でも一つ問題があった。


「爺さんは大丈夫かな」


 持ち物であるこの牧場施設は、もうどうにも大丈夫でない。それはあとで考えるとして、まずはあの気のいい親子の命だ。


「君たちは教えてあげた道から、逃げるといいよお」

「君たちはって、コニーちゃんは逃げないのか」

「おいらはレンドルさんを助けてから逃げるよお」


 聞けばコニーさんもただここに寝泊まりしていたわけでなく、何かあった時の逃げ道を考えていたそうだ。

 もちろんこんな極端なことをされるとは予想していなかったようだけれど、充分に逃げ切れるらしい。


「コニーちゃんだけにさせられねえ。俺も残るぜ。なあサテ」

「そうだなルス」


 サテとルスが言うと、他にも「俺もだ!」と言い出した。


「君たちが居ると邪魔なんだよお。あの人たちの目的は、君たちなんだからねえ」


 コニーさんはばっさり切り捨てたが、確かにそうなのだ。大勢居れば良いというものでもないし。

 それにいよいよこの建物も、本格的に燃え始めたらしい。猶予はなかった。


「二度ならず、三度までもすまねえ。俺たちは先に逃げさせてもらう」

「そうしてください」


 ボクが言うと、親方は「行くぞ」と建物の奥へ消えていった。部下の山賊たちも、親方が断言してしまえば文句は言わない。

 親方の背中が辛そうだった。


「アビたんはいいのお?」

「レンドルさんたちを置いていけませんよ」


 コニーさんはにこっと笑って、母屋へと駆け出した。すごく頼りがいのあるその背中を、ボクも追う。


 建物同士は屋根のある通路で繋がっていて、距離も大したことはない。

 でも今は、屋根のあることが災いした。


 やはりボクたちの居た建物より先に母屋のほうへ火をかけていたらしく、既に燃え落ちている場所さえあった。

 崩落したからとすぐに火が消えるわけでもなく、それを避けながら進むのは厄介だった。


 いっそ外へ一度出たほうが早かっただろうけど、そうすると今度は兵士たちが黙って見てはいないだろう。


 くそっ、何なんだ!


 下手に口を開けることもできないせいか、気持ちが荒れてくる。

 山賊を捕まえたいのは分かるけど、こんなことをする必要はないじゃないかと怒りが湧き始めた。


 やっとのことで辿り着いた母屋の、玄関辺りを通り抜けようとした。

 太い梁や柱にも火が回っている中、レンドルさんが膝をついていた。


「レンドルさん! 早く逃げましょう!」


 叫んでもレンドルさんは動かない。その理由はすぐに分かった。


「イルスさん……」


 レンドルさんが見ている先の通路は、もう屋根が落ちて通ることは出来ない。轟々と燃えるその中に、倒れている誰かの脚が見える。


 仮にどうにかしてそこまで行っても、助からないのは明白だった。衣服はほとんど燃え尽きているのに、ぴくりとも動かないのだ。


「爺ちゃん行くよお!」


 レンドルさんの体を、コニーさんががくがくと揺すった。

 そうするとやっと、呆然としていたレンドルさんの表情に意思が見えた。


「むす……息子。息子よう……息子よう!」


 動物たちにも山賊にも、穏やかな声しか出さなかったレンドルさん。その絶叫がボクの胸に突き刺さった。


「爺ちゃん! 爺ちゃんまで逝ってしまうよお!」


 コニーさんがいくら引っ張っても、レンドルさんは動こうとしない。


 不思議とそこから、ボクが慌てることはなかった。妙に落ちついた気持ちで、まだ燃えていない壁にかかった大きなタペストリーを引き剥がす。


 それをレンドルさんの後ろの床に敷くと、コニーさんは訝しんだ目でボクを見た。

 レンドルさんはまともな判断が出来ていないと考えて、声はかけなかった。


 怪我をさせないように注意はしつつ、タペストリーの上にレンドルさんの体を転がした。

 ぐるぐる巻きにしたレンドルさんを肩に担ごうとして、脇腹に激痛が走る。


「あ……痛う……」

「怪我をしているのお? おいらが持つよ」


 今はそうするのが良いと、コニーさんも賛同してくれたらしい。レンドルさんの簀巻きを抱え上げてくれた。


「すみません。忘れてました……」


 薬のおかげで痛みを感じなくなっていたので、すっかり治ったような気でいた。

 しかし骨の折れたものが、そう簡単に治るはずはない。


 動ける程度に痛みがひくまで、少し時間を食ってしまった。

 そのせいでもないだろうけれど、コニーさんの確保していた逃げ道に行けるルートはもうないらしい。


 ただボクはそれがあったとしても、そちらに行く気はなかった。

 こんな非道をする人に、文句の一つも言わなければ。レンドルさんに対して謝罪の言葉を言わせなければ、気がすまなかった。


 コニーさんとボクは、待ち受ける兵士たちのほうへと建物を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る