第86話:夫人の呼出し

 海軍基地に行った次の日。早速に店舗から知らせが来た。

 店舗には仮雇いの店員さんも居るが、こちらに来たのは店主さんだ。この人はもちろん正式な団員でもある。


 その人曰く「急いでワシツ邸に来てほしいそうですよ」とのことだった。

 ボク宛なのは当たり前だが、もうワシツ家にも知れたのか。海軍の情報管理は大丈夫なのか?

 そんな不満を持ちはしたけれど、ワシツ夫人が呼んでいるのに無視するわけにもいかない。


 だからもう、ワシツ邸は目の前だ。

 門衛に立っていた二人のうち一人は、フィンさんだった。


「こんにちは。夫人がお呼びだと聞いて来たんですが」

「おお、君か。怪我はもう大丈夫なのか?」


 それはお互いさまでしょうと話していると、もう一人が確認に行ってくれた。

 その人はすぐに帰って来て、それからまたすぐ、コムさんが迎えに来てくれた。


「奥さまがお待ちだ」

「何かあったんです?」

「俺からちまちま聞くより、まとめて聞いたほうがいい」


 そう言われたので、おとなしくついていく。その途中、あの夜に大きな穴を空けられた壁を見てみると、既に塞がれていた。急拵えのせいで何とも不格好ではあったけれど、その用は果たすだろう。


 フラウ……。


 どうしても、その名前が頭に浮かぶ。

 違う、そんなわけない。と否定しようとしても、自分の頭にあるものをごまかせるはずはなかった。

 連れ去られる瞬間の、彼女の不安そうな表情が焼き付いて離れない。


 ――いつの間にか立ち止まっていたボクの肩を、横に立ったコムさんが、ぽんと叩いてくれる。

 コムさんは何も言わないまま、きっと彼にとっては精一杯の優しい表情で「まあ来いよ」とばかりに、親指で行く先を示した。


 ごっつい顔だな――。


 久しぶりに、愛想笑いでなく笑えた気がした。


 案内された部屋は、これまでに入ったことのない部屋だった。一応は応接室の体を整えてあるけれど、これも急拵えの感が否めない。


「奥さまはすぐにいらっしゃる」


 立ち去ったコムさんの言葉通り、夫人は五分と待たずに姿を見せた。

 一緒に来たアンさんは、部屋の入り口の脇に立っている。それはもちろん自分の主を一人にはしないだろうけれど、最初からアンさんがその役目をするのは、初めて見る。


「メルエム男爵が連絡をつけられると仰ったから、頼んでしまったの。急にごめんなさいね」

「これといってやることもなかったので、大丈夫ですよ」


 なるほど、あの店のことを夫人に伝えたわけじゃなかったのか。まあそれだけならば、言ってもらっても構わなかったが。


「早速なんだけれど、あなたのところで水や食料は都合をつけられるかしら。かなりの量になるのだけれど」

「食料というと、野菜とか肉とかですか?」

「まとめて持ち運んだり、保存をするのに適した物がいいわね」


 パンとか干し肉とかだろうか。そんな物ならいくらでも都合はつくと思うが、それはうちに限らず、どこでだってそうだ。どうしてわざわざボクに頼むのか。


「出来ると思いますが、普段お付き合いのあるところなんかはいいんですか?」

「そうね。一応は言ってみたのだけれど、色々と事情があって今は手が回らないらしいの」


 ワシツ家が懇意にしているとなれば、それなりに大きな商人だろう。それがそんなことも出来ないとは、首都の被害はそこまで大きかったんだろうか。


「専門ではないですが、何とかなるとは思いますよ。今回の被害者への救護措置か何かですか?」

「そう、良かったわ。ただしこの件は、あなた方の仲間内以外には絶対に漏らさないでほしいのだけれど。出来るかしら?」


 ボクの質問に、夫人は答えなかった。条件に従わなければ、用途など話せない。そういうことだろうか。


「脅すつもりはないのだけれど、事実を言うとそうなってしまうようなことをお願いしたいの。受けてもらえるかしら」


 何だその怖い脅し文句は。秘密を知られたからには生きて帰さない、とか。お芝居のセリフなんかでありそうだけれども。


 ボクたちは盗賊であって、商人ではない。盗んだ物を捌くのも含めて、何かと便利だからそういうこともしているだけだ。

 だから本来は、商機などどうでも良いのだ。


 しかし。団長からはこうも言われている。「秘密の匂いは、お宝の匂いにゃ。嗅ぎ取ったら逃がしてはいけないにゃ」と。

 もちろんそれは手放しにではなく、危険の臭いも感じなければならない。が、ボクはそういう方面が苦手だ。


 しかし今回の件は、問題ないだろう。胡散臭い話には違いないが、何しろ相手はワシツ夫人だ。少なくとも真っ当に要求に答えれば、悪いようにはしないだろう。


「分かりました。出来ることに限界はありますが、そこまでなら何なりと」

「本当に? 良かったわ。これで何とか目途がつくかしら」


 食料くらいで、などと言っては語弊があるが、そう言いたくなるくらいにワシツ夫人の様子は意外なものだった。


 ハウジア王国は、大陸でも貧富の差が少ないほうだ。

 それは最も金持ちと最も貧乏人となると比べるべくもないが、家を失くす人は居ても飢えて死ぬ人は少ないと聞いている。


 その国の将軍たる人間の妻が、心底安心したという表情を浮かべて発する言葉ではないと思ったのだ。


「そんなに期待してもらうと、出来るかどうか不安になりますね。細かい数字はあとにして、大体どれくらい必要なんです?」


 その質問に対する夫人の答えは、ボクを戦慄させるに十分過ぎるものだった。


「三千人が、二カ月を戦い抜けるほどです」

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