第79話:ひと幕の終わり

「髪を――切ったんですか」


 フラウの手に、それからシーツの上に、大量の髪が散らばっている。

 残った髪は肩までも届いてなくて、まるで罪人がそうされるように、長さも全くの不揃いで切られていた。


 ボクの質問に、しばらく答えはなかった。

 顔色はそのままだったけれど、意思が抜け落ちたようだった顔に表情が戻っていく。

 僅かな時間に絵物語を次々見せられたようで、今見たものは現実だったのかと疑いたくなる。


「――ええ。あなたは来て――何を、しているの?」


 そう言ったところで、まだ頼りなげな印象もあった表情が、ボクの知る普段のフラウに戻った。具合の悪そうな顔色以外は。


「聞きたいことがあって」

「……そう。何かしら」


 ボクは今、何かを間違えたのか?


 ほんの一瞬、暗い影が差したように見えた。

 しかしそれについて考える時間はない。異変を捜索する声は、あちこちに広がっている。


「たくさんあるんです、本当は。でも今は、一つだけにしておきます」


 壁にもたれかかっていた団長が静かに部屋を出て、扉を閉めた。するとすぐに、部屋の前で戦う音が始まった。


 急げ。そして慌てるな。これを言ったのは団長だったか、トンちゃんだったか。

 あれこれ考えながら話すボクを、フラウが見ている。首を傾げて、口元を綻ばせて、「なあに?」と表情が語っている。


「フラウは……あなたは、誰ですか」


 言った。

 まず何を聞くべきか、ずっと考えていた。でも今の今まで、決められなかった。だから団長とトイガーさんに聞いたことを思い出して、聞くべきなのはこれだろうと、絞りだした。


「ああ……あなたはきっと、知ってしまったのね。色々と」


 フラウの目が、伏せられた。けれどもまたすぐ元に戻って、何かすっきりしたような笑顔になった。


「ええ。大枠くらいは」

「あなたが聞いた通りよ。私は酷い女。人を騙して、殺して。何人を相手にしたか分からないくらい」


 声がかすれていて、合間に咳を挟むので格好にはならない。でも吹っ切れたように、フラウは語る。

 もう隠す必要がないから。何でも言える、か。


「あなたのことも騙して使おうと思ったのだけど、計画のほうが変わったみたいなの。残念」


 メルエム男爵やデルディさんと話していた時のように、流麗な動作は相変わらず美しい。月光を背負って語る姿は、贅沢な独り芝居を見ているかのようだ。


 ボクはそれを正面の目の前で観覧していた。それが段々と端の席に移り、後ろへと下がり、ついには劇場の扉を開けて体を外へと出してしまった。

 いやもちろんここは劇場でなく、フラウの居る部屋のままだ。ボクの心の所在について、あえて表現すればという話だ。


「だからあなたも、私に関わる必要はもうないわ。良かったわね」


 にいっと。悪魔が本性を現した時は、こんななのかと思わせる笑みだった。冷たく、白く、恐ろしげで、悲しい。真っ赤な口の作る、嘲笑。

 見逃してやるから失せろ、ってことか――。


「分かりました」


 部屋の扉が開いて、団長が飛び込んで来た。

 団長は続いて入ってこようとする兵士たちを蹴り飛ばすと、扉を閉めて掛け金をかける。それから火かき棒をノブに引っ掛けて、即席の閂にする。


「アビたん、もう持たないにゃ」


 団長には、まだまだ余裕がありそうだった。無意味に人を傷つけるのを好まないので、それが限界ということだろう。

 いいタイミング。ではないのだろうが、ここに居る理由はちょうどなくなった。


「了解です。行きましょう」


 団長はボクとフラウを交互に見て、にゃんと笑って言う。


「お別れくらい言って行くにゃ」


 そんな暢気な。

 でもまあそれくらいはしておかないと、言っておくべきだったと後悔するかもしれない。

 この期に及んで、ボクが彼女に言えること――。


「さようなら。せめて、元気で居てください」

「ええ、ありがとう。あなたもね。さようなら」


 フラウはそれ以上、何をする気も、何を言う気もなさそうだった。手を振ろうと思って、やめた。

 それはあまりにも親しげで、この場にそぐわない。


 窓と鎧戸を開けていると、団長がフラウに何やら耳打ちしていた。


「何です?」

「女同士の秘密にゃん」


 何だかな。女性というのは本当に──ボクにはさっぱり分からない。


 開いた窓の外に向かって、団長が「なぁご」と鳴いた。高音の、ハンブルには聞こえない声。

 もう一度、振り返った。フラウはボクがさっきまで居た位置を見たまま、こちらを見ようともしない。


 もう、会えませんね。


 団長が出て行ったあとを追って、ボクも窓から飛び降りた。足元にはサバンナさんが見える。


 まだそれほど数の出揃っていない兵士を蹴散らしながら、サバンナさんの走るあとを追う。

 庭の奥にある立ち木の多いエリアに飛び込んで、たくさんの茂みをかきわけているうちに団長とサバンナさんの姿を見失った。


「こっちにゃ」


 焦る間もなく、団長が声をかけてくれた。

 何やら文字のたくさん書かれた、石碑のような物の下に階段がある。そこに二人は居た。


 ボクもそこに入って、サバンナさんが仕掛けの鎖を引くと、砂を噛む音だけをさせて石碑が元の位置へと戻っていく。

 ボクにはそれが、美しい主演女優による舞台の閉幕に思えてならなかった。

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