第76話:ずぶ濡れ
「そこにゃ」
団長の指した先に、素直に踏み入った。それまで鮮やかに瞬いていた星空が、滲んだようにぼやける。
深っ! 何だこの水量は。ここに水嵩が増える魔法でもかかっているのか。
とか考えるボクは、まだ余裕がある。手をかいて顔を水面から出した。何のことはない。団長の言った場所から深みになっていて、沈んだだけだ。
視界がぼやけた理由はそうだが、水量はどうして増えているのか。驚きから立ち直って考えてみると、体の上のほうを流れる水よりも足元を流れる水のほうが少し温い気がした。
今度は息を大きく吸って水に潜ると、屈んでなら入れそうな水路が横に広い口を開けている。どうやら街中の方向に向かっているらしい。
なるほどこれが出口で、ボクたちにとっては入り口か。
納得して水路に入ると、団長とサバンナさんも続いて来た。やはりここで間違いないらしい。
しかしあまり長いと息が続かない――。
その心配は空振りに終わって、ボクの背丈ほども進むと天井が広くなった。それでも流れに逆らって進んだから、長くは感じたけれど。
「これは排水路ですか」
濡れた服を絞っている団長に聞くと、最後にぶるっと体を震わせた。
「そうにゃ。堀も沢も綺麗だったにゃ? だからどこかにあると思ったのにゃ」
「確かに、いずれは川に戻すしかないですよね」
山賊たちは排水路から町の外に出した。ならばその逆も当然に可能だろう。まあ首都の場合は色々仕掛けがあって、無理なんだけど……。
感心は歩きながらでも出来るので、まずは歩いた。町全体が平べったいので、さほどの高低差もない。鉄柵はあったがサバンナさんが切るまでもなく、腐っていた。
むしろそんなものよりも、この通路を漂う臭いのほうがまずい。
カビや苔の臭いと、腐った肉のような臭い。それ以外にももう何の臭いやら分からないものが混じり合ったこの通路の空気は、鼻のいいボクたちにとって毒ガスと呼んでもいいくらいだ。
鼻と口を手拭いで押さえても、何だか目にまでしみてくる。空気穴はあるみたいだけど、臭気を抜くまでには至っていないらしい。
さすがの団長も、ここでは口を開かない。目を細くしながら黙って歩いていた。
かなりの距離を進むと、大きな部屋に出た。特にこれという特徴もなく、ただ通路の幅を思い切り広げただけのような。
「排水が多い時は、この通路全部が水路になるんじゃないかにゃ」
ここまで来ると臭いもあまりなくなって、ボクの質問に団長も安心して答えてくれる。
「通路全部――ああ、万が一それでも溢れたら、この部屋で溜めるということですか」
「そうだと思うにゃ。だからこんなところにお宝はないにゃ」
そんな物を探した覚えはないんだが――これで反論すると、そこからまたからかわれる。そういう罠だ。
「ああ、でも隠し部屋なんかがあればそうでもないかにゃ」
「え、そういうこともあるんですか」
「嘘に決まってるにゃ。いつ大量の水に浸かるか分からないところに、扉なんか付けないにゃ」
やられた。警戒していたのに。「あう……」と、絵に描いたような呻きしか出ない。
「それはともかく、おかしいにゃ」
「何がです?」
ともかくと言っておいて、またからかわれるのだろうか。聞く耳を持ちつつ警戒を解かないというのは、なかなか難しい。
「警戒してる様子がないにゃ」
「見回りなんかが居ないってことです? ううん、そうですね。街にも普段から居るんだろうなって人しか居なかったし。でもボクたちのことを知らなかったら、警戒しないんじゃ?」
ボクは警戒していますけどということは別にそう思ったが、どうも団長は納得がいかないらしい。
「知ってると考えるほうが自然にゃ。フロちを匿ってることを除いてもだにゃ」
「だからおかしいと」
どうしてそれが自然なのかは聞かなかった。聞いたほうが自分のためになるのはもちろんだったが、ボクたちは既に潜入しているのだ。そんなことで時間を無駄にしたくはない。
「警戒されていないことを警戒しながら行くにゃ」
どうにも妙な話だったが「分かりました」とは返事をする。
しかしそこからも警戒されている様子はなかった。鉄柵状の扉に鎖はかけられていたが、これはいつもそうしてあるのだろう。
最後にまた水路に入って、そこから地上に出た。さすがに施設内にある排水路の入り口には、見張りの一人くらい居てもおかしくないだろう。
顔を出した場所は、屋外にある噴水のようだった。ボクはてっきり市長の館の中に出るものだと思っていたのに、違うらしい。しかも、どうにも見覚えがない。
「お城の庭にゃ」
さらりと言った団長に、ボクは危うく「何ですって」と叫ぶところだった。
「どうして城に。フラウが居るのは市長の館でしょう?」
「騙されたと思って、一緒に行くにゃ」
はいはい。そう言うと思いましたよ。
元よりそのつもりではあるので異存はない。
「じゃあ頼むにゃ」
「お任せに」
親指をぐっと立てて言ったサバンナさんは、一人でどこかへ行ってしまった。
「帰り道を探しに行ってくれたにゃ」
「なるほど」
脱出も排水路を使うのだと思っていたが、違うらしい。これも聞きたかったが、まずは自分で考えるとしよう。
やれやれ、どうも今日は宿題が多い。
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