第75話:鉄斬り

 支流は街道とは、明後日の方向に走っていた。市門からの視線が切れると、団長はいつも以上の快足な快速でそれを追いかける。

 何か目的があってのことなら別に手拭いの一枚くらい失ってもいいのだけれど、ボクに損をさせないために急いでいるということでもないようだった。


「ここみたいにゃ」


 いくつかの小さな林を抜けて団長が足を止めたのは、それまでと何が違うのかさっぱり分からない場所だった。

 周囲の草木が多いのか少ないのか、沢の中の石の量や地質が違うなんてことはあるだろうが、それが何かに関わっているとも思えない。


 強いて何か挙げるとすれば、街中を流れている時は路面よりも子どもの腕一本分ほど低いだけだった水面が、市門の下をくぐった直後から大人も這い出ることが難しいくらい低い位置になっている。

 しかしそれだってこの周囲に比べて、今居る場所が飛び抜けて違うということはない。


「ええと――何が、ここなんです?」

「入り口。じゃなくて出口にゃ。あたしたちとしては、入り口にゃん」


 入り口ではなく出口だけれど、入り口? なんだそりゃ。


 往々にして何かの出入り口とはそういうものだろうけれど、ここには全くそんな物は見受けられない。

 支流の沢はただ色の深みを増して流れるだけだし、その他に建物はおろか、例の山賊たちが根城にしていたような洞窟もない。


「遅くなると入れてもらえなくなるから、そろそろ戻るにゃん」

「はあ……」


 計ったように――団長が走る速さを考えたとは思うが――流れてきた手拭いを、長い枝を拾ってすくい上げた団長は、ボクの困惑などお構いなしにさっさと市門へと戻っていった。




 予想通りに種明かしはしてもらえず「あれは何かにゃ、何かにゃ?」とからかわれたまま、日が暮れて深夜になった。

 宿の鎧戸を音もなく開けて、団長は夜の街へ降り立った。もちろんボクも、合図をもらって外に出ている。


 まず団長は細くも良く通る声で「なぁお」と鳴いた。散歩に出かけるキトンが、一声鳴くのと同じだ。


 それから裏路地を通って大通りの傍まで行くと「行くにゃ」と振り返ってから、支流に向かって走った。

 その姿はこの時間を考慮しなくとも、人通りなど全くないことを考慮しなくとも、誰の目にも止まらなかったかもしれない。


 そこを通ると目を凝らしていなければ、何かが通っただろうかと訝しむことも出来ないだろう。それほどの速度だった。

 それには全く及ばないながら、ボクも続く。ボクが走るのだって、普通にハンブルが走るのと比べれば格段に速いのだ。音もしなければ、曲がりなりにも気配を窺って気配を消すことも知っている。


 沢に降りると、団長は四つん這いの姿勢で待っていた。ボクも倣うと、すぐ目の前が水面になった。

 走るのと泳ぐのとの間みたいな格好で、団長は進む。向かう方向は、やはり日中に様子を見た市外のほうだ。


 ボクは団長のように優雅には出来なかったので、諦めて普通に泳いだ。ここで音を立てていては意味がない。

 市門の手前で、沢は石畳の下にもぐる。そこから立って歩き始めたが、何だか足の裏の感触が違う。どうやら街中の沢は自然のままにように見せて、嵩上げなどの工事をしてあるらしい。


 相変わらずどうする気なのか分からないが、問題なく移動することは出来そうだと思った途端、目の前に壁となるものが現れた。

 壁ではなく、柵なのだけれども。


 ボクの指で四、五本分くらいの太さを持つ鉄柵が、水の流れ以外は決して通さぬという威厳を見せつけるかのように植えてあった。

 上下はセメントで固めてあるようで、多少揺すったところでびくともしない。

 まあ、当然あるよな。じゃないと門の意味がなくなってしまう。


「どうすれば――」

「待ってればいいにゃ」


 水の中なのだからこの鉄柵が腐るまで待てと、そんな勘違いはさすがにしない。あまりに姿が見えないから忘れそうになっていたが、ボクは団長と二人旅ではなかったのだと思い出した。

 間もなく下流から、ざざと音を立てて誰かがやってくる。


「待たせたですかに」

「今来たところにゃ」


 なんだ、ここは待ち合わせの定番なのか。


 場違いな挨拶はそれくらいで聞き流すとして、そこに現れた人にボクは驚いた。


「サバンナさんじゃないですか」

「久しぶりだに」


 この柵があることを予想していたから、どこか近くで身を潜めていたに違いないサバンナさんに、団長はどこかのタイミングで連絡していたのだろう。

 それこそ鳴いて伝えれば、そのままずばりを言ったってハンブルには分からないのだ。


「ん、これは邪魔だに」


 女性でありながらもシャムさんより大きな体を、サバンナさんは鉄柵にぶつけた。そもそも今ここに居るのは、これをどうにかするためだったはずだが。

 サバンナさんは、両腕と下半身の全てがキトンと同じようになっている。それに首回りも。

 その膂力は団員の中でも一、二を争うものだが、最大の武器は別にある。


 職人さんが薄い張り板を刃物で切ったような、小気味いい音が二度聞こえた。鉄柵の一本を支えていた団長が、それを外してボクに差し出す。

 単なる鉄の棒となったその先は、まるで砥石でもかけたかのようにつるつるだ。


「相変わらず、怖いくらいの切れ味ですね……」

「まあに」


 褒められたとも思っていない様子のサバンナさんは、その恐ろしい爪で鉄柵を次々に切り取っていった。


「これはここに置いていくんですね?」

「その通りにゃ」


 転がってしまうと大きな音もしてしまうので、鉄棒はうまく岩に引っ掛けて置いた。


「これで外に出られますけど、それでどうするんです?」

「ありゃ、まだ分かってなかったのかにゃ。まだまだだにゃ」


 団長が言うと全く嫌味には聞こえないのだけれど、言われている内容はやはり喜ぶべきものではない。「すみません」としか言えないでいると、サバンナさんが肩をばしばしと叩いてくれた。

 慰めてくれてはいるんだろうけれど、痛いなんてものじゃない。


「言ったにゃ? あそこがあたしたちの入り口にゃ」

「言いましたけど」


 団長が言うからには、そこに入り口とやらがあるんだろう。ボクとしては、そこを疑う気は毛頭ない。


「行けば分かるにゃん」


 そう、団長の言う通りだ。団長がそうだと言えば、そこはそうなっている。それがまた証明されるだけだ。

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