第71話:彼女は今

 新街区の中でも酒場のある通りに近い、それほど裕福ではない住民の家が集まっている辺り。ここにもミーティアキトノのアジトがある。


 アジトといっても周囲と同じで小さな家だから、団員が大勢で集まるのには適していない。無理をしても五、六人が生活するのがやっとだろう。


「居ますか――」


 入り口の扉を開けて、小さく声をかけた。

 居ても気付かないだろうと言われそうだったが、女性が一人で居るところに入るのは気後れしてしまう。


 寝てるのかな?


 それにしても静かだった。どこか近所で井戸端会議をする奥さまがたの話し声や、その周りで遊ぶ子どもたちの声が聞こえていて、この家の中にはそれに勝る音量は存在していなかった。


 ここに居るはずの人物を思うと、想像出来なかった事態だ。


「メイさん――?」


 さっきよりももっと小さな声で呼びかけながら、奥の小部屋の扉を開けた。


「なんだ。寝てるんですか」


 メイさんは寝相が悪い。寝言もかなり言う。別におかしな意味じゃなく、アジトにみんなで居る時には雑魚寝が当たり前だから知っている。

 それが今は薄い毛布をかけたまま、静かな寝息だけを立てて眠っていた。


 医療の心得がある団員の見立てでは胸と左腕の骨折の他に、どこか内臓も痛めているらしい。

 それでも死ぬことだけはないから養生すれば大丈夫とのことで、メイさんがここに居る間、団員が交代でお世話をすることになった。


 今のアジトもそれなりだが、以前のアジトはかなり広かった。そんな中に何人の団員がどこでくつろいでいるかなど、誰も把握してなんかいなかった。


 それでも普段なら何か緊急事態であれば、それぞれ自分で何とか出来る人たちばかりだ。しかしあの時。建物が爆破された時には、あの黒い服の奴らの襲撃があった。


 シャムさんが戦ったウナムや、そこに現れたクアトたちだけでなく、団長も含めてみんな誰かと交戦していた。

 もちろん、戦うことが得意な団員ばかりじゃない。戦闘で殺されることはなかったけれど、怪我を負った人は居た。


 メイさんはそれを見落としのないように、全ての部屋と全ての通路を見て回ってくれた。

 当然ながら分担はしたけれど、最も多く回ってくれたのはメイさんだ。しかもそれを終えると、肩を貸し合いながら避難するみんなの後ろを見守ってくれていた。


 それで結局のところ逃げ遅れて、降り注ぐ瓦礫に飲まれたのだ。

 最初のうちこそ、巨大な瓦礫をも「みゅうう!」と砕いているのが音で分かった。でもそんなことが、ずっと続けられるはずはない。


 崩壊が収まって、みんなで必死に掘り起こした。

 見つかった時、分厚い板状の瓦礫を盾にした格好のまま、血の海の中に気絶していたメイさんの姿は忘れられない。


 団長が大きく息を吐いて、メイさんを抱き上げて運んだ。団長の真面目な顔を見ることは稀にあるが、あんな表情は初めてだった。


 怒っていたんだろうな――。

 その対象が誰なのかは、分からないけれど。


 部屋の中を見回すと、日持ちのするおやつ類がたくさんあった。そびえていると表現していいほどの、山になっていた。

 これもメイさんの居る部屋では、あり得ない光景だ。こんなもの、普段のメイさんならば数分ともたない。


「うみゅう……」


 横を向いて寝ていたメイさんが、仰向けに寝返りを打った。顔を見ると、あぶら汗が浮かんでいる。


 拭いてあげたほうがいいよな。


 痛みはあっても、薬の効果で眠っているのだろう。それをどうにかしてはあげられないけれど、汗を拭いて気持ち良くしてあげるくらいは出来るはずだ。


 家屋の入り口にある水瓶に自分の手拭いを浸けて、軽めに絞った。それを使って顔や首すじを拭く。

 でも、メイさんの表情は険しいままだった。


 汗なのかよだれなのか分からないもので汚れた口元を念入りに拭いていると「お腹空いたみゅう」と、メイさんが言った。


「トイガーさんの言った通り、元気そうですね。次はお菓子を持って来ますよ」


 声をかけてみたけれど、もちろん返事はない。


 顔つきや口元。もっとあからさまに言えば、胸の膨らみなんかの体つき。子どもっぽい言動ばかりのメイさんだけれど、見た目だけでいえばいかにも女の子だ。


 対してフラウは、当人に言えば怒られるかもしれないが、その逆と言っていいだろう。

 女性とみれば欲情するようなことはボクにはなくて、単に見たままを記憶しているだけだ。あの店とその店の看板は形が違うと言っているのと、何ら変わらない。


 そのボクをして、目の前で眠っているメイさんがフラウに見えてならなかった。

 拭いてもすぐに汗ばむ、苦しそうな顔。話しかけても碌な反応のない姿は、あのさらわれた時の情景から、容易に想像出来てしまう。


「でも違うんですよね……」


 トイガーさんの話の通りならば、そうなってはいない。もしかすればボクを指して「馬鹿な奴ね」と嘲笑っているかもしれない。

 想像してしまって、想像するんじゃなかったと後悔する。


「みゅう……」


 目を瞑ったままのメイさんが、また声を漏らした。


「メイさん――ボクはどうすればいいんですか。フラウが何者なのか聞きに行くとは言ったけど、それが分かるまでボクは、どう思っていればいいんですか」


 言わずにいられなくて、眠っているのをいいことにメイさんを懺悔に利用した。


「何者か分かったところで、ボクはそれ以上に何をすればいいんですか――ボクなんかが」


 吐き捨てた言葉から逃げるように、ボクはメイさんの居る家屋をあとにした。

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