第5章:黒き御使の聖譚曲(この章にはハードな表現があります。ご注意ください)

第63話:御使の記憶ー1

「さて、一体ここはどこなのかしらね」


 連れて来られた家屋の一室に押し込まれて、最低限には揃った家具を物色しつつフラウは言った。


 首都で抱えられて、すぐに目隠しをされた。どこをどう通ったものか、気付けばエコリアに乗せられていた。よくあることだと眠ってしまったから、時間の経過もよく分からない。


 丸一日くらい、移動し続けたのだとは思うけど。


 だとすればこのくらいかと、頭に浮かんだ地図に首都からの円を描いてみる。が、すぐに消した。そんなことをしても、それをもとに何をするわけでもない。


 しばらくここに居ろってことね。食事はまともな物が出るのかしら。


 首都からの道中、与えられたのはパンが一つだけだった。はしたないと言われようが、そんなものでは腹が減るに決まっている。

 閉められた扉の向こうから、家屋のどこかで人の動く気配が伝わってくる。どうやら二人くらいは残っているらしい。


 それなら餓死することだけはなさそうね。


 今の仕事を割り当てられてから、故意にそんな仕打ちをされたことはない。そうしてくれればいいのにと、願望が混ざってしまった。


 まあ死ぬのでないなら、お腹は減っていないほうがいい。人が残っているなら、面倒をみてくれる気はあるのだろう。状況が分かって、根太に細い丸太を組みつけただけのようなベッドに腰かけた。


 貧相な椅子。隙間だらけの床板。何の飾り気もない煉瓦の壁。最後に使ったのはいつか、というような暖炉。これで無駄に大きなテーブルがあれば、あの頃の部屋にそっくりだ。


 ああもう……。


 余計なことを思い出してしまった。あれはもう忘れたいの、なんて悲劇のヒロインみたいなことを言うつもりはないが、思い出して心地良いものでもない。


 何人かでも、生きているのかしらね。


 記憶というものは普段はそうでもないが、一端を思い出してしまうとその続きが勝手に掘り起こされてしまう。フラウもそれに抗うことは出来なかった。





 あれは何年前だろうか。暦を数えてなどいなかったから、正確には分からない。気が付いた時には、汚い部屋の中に居た。物心ついたということだろうか。


 この部屋でまず感じるのは、酸味のきつい臭気だろう。毎日何度か床を水で洗い流しているが、臭いだけは蓄積する。

 床の隙間から落ちた糞尿は、そこに居るペギーたちが食べてくれていた。


 食事や衛生に関しては、それを原因に病気になることだけはない程度に管理されていた。そうでなくてはお役目が果たせない。


 娯楽といえば大人たちが部屋の掃除をしている間、屋外に出ていたことだろうか。子ども同士で遊んだ記憶はあるが、楽しかった記憶はない。


 大人たちの言うことを聞かない子は、悪い子だった。

 役目を果たすのが嫌だと言ったり、ここに居るのが嫌だと言ったり、終いには体調を崩すのさえ悪い子だと思っていた。子どもたちが、お互いを監視していた。


 時折、ベッドから起きてこなくなる子は居た。大人たちが来て「失敗だった」と言っていたから、その子が何かミスをしたのだと思った。そういう子は、二度と顔を見ることがなかった。


 それが死というものだと知ったのは、随分あとだった。でも知ったところで、そうなってしまうと役目が果たせなくなるから、避けなければとしか考えなかった。


「フラウはすごいわね。お役目をいっぱいやって」

「そんなこと。やれと言われたことをやっているだけ」

「そう出来るのがすごいのよ」


 名前は何と言っただろう。フラウよりも年長の、髪を思い切り短くしている子。


「あんたのパンちょうだいよ。もう食べないんでしょ?」

「私のを食べなくても、言えば貰えるのに」

「食べないならもったいないじゃない」


 楽しそうに食事をしていたのは――ニヒテだったか。


「お前ら真面目にやれよ、喋ってないで。フラウを見習え」

「勝手に見本にしないで。喋ることがないだけ」

「それでもそれがお役目だからな」


 意味の分からないルールを勝手に作っていたのは、ネファだ。

 顔も名前も思い出せないが、あと数人は男女も関係なく同じ部屋に居たと思う。そういう部屋が、別にいくつかあったはずだ。屋外に出た時には、そういう子たちとも会うことがあった。


 お役目は、やるのが当然だと思っていた。

 苦しかったり痛かったりはしたから、もうしなくていいと言われたなら喜んだかもしれないが、やめたいと思ったことはなかった。


 それは決まってベッドに入る前、一人の子に一人の大人が付いて行われた。

 粉だったり液体だったり、ともかく飲むタイプのもの。体のどこか、或いは身体じゅうに塗るタイプのもの。要は何らかの薬を与えられていた。


 効果が出るまでとか、決まったルールはあったのだろう。ずっと同じ薬を与えられるのでなく、何日かごとに違う薬に変わっていった。


「君たちが死ぬような薬は使っていないよ」


 ある時そう言われたセリフには、理論上はと但し書きが付くのだろう。今ならそれが分かる。

 でもあの頃は、この人たちに守られているんだって安心していたわね。

 フラウは喉の奥で、くくっと笑った。

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