第60話:長い夜が明けて

 ワシツ夫人たちを警備隊の訓練場まで移動させたあと「それじゃあボクはこれで」と病床に戻るなんて、出来るわけがなかった。


 怪我人の手当ての手伝いをしたり、用意された支援物資の配布を手伝ったり、要は雑用ばかりではあったけれど動き回っていた。


 そのうちいつの間にか空が明るくなっていて、街を覆っていた騒然とした空気は夜と共に去っていったようだった。


「大丈夫か? 落ち着いたから、もういいそうだ」

「分かりました、ボクは大丈夫ですよ。コムさんこそ大丈夫なんです?」


 護衛の人たちに多数の怪我人が出てしまったので、ワシツ夫人はあれから訓練場周辺の警戒だけをしていた。しかしそれも少し前に、新たな被害はもう出そうにないと判断があって終えている。


 コムさんは比較的に怪我が軽かったので、警戒からは外れてボクと同様に雑用を手伝っていた。


「ああ、痺れもとれたしな。痛むところもあるが、大したことはない――ワンワン!」


 急に何を思ったか、コムさんは痺れていて動かせなかったという右手を、ギルンの顔の形にして鳴き声を真似た。ほらこの通りということなのだろうけれど、コムさんの行動としては予想外だった。


 子どもか女性がやれば可愛いんだろうけど、おじさんがやってもなあ。


「――ぷっ」

「あのなあ、笑うなら思い切り笑ってくれ。悲しくなるじゃないか」

「元気はまだ残っているようね」


 苦情を言うコムさんの背後から、ワシツ夫人が声をかけた。ボクが笑ったのは、こっそり近づいてくる夫人が「言わないで」という身振りをしたからだ。


 正直なところ笑っていられる気分ではなかったが、徹夜をしたせいか感情がおかしな感じになっている。


「は、はいっ。体調も戻りましたので、すぐにでも戦えます!」


 振り返りざまに直立の姿勢を取って、コムさんは言った。叫んだと言うほうが近いような声だったので、夫人が耳を押さえたほどだった。


「――本当に元気ね、結構です。ちょっと私と一緒に来てもらえる? アビスさんも」

「ボクもですか?」


 もう元来た方へ歩き出していた夫人は「ええ」と答え、また足を止めた。


「コーラさんも一緒に来てもらいましょう。どこに居るかしら」


 きょろきょろと探す夫人に、ボクは「あそこです」と指さした。


 その先には朝ごはんにパンとスープを配っているテントがあって、コーラさんは朗らかにスープを器によそっている。

 頼まれて呼びに行くと、食事を配るのも概ね終わったらしく、問題なく交代してもらえた。


 夫人のあとをついて歩くのも、コーラさんはずっと笑顔だ。

 どうしてそんなに機嫌良くしていられるんだろう。ボクなんかは、どこに連れていかれるのか心配で仕方ないというのに。


 もしかするとコーラさんが元警備隊だったと言ったのが嘘とばれて、不審者として調べられるのかなんてことまで考えている。


「大丈夫なんですか?」


 声を潜めて聞いてみても、コーラさんは周囲に聞こえるのを全く構わず


「何がだい?」


と、とぼけている。


 何を考えているんだ、この人は。まさかボクがそうだと思っている人ではないのか? いや、そんなはずもないし――。


 いっそ「急用が出来ました」とでも言ってコーラさんを連れ去ろうかとまで考え始めた時、夫人は足を止めた。


「お待たせ致しました」


 訓練場の建物の裏手に当たるその場所には、屋外にも関わらず大きなテーブルが置かれていて、そこに地位のありそうな人たちが顔を並べていた。

 ユーニア子爵と――何だっけ、ボ、ボ、ボ。伯爵も居る。


「椅子が足らん分は、立っていてもらおうか」


 伯爵の隣に座っている、年配の男が偉そうに言った。確かに椅子は、二つしか空いていない。


「奥さまどうぞ」


 コムさんは当然のこととして、夫人に椅子を勧めた。その椅子は既に、隣に座っていた比較的若い男の人が後ろに引いてくれている。


「怪我人を差し置いて座るなんて、私には出来ないわ。あなたたちが座ってちょうだい」


 夫人は勧めを断って、コムさんとボクが座るように言う。


「みんなを待たせているようだし、お言葉に甘えるといい」


 コーラさんはそう言って、ボクの背中を押した。いや押し続けて、最後には肩を押さえて強制的に座らされた。


「勘弁してくださいよ……」


 周囲の人たちからの「誰だこいつは」という視線が突き刺さる。

 立っていればまだ従者か何かの振りも出来たのに――。


「さ、コムも」

「い、いえ。私は大丈夫です。彼のような大怪我は負っておりませんゆえ。打ち身くらいのものです」


 ボクを見る視線を目にしていたからか、さっきよりも強くコムさんは固辞した。夫人は「いいから」とコムさんが断るのを断って、押し問答になる。


「では夫人は、この椅子へどうぞ」


 先ほど椅子を引いてくれた男の人が、見かねてそう言った。


「ああ――そこまでしていただくのは」


 コーラさんが言った通りこの場に居る人たちを待たせているという自覚は、夫人にももちろんあったのだろう。そそくさと最後に残った椅子に腰を下ろし、それでもコムさんに「辛かったら言いなさい」と言っていた。


「まったくご婦人は……」


 全員に聞こえるように伯爵が言った。それに合わせるかのように、伯爵の後ろに控えていた男たちが笑う。曇りのない金属鎧に、朝日を反射させて。


「さて。ではこの夜に起こりました一部始終について、皆さまの話をお聞かせ願いたい。犯人に関すること、被害状況。とりまとめて王宮に報告せねばなりませんので、有益と思われる情報を教えていただきたい」


 ほとんど抑揚なく、ユーニア子爵が一息で言った。

 なるほどそういう席だったのか。コーラさんへの審判の場でなかったのは喜ばしい。


 しかし何だかボクがここに居るのは、やはり場違いではないだろうか。ボクの両手に緊張の汗が滲んだ。

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