第54話:ボクに出来ることは
情けない……。
歩いているうちに興奮状態だった頭が冷えて、逆に一つのことしか考えられなくなった。
ボクの目の前で、フラウはさらわれた。
冷静に考えれば、呼吸もおかしくなっていて、瓦礫に打ちつけられた体のあちこちが麻痺していて、動ける状態でなかったのは自分でも分かっている。
それでも、どうしてボクは動かなかったんだ――。
動ける、動けないじゃない。動かなきゃいけなかったんだ。
団長なら、メイさんなら、どうしたんだろう。うちの団員なら、どうにかしてフラウを助けたに違いない。
ボクの前を、イルリさんが歩いている。先頭にはワシツ夫人とアンさんが居て、最後尾にはコムさんとタトスさん。その間に他の護衛の人やエレンさんたちとセクサさんが居て、真ん中がイルリさんとボクだ。
ボクはイルリさんと。いや、イルリさんが抱いている赤ちゃんと同じだ。誰からも守られて、自分では何も出来ない。
もちろん赤ちゃんは、これから出来るようになるのだから問題ない。ボクは今まで、何をしてきたんだろう……。
「あれは?」
「物盗り――ではないようですね」
ある辻で、夫人が横の通りに視線を投げて言った。見てみると、立派な門の前に警備隊らしき一団と、一般住人らしい人たちが数人居る。
みんな一様に門の中へ向けて怒鳴ったり、門を蹴りつけたりしている。
そんな事態を見過ごす理由はなく、夫人はつかつかと歩み寄った。
「失礼。ワシツの家内ですが、何ごとかございましたか?」
「これはこれは。非常時ですのでご挨拶は省かせていただきますが、女性をさらおうとしていた男たちを追っておりましたところ、ここに逃げ込まれてしまいました」
「なるほど――破壊できるような道具もないと」
門扉は木製だが金属で補強されていて、かなり頑丈そうだった。燃やすとしても、これだけの物を燃やすには相当の時間がかかる。それなら近くの木を切り倒して、破城槌代わりにしたほうが早い。
どのみち、手斧の一本もないこの状況では無理だ。
「恐れながら――」
どうしたものかと一同が顔を見合わせているところに、セクサさんが言った。
「見たところ、塀はそれほど高くない様子。どなたかに肩を貸していただければ、私がよじ登って参りますが」
高くないだと? と、その場のほとんどの人が考えただろう。この屋敷の塀は、大人の背丈の三倍ほどもある。肩に乗ったところで、大人二人分の高さは残るのだ。
「お恥ずかしい話ですが、私これでも幼少のころはかなりのお転婆でして。皮がつるつるの木などにも平気で登っておりました」
「はあ、それなら――いや、だめです。中には賊が立てこもっていると言ったでしょう。女性にそんなことはさせられません」
金属鎧を着た、警備隊のリーダーらしき人が言う。
でも確かにその危険はあるが、中に入るのが手っ取り早いのも間違いない。それに立てこもったと言っても、この周囲が包囲されているわけでもない。
ボクが中に居る立場なら「破られませんように」と扉の前で祈るよりも、次の脱出手段を考えるだろう。
「ボクが行きます。女性でなければいいんでしょう?」
「アビスさん。あなたは怪我を――」
「平気ですよ。痛くないと言えば嘘になりますけどね」
見た目の怪我は、多少の血が出る程度だった。ただ左の脇腹が、ずきずきと痛む。ちょっと動いただけで、それこそ咳き込んだだけで、激痛が走る。
でもこれくらいなら、ボクにでも出来る。団の中では全然だけれど、今ここに居る中ではきっとボクが一番身軽だ。
「分かりました――上から覗いて、待ち伏せが居るようなら戻ってね」
「そうします。ええと、どなたか肩を貸していただけますか?」
ワシツ夫人は心配気な顔をしながらも、道を空けてくれた。
要望に答えて壁際に行ってくれたタトスさんには、壁に両手を突いて踏ん張っていてくれるようにお願いする。
「行きますよ!」
返事はなかったが、タトスさんがぐっと力を入れるのが分かった。
助走をつけて跳びあがり、タトスさんの背中を蹴って更に跳ぶ。
――!!
もう言葉になんてならない。痛いなんてものじゃない。
普段の跳躍より全然跳べなかったが、何とか塀の上には足を乗せられた。
警備隊の人たちの「おお」というどよめきが聞こえてきたが、それも励ましにはならなかった。
ボクの仲間はこんなものじゃないんだ。そもそもこんなことをしなきゃいけない事態にも、ならないかもしれない。
もう自分でも、どこまで落ちていくのか分からなかった。どれだけ自分を蔑んでも、フラウを取り戻す手段にはならない。そんな当たり前のことが、ますますボク自身を落ち込ませた。
そのせいか、視界がぼんやりと霞んだように見える。
門の裏に行って閂が二本刺さっているだけなのを見てから、誰か居るかを確認していなかったと思い出した。もうこの場に来ているので、今更慌ててもどうしようもないけれども。
金属製の閂を抜くと、警備隊の人たちがなだれ込んできた。
「あなたたちは建物の周囲を見て。屋内に居るとは限らないわ」
コムさんたちに指示を下したワシツ夫人も、アンさんとイルリさん、イルリさんを挟む二人の女性を連れて、まっすぐ建物のほうへ向かって行った。
揺れ始めた視界の中で、ボクもそのあとへ続いて歩く。警備隊の人たちが開け放していった玄関扉の前に着くと、ワシツ夫人は短剣を抜いた。
隙のない立ち姿を見て、ワシツ将軍がそこに居るのかとさえボクには思えた。その気迫に感心しながら、なぜかボクの視界の中で斜めになっていくワシツ夫人を奇妙に思った。
地面に体が落ちて、その衝撃でボクが倒れたのかと自覚した。でもその痛みも、ボクに駆け寄ってくる人たちの声も、段々と遠のいていった。
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