第42話:黒衣の少女ー7
白いシーツを被って、フラウは天井を見上げていた。明かりは消しているが、目は暗闇に慣れている。
木目の分からない単なるグレーの平面と化した天井に、今日は何をしたのだったかとイメージを載せていく。
朝食を食べて、慰問に出かけて、演劇や奇術を見せる脇で薬草による治療をした。それから帰ってきて、夕食を食べた。
たったそれだけ。五つのシーンでしかない。そこで見聞きしたことも、後々覚えておかなければ困ることは何もなかった。
虚しい――。
それに比べれば、昨夜と同じくこのベッドで過ごした時間は、いくらか有意義だったかもしれない。
護衛役のコムにはちゃんと断ってからワシツ邸を出て、迎えに来ていたデルディと共に彼の宿舎に来た。
他愛もない会話を済ませ、薬茶を飲み、ベッドに入った。
熱情のままに動くデルディを眺めるのは、その瞬間ごとに何を考えているのだろうかと推測し、この言葉はどこかの会話で使えると記憶に留めることが出来て、楽しめたと言っていい。
そこに快楽を感じることはないが、行為に困ったことはないので肉体は満足しているのだろう。これは我がことながら、結果から想像するしかない。
あと十日か――。
今回の件で慰問団として動くのは、十四日と決められていた。三日遅れて到着したフラウには、今日を終えて十日の日程が残っている。
それまでやりたくもないことをやって、やらなくてはならないことを完遂しなければいけない。
そうしないことで面倒な状況になるよりは、やったほうが楽でいい。それほど苦になる何かがあるわけではないし、気が重くてどうしようもないなどということもない。
強いて嫌だと思うことを上げれば、フラウの調合した薬草類を有難がって持ち帰る人々の顔を見ることだ。
あなたたちは私の顔なんて、名前すら知らないでしょう? なのにどうして疑いもなく、その薬草を使えるの?
表向きの方便なのだから、それらの調合はきちんとやっている。けれどももし、フラウの気が変わって毒を混ぜていたらどうするのだろう。
国王勅許の印を持った、薬草師や医師ではないのだ。何を基準に信頼しているのだろう。
そこに関して何も考えていないのだと気付いた時、フラウは彼ら彼女らの顔を見ることが嫌になった。
まるで――みたい。
そこに入る言葉を、心の中でも意識して唱えなかった。
「ううん――」
デルディが寝返りを打った。視線だけを動かして、目覚めたのではないのを確かめる。
この男はいいとして――そうだ、あの少年ならどう考えるのだろう。そう考えて、フラウは僅かに笑った。
少年って。私と同い年なのにね。
フラウもアビスも、酒を飲むことも結婚することも自由に出来る年齢に達していた。
しかしその年齢に達したからと、昨日まで子どもと看做されていた者が、突然に全て大人として扱われることはない。そういう年ごろだった。
ただ、汚いことをしている自分は悪い意味での大人で、純朴なアビスは良い意味での子ども。フラウは何となく、そうイメージしていた。
けれども、それはまた勝手な妄想だと笑ったのだ。
アビスは、あの巨大なカテワルトの町で生まれ育ったと言っていた。あの町は遊興の町でもあって、街のイメージを重んじている。
いわゆる貧民と見られるような人々は何らかの措置を取られて、そのまま街に居ることは出来ない。
ちゃんとした収入を得られるようになるか、別の土地に移動するかだ。
だからそこで生まれ育ったということは、清濁は別にしてまともな家庭で育ったということだ。でなければあの性格になるとも思えない。
人の良すぎる彼に、これまでの全てを語ったら何と言うのだろうか。怖いもの見たさなのだろう。ふと、そんな欲求に囚われた。
人でなしとか汚物とか、そういう扱いをされるのが落ちね。
先ほどとは違い、喉の奥に何か込み上げるものがあって、結果としてフラウは笑った。苦笑、だっただろう。
いっそ天が落ちてくるとか、地が割れるとかすればいいのに。
フラウには、自分で自分をどうこうすることは出来ない。仕事として命じられたことを、どうやって実行するかしか考えられない。
自身が背を付けているベッドが、大地の裂け目に飲み込まれるのを想像する。それがフラウに出来る、最大限の自傷行為だった。
閉じられた窓の外で、キトンが鳴いた。
あの子は路地裏の主だと言っていたけれど、そうか彼らは夜の主でもある。そう思って今更ながらに、今が深夜もだいぶん遅い時間だと思い出した。
少しは寝ておきましょうか――。
眠気を感じることはほとんどない。しかしだからといって全く寝ないのでは、体が勝手に動かなくなる。
フラウは課せられている義務として、今日の睡眠をとることにした。
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