第3話 闘いスタート
さて、病名が発見できれば、病気との闘いがスタートする。
しかし、多くの難病の場合、闘う武器も作戦もない。
SBMAも同じく、原因不明で治療法もない。
ただ、病気の進行を遅らせるお薬が1種類あるだけ。
病名が判明したばかりの初期患者ならば、進行を遅らせるということは、かなり有効なはずである。
しかし、ある程度以上に進行してしまった病状の患者の場合、病気の進行を遅らせるということは、痛みや苦しみを長引かせるだけになりかねないということに気がついていない。
今の日本の医療は、生きてさえいればそれがすべて。
患者が死ねば、医療機関の責任なのでしょうか。
それが日本の行政的感覚なのでしょう。
政府の考え方なのでしょう。
病院への入院期間は、限りなく短縮して、介護施設は、整備しない。
特別養護老人ホームとかに、めちゃくちゃ厳しい入所条件ができたり。
若年層要介護者(つまりは、身体障害者や難病患者)が入れる施設は、ほとんどありません。
病院等で、長く入院できる療養型病床は、認知症で病気がある高齢者で満床です。
若年層難病患者が入れるほど、環境は良くありません。
自然、難病患者は自宅療養になりがちです。
もちろん、ほとんどの患者は、自分自身で、ほとんど何も出来ません。
生活をするためには、それぞれが知恵を絞っているのです。
公共サービスや公共福祉サービスの地方自治体の許可がなかなかおりないのはなぜでしょう。
また、原因不明で治療法がない難病患者の場合、悪くなることは、あっても、良くなることは、ないでしょう。
なのに、なぜか毎年更新の申請を強要するのはなぜでしょう。
障害があることは、わかっているはずです。
1人では、動けないのもわかっているはずです。
期日が短いと連絡すれば、遅れても良いと返事される。
手続きの紙さえあれば、良いんでしょうか。
後は、生死の確認ですかね。
このように、難病患者の生活環境は、けっして整っているとは言えず、しかるに、癌等の死亡を予想される病気の患者より良いと見られているのが現状のようです。
こうして、神経難病の患者しばしば、自殺願望を抱くことになりますが、残念ながら、自殺者は出ません。
残念ではなく、幸いですね。
神経難病の患者は、まず1人で動ける方はいません。
1人で自殺できる力が残っている方はまずいません。
だから幸いなことに自殺者が出ないのですが。
政府や自治体、いや世間は難病の実態に、何も気がつかないのです。
そして、自身が罹患されたり、家族が罹患されて初めて、難病の悲しさに気がつくのです。
患者ご本人は、しばらく泣いて過ごされます。
家族は、ことの重大さを、受け止められずに、患者にきつく当たります。
いたわっているつもりで、患者の不安や恐怖、悲しみを倍増させることを、事も無げに言ってしまうのです。
そして、患者は殻に閉じ籠り、部屋で閉じ籠ります。
そして尚一層、病気の進行が早くなるの進行のです。
神経筋疾患(神経難病)は、大多数の患者が呼吸器疾患で死亡するのですが、食事の協力がえられなかった場合、悲惨なことに誤嚥性肺炎で亡くなるのです。
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