魔人王と血塗れメイド
バキッ!
鋲付きブーツの踵が振り下ろされると、大理石のテーブルにひびが入った。
「だからお前らに反論を許した覚えはねぇんだよ」
若い男が唸る。椅子にふんぞり返り、両足をテーブルに上げた男の姿はいかにも傲慢そのものである。
「おい返事は!」
怒鳴ると、向き合って座っていた者たちは震えあがった。
よく見ると彼は人間ではなかった。怒りと軽蔑に歪む整った顔立ち、灰色の髪の間から覗くのは、大きく曲がった二本の角である。その目に憤怒の光を宿らせながら再度足を大理石へ振り下ろす。今度は暴力的な音と共に大理石の破片が飛び散った。
「…ま、待ってくれ!我が国にも誇りと歴史というものが」
「そう言う事を聞きてぇんじゃないんだよ!なあアマルガム!」
彼の背後に控えていたメイド服姿の長身の美女が小さく頷いた。見れば彼女も艶やかな黒髪の間から大きな角を覗かせている。
腕を組み睨みつける彼の姿は、悪魔と言う言葉では留まらない凶悪さを湛えている。それでも彼に対する者たちは、国を背負って立つ責任だけを勇気に変えて必死で口を動かした。
「如何にお前たちが我が国の宝たるエリーザ姫を人質にしているとはいえ、…今すぐ降伏しろなどと言われて従うものがどこに」
「ここに居るだろ。お前らだよ」
再び足を振り下ろした。とうとう大理石のテーブルは中央から真っ二つに割れて崩れた。呆気にとられた一瞬の隙を突いて、彼は目の前に座る二人の頭を両手で掴んだ。
「このままここで殺してやってもいいんだぜ」
「…ま、待て!待ってくれ!分かった…お前たちの提案を議会にかけて」
「それで良いのかぁ?」
必死に言葉を絞り出した太った男の頭がゆっくりと左に回ってゆく。
「や、やめろ!やめ…!」
ボキッ…不気味な音が鳴ると共に、太った男の首が有り得ない方向へ曲がった。まるでゴミでも捨てるように彼は死んだ男を手放した。
「お前はどうだ?同じ答えか?」
もう一人の男は半泣きになりながら必死で声を振り絞る。
「あ、悪魔ども…ここから生きて帰れると思うな」
そう言うと男はいつの間にか懐から小さなベルを取り出し、手を振って鳴らした。
「そうか、お前も死ぬ事にしたか」
怒りに任せ腕がひねられると、男の首は絶望の表情を浮かべたまま容易く胴体から離れた。噴水のように血が飛び散るのも構わず、部屋の扉に目を向ける。大人数が走ってくる気配があった。
「
「
「んじゃお前に全部やるわ、殺し尽くせ」
「仰せのままに」
そうメイド服が言うと同時に三つある部屋のドアが同時に開け放たれた。武骨な鎧に身を包んだ兵士たちが手に手に剣を構えてドアから殺到してくる。兵士たちは瞬く間に広い部屋の中を埋め尽くし、若い男とメイド服の女を囲んで剣を構えた。
「男は殺せ、その女はお前らの好きにして良いぞ」
兵士たちの中でもひときわ派手な鎧を身に付けた者がそう言った。指揮官であろうと容易に分かる格好だったが、それにしては下卑た笑いを顔に浮かべている。
「ああ気が変わった。俺も殺っていいか」
エイジと呼ばれた悪魔の男は拳を打ち鳴らす。到底人の拳から鳴る音とは思えぬ硬い音に兵士たちは気圧された。
「
「…好きにしろ」
エイジが消化不良だと言わんばかりに拳を下ろすと、メイド服はスカートの両端を摘まんで目を伏せ、優雅にお辞儀をしてみせる。
「魔人王エーレイジオンが
そう言い終わるが早いか否か、アマルガムはスカートの下から両手に刃を構えた。優雅な湾曲を描く黒い短刀が光った時には、指揮官一人を残して室内の兵士たち全員の首が落ちていた。
あまりの速さに誰もその姿を捉える事はできなかった。返り血一つ浴びずに佇む彼女の周囲で、首を失った胴体が血を噴き出して崩れて行く。部屋中に生臭い血が満ちて行くと、彼女のドレスは真っ赤に染まっていった。
「こいつは俺にやらせろ」
震えて動けない最後の一人にいつの間にかエイジは肉薄していた。あまりの恐怖に腰が抜け、部下の死体の山に仰向けに倒れた哀れな指揮官は、必死で自らが生き残るための叫び声を上げる。
「お…俺のせいじゃない!俺は命じられただけだ!俺、俺は…おごぉっ!」
エイジの脚が男の腹を踏みつけた。大理石すらも砕く脚が無慈悲に男の腹を蹴り付ける。
「やめっ!ぐぼぉ!やめ!ぐえ!」
男の口からは声にならない悲鳴と吐瀉物があふれ出し、やがてそれは血に変わった。
「ごぼぉ!やだ!やべで!だずげで!ぐばぁ!」
エイジは怒りをその目に光らせて男の腹に脚を叩き付け続ける。
「お前はアマルガムに何と言ったぁあ?」
「わるがった!たすけて…ぼぐぁ!」
「
最早男の胴体は下半身と完全に分かれていた。飛び散った自らの臓物と腸を拾い集めようとするかのように必死に男の手が動く。
「…う、うげぇ…たす…け…」
「アマルガムは」
エイジが男の頭に狙いを定める。
「俺の、女だ!」
そう言うとエイジは男の頭を蹴とばした。一瞬で男の首から上は血の霧になって消し飛んだ。
「…エイジ、いくら何でも恥ずかしいです」
俯いたアマルガムは血塗れの頬を紅潮させて呟く。
「帰るぞアマルガム、後はお前が全員斬れ」
「お任せください」
部屋のドアへ向かって無造作に歩き始めたエイジの前に出ると、アマルガムは凶悪な微笑みを顔に浮かべながら両手の刃を構えなおした。血塗れのメイドを先頭に歩く魔人王を止めようと兵士たちは束になって襲い掛かったが、幾ら集まろうとアマルガムの敵ではない。
最愛のエイジと共に歩く
そうして城壁外に待たせていたゲートライダーであるゼーディエックの下へ辿り着くまでに、アマルガムはたった一人で街の住民たち八十人と王都の守備軍六千人を斬り伏せた。
「ひゅう、おっかねえ。どれだけ斬ったらそんなに真っ赤になるんだ」
未だ紅潮したままの顔で風を感じながらアマルガムは血でべったりとよごれた髪をかき上げた。
「千から先は覚えていません」
「何か嬉しい事でもあったのかね。我らがメイド姫がこんなに大暴れするとは」
「秘密です」
可愛らしく微笑むメイドの背後、やれやれと言わんばかりにエイジは首を振ると、アマルガムにつられて笑みを浮かべるゼーディエックに号令をかけた。
「転移門を開け。グルーゼックの軍に略奪させろ。この国は最悪だ」
「分かった、お前らはどうする」
エイジは未だ顔を緩ませているアマルガムを背後から一瞥すると、溜め息をついた。
「…アマルガム、臭えぞ。今すぐ城に帰って湯を浴びろ。それまで俺に近寄るんじゃねえ」
ビクリと肩を震わせると、メイドは一転してしゅんとしたように肩を落とした。
「おいおい、あまり我らが姫君を泣かせるもんじゃねえぜ」
ヒュッと風を切る音を立ててエイジの拳がゼーディエックの黒い顔の目の前に突き出される。
「お前も俺に殴られたいか?」
「…分かった分かった、グルーゼックはもう部隊を準備して待ってるから、お前らは同じ転移門で城に帰れよ」
そう言うとゼーディエックは手を頭上にかざした。空の一転から黒い色彩があふれ出すと、瞬く間にその場を覆いつくした。
**********
・クロニクル第五稿/魔人領界
・登場人物
「美しき悪夢」アマルガム
「若き天魔」エーレイジオン・マーゼル
「盲目の転移門投影者」ゼーディエック
「残虐なる巨岩」グルーゼック
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