魔獣庭園の主
ラグカは玉座に在って眼を閉じていた。
はるかな昔に、魔獣たちと人間族とが戦っていた時代に思いを馳せた。
魔人剣士、獰猛なる二刀、そう呼ばれてただ前に、愛の果てへ向かって走り続けた女王の姿。
その女王の居所であった玉座に在って、ただラグカは在りし日の事を思い浮かべていた。
周囲には体躯も形もバラバラな魔獣たちが、ただ静かに彼女の御前に傅いている。
頬杖を突き眼を瞑るラグカの姿は、ともすれば静かに眠っているようにも見えた。いや、実際に彼女は眠りの中に在ったのかもしれなかった。だが、それを確かめようとする者はその場には居なかった。
主君たるラグカが眠っているのであれば、彼女が眠りから目覚めるまで待つのが居並ぶ戦鬼将たちの忠誠の在り方だった。
長い睫毛を微かに震わせて、ラグカは静かに涙を流していた。居並ぶ臣下たちは自らの主君の湛える哀しみを鋭敏に感じ取っていたが、顔を上げるものは居なかった。ただ在るがままに在るべきラグカの存在を知ればこそ、獰猛な戦鬼将たちもただ微動だにせず静寂を維持した。
グラーサフォンの玉座の間は、最上階にあって外気と光とが入り込む半開放になっている。ラグカが流した涙は風が運び去り、散って行く。
その場に遺された記憶を、ラグカは感じ取っていた。
同じように魔獣たちを従え、女王として君臨した者の記憶。そしてその血が自らの身体に確かに流れている事を、ラグカはその玉座に座ると常に感じるのだった。
悪魔の血、剣士の血、そして愛する者を喪った者の血。
「喪う事が、私たちの定めか」
ラグカは静かに、眼を瞑ったまま呟く。
戦鬼将たちに僅かな動揺がさざ波のように広がったのを感じると、ラグカは続ける。
「ならば、私たちは哀しみの中から抜け出せぬのか」
そこまで呟くと、ラグカは再び沈黙を決め込む。臣下たちは彼女の言葉に込められた意味を考え、そして成長してゆくのだ。それでよかった。ラグカには自分が女王であるという自覚は殆ど無かった。ただ居並ぶ戦鬼将たちは彼女にとって子供たちであり、仲間であった。
「…畏れながら陛下」
戦鬼将たちの最後列から声が上がる。若くして戦鬼将の仲間入りしたオーガの戦士だったことをラグカは思い出す。
「そのように陛下が哀しむ事がなきように我ら戦鬼将が居るのでございます」
ラグカはそこで初めて眼を開く。
その眼が顔だけ上げて答えるオーガの戦士を射抜いた瞬間、戦士は首を宙吊りにされてその場に浮き上がった。
ラグカの見据える先で、宙に浮かび上がった戦士が苦しそうにもだえる。
「…私を哀しませぬと言ったな、エーグリンド」
ラグカの眼は碧く煌めきながら、エーグリンドと呼ばれた戦士を見つめた。無感情に光だけを湛えたその瞳はしばらく宙吊りになったエーグリンドを見つめていたが、やがて興味を喪ったようにラグカが目線を逸らすと、その方向にエーグリンドは吹き飛ばされた。
「エーグリンドにできるかな」
ラグカが呟いた、その眼前で戦鬼たちが一斉に声を上げる。
「否!」「否!」「否!」「否!」
轟くような重低音で否定の言葉が繰り返される。
「…だそうだ、エーグリンド」
退屈そうにラグカがエーグリンドの吹き飛ばされた方向を見ると、傷だらけのオーガ族がその場に一人跪いて床に頭をこすりつけている。
「出過ぎた真似をお許しください、我らがレーヴァンテイン」
「良いよ、構わぬ」
レーヴァンテイン、その名で呼ばれる事にももうすっかり慣れてしまったとラグカは思った。レーヴィニアというこの大陸にやがて現れると予言されていたもの。再帰した魂そのものの姿の事を指してそう呼ぶとかつて大巫は言ったが、それが何であるのかはこうしてグラーサフォンに入城した今になっても分からなかった。
ただこうしてグラーサフォンへ来て分かるのは、己が獰猛なる剣士王の血を引いた何かであるという事だけだった。
いや、それだけでも良かったのかもしれなかった。何一つとしてよすがを持たないラグカにとって、自分自身の中に眠る記憶の手がかりとしてこれ以上のものはなかった。
「…防人どもの命脈」
そこまで言ってからラグカは悠々と立ち上がる。華奢な身体が立ち上がると、がんじがらめに巻かれた魔導鎖がじゃらじゃらと耳障りな音を立てる。
「私と共に断とうという者は」
ラグカはそこで初めて居並ぶ戦鬼将たちの姿を視界にとらえ、そうして柔らかに微笑む。
「応!」「応!」「応!」「応!」
戦鬼将たちは我先にと声を上げる。
ラグカを支え、今や大陸を再び統一せんと迫る戦鬼たちの姿。よく成長してくれた…碧い眼の女王は慈愛に満ちた眼差しで居並ぶ魔獣たちを見つめた。
「共に行こう。私と共に」
──この世界の真実を解き明かすその日まで、私と共に行こう。
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・クロニクル第四稿/ラグカの魔獣庭園
・登場人物
「鬼神の姫」ラグカ=ラーツヴァイル
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