墜ちてきた王
それは彼女にとって経験したことのない、紛うかたなき驚異であった。エデルミナが生涯見たこともないような、要塞街の何倍もある巨大な鉄の塊が空を飛んでいた。
当時彼女はそのことを知る由もなかったが、それはアルカにしか保存されていない失われた帝国の技術で造り出された魔導飛空戦艦である。そんなものが轟音を立てて迫ってくるのだ、彼女は呆気にとられてその場に立ち尽くすしかなかった。
やがてそれが悠々と遥か彼方の空から迫ってくると、彼女の目にも何が起きているのかが見えてくる。
巨大な魔導戦艦は立て続けに砲撃を繰り返していた。よく目を凝らすと、ごく小さな飛空艇が戦艦の目の前を逃げ回るように左右にその軌道をずらしながら飛び回っている。その小さな船が間一髪回避した砲弾が森に降り注ぎ、凄まじい轟音を上げて森に穴を開けているのだった。
必死で逃げ回る飛空艇とそれを追う巨大な戦艦はゆっくりとエデルミナの方へ近づいていた。このままでは要塞街が砲弾の雨で爆撃されてしまう可能性すらある。エデルミナは初めて焦りを覚えた。
「エデルミナー!」
驚いて彼女が振り返ると、遥か北に見える要塞街の方向から馬を飛ばして駆けてくる者がいた。サイノである。
彼の切迫した面持ちがエデルミナにも見えるところまで来ると、サイノは声を張り上げる。
「早く要塞街に戻れ!これはお父様の命令だ!」
「しかし…!」
「お前に何ができる!今お父様は要塞中の魔導士を片っ端からかき集めている最中だ!お前も戻って協力しろ!」
「クソッ…」
と、その時である。エデルミナが再び南に振り返ると、何かが破裂したような音を立てて小さな飛空艇が煙を吹き始め、みるみる内に高度を下げてゆく。やがて中空で飛空艇の一部が小さく爆発し火を噴くと、そのまま森の中へ不時着して行った。
森から鳥たちが大急ぎで飛び立ち、動物たちがいななき声をあげながら逃げまどっている音がエデルミナには聞こえていた。普段から狩りのために何度も入っている森である。
「…あの森は我らの大地だ!生きている者がいないかだけでも見てくる!」
エデルミナはそう言うや否や、傍らに佇んでいた黒毛の愛馬にひらりと飛び乗った。手綱を取り、馬の腹を蹴ると、いななき声を上げながら黒い馬はエデルミナと共に森の中に駆けていった。
「待て!待つんだエデルミナ!」
泡を食ったサイノは急いで自らも馬を走らせようとするも、既に要塞街からここまで全力疾走してきた馬は思うように速度を上げなかった。エデルミナが森の中に入ると、サイノの声は瞬く間に聞こえなくなった。
しばらく森の中を進むと、急に開けた場所に出た。地面に不思議な形の飛空艇がめり込むようにして不時着しており、煙が立ち上っている。木々はなぎ倒され、そこだけ曇り空から光が差し込んで明るく照らされていた。
「誰か!誰か生きてるものはいないか!」
飛空艇を間近で見ることなどエデルミナにとっては当然これが初めてである。当然中に入る方法など知らない。それでもエデルミナは馬から飛び降り、扉らしき取っ手のついた外殻にナイフの柄を叩きつけた。金属を叩く音が鳴り響くが、中に聞こえているかは定かではない。
それでも助けられる者が一人でもいるかもしれない。エデルミナは必死で叩き続けた。
***
森の中に不時着したところまでで記憶が途切れている。轟音と共に吹き飛ばされる直前、必死で傍らに立っていた男を抱きしめた。彼だけは守らなければならなかった。
…目を覚ました時、ガンガンと何かが叩かれる音が聞こえた。全身のひどい痛みで意識が覚醒してゆき、骨が何本か折れていることを自覚し…そして目の前に倒れる男の姿を見つけた。
「ルシル様!」
痛みも忘れ駆け寄る。気絶しているが、男の身体には目立った外傷はない。呼吸もしている…そこまで確認すると、再び痛みが戻ってきた。
「…いっ!」
周囲を見渡す。魔導動力系が破損したのだろう、暗い船内にはエーテル体らしき黄色い煙が充満していた。このままでは魔導炉が爆発して木っ端微塵である。早く脱出しなければならない。
「ルシル様…どうか無礼を…お許し…くださ…いっ!」
そう言うと彼女は男の身体を抱え、全身に力を込めた。途端に激痛が走るが、歯をくいしばって耐える。痛みのあまり吹き出した汗で鎧の下がじっとりと濡れてゆくのを感じた。
非常用ハッチがあったはずだ。手探りで探してゆくと、壁の一角にそれらしいハンドルを見つけた。一度男を扉のすぐ脇に下すと、硬いハンドルを両腕に力を込めて必死で回し始める。
「…くぅっ…肋骨…折れてるか…」
痛みに耐えながら力を込め続け、やっとの思いでハンドルが回ってゆく。相変わらずガンガンと船の外殻を叩き続ける音が聞こえている。
「私に…魔法が使えれば…!うぉおおお!」
女らしからぬ唸り声を上げて彼女がハンドルを回し切ると、扉はたやすく外へ開いた。外の森を確認すると、女は傍らに倒れたままの男を再び抱え、痛みに負けそうになる身体を必死で動かした。
「…誰…か!助けて…くれ!」
外の光に目がくらむ。女が男の身体を背負ったままよろめき、倒れそうになった時、それを抱きとめる者がいた。
「こっちだ、もう少し頑張れ!」
ダークエルフらしい褐色の肌に抱き留められる。乳白色の髪はボサボサに伸ばされ、その下から青く澄んだ瞳が彼女を見つめていた。
「わた…私は第八アルカの…護軍騎士…」
軍人としての生来の気質が彼女にそうさせるのか、痛みで朦朧とする意識の中でも彼女は名乗ろうとする。
「…マーグレッタ…だ…この御方を助け…て…」
そこまで言うと彼女は黒い肌のダークエルフに抱き留められたまま意識を失った。
***
飛空艇の扉から出てきたのは美しいハイエルフの男女だった。鎧に身を包む戦士らしき女が、痛みに顔をしかめながら男を背負って出てきたのである。今にも倒れそうな彼女をエデルミナが抱き留めると同時に、サイノが馬に鞭打って森の奥から駆けこんでくる。
「エデルミナ!…そいつらは?」
「分からない!とにかく今はこいつらを要塞街まで運ぶぞ!」
サイノは首を一つ振って覚悟を決める。
「…全てお前が責任をとれよ!」
「当たり前だ!任せろ!」
そういうとエデルミナは鎧の重量をものともせずマーグレッタの身体を担ぎ上げた。サイノが手を振ると男の身体は宙に浮かび上がり、そのままサイノに同乗する形で馬に跨った。
「男同士で一頭の馬に乗る趣味はないが…ええい仕方がない」
サイノはぶつくさと文句を言いながら森の中へ駆けこんでゆく。遅れてエデルミナもマーグレッタを担いだまま片手で手綱を取ると、猛然森の中に突き進んでいった。
エデルミナが森を駆け抜けた直後、背後から何かが大爆発する音が響いた。二人のハイエルフの乗ってきた飛空艇が爆発四散する音であった。
***
「…爆発を確認」
第八アルカに所属する魔導戦艦リュクスリエール、広々とした艦橋は魔導戦艦同士の空中戦を想定して作られており、周囲と上空を一望できるよう透明結晶膜が頭上を覆っている。曇り空から白い光が差す空間の中央、司令官席に座る男は口元に手を当て、何事かを考え続けていた。
「…しかし、良かったのですか?」
黒く長い髪を長く伸ばしている。エルフ族に見えない程暗い雰囲気をまとった男は、髪同様真っ黒の軍服に包まれた長身を席に沈めるようにしていた。
「皇帝の地位を簒奪しようとしたとはいえ、ルシル・ヴォルトール・エレイネスは司令の朋友だったと聞きましたが…」
「…それは関係ない。アルカの敵は誰であれ俺の敵だ」
隣に佇む副官らしき女が眼鏡に手を当てて姿勢を正す。
「安心しました。流石は『黒剣』たるグルバース将軍閣下」
「世辞はいい。それよりお前はこの状況、どう見る」
眼鏡の女は後ろでまとめた長い髪に手を触れる。そしてわずかな間、曇り空を見上げた。
「…私には今の状況は複雑すぎます。魔獣戦争で荒れ果てた地上はもはや帝国の威光の及ぶ所ではありませんが…だからこそかつての威光を取り戻したいと思う者たちが現れようとしている…といった所でしょうか」
「…そうか」
そう言うと男はそれっきり押し黙ってしまった。沈黙する男に代わって副官の女が声を上げる。
「私たちの仕事は終わりました。全艦、第八アルカへ撤収します」
「全艦針路!第八アルカ!アルカの名のもとに!」
艦橋に命令を復唱する声が響くと、男はゆっくりと目を閉じた。
**********
・クロニクル第四稿/ララス魔導帝国
・シナリオ第六版
・登場人物
「黒風王」エデルミナ・カノレイン・ララス
「衛士」サイノ
「白き騎士」マーグレッタ
「墜ちてきた王」ルシル・ヴォルトール・エレイネス
「黒剣」グルバース
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます