#46 血の気が引きました
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聞き慣れたスマホの着信音に、私は目を覚ます。
気がつけば辺りは暗く、私は急な斜面に生えた木に身体が引っかかっていて、意識が覚醒すると共に身体中に酷い痛みと寒さを感じる。
かじかんで痺れたようにほとんど感覚の無い手でななめがけの財布からなんとかスマホを取り出して、画面に表示された通話ボタンをスワイプする。
「やっと繋がった。幸、帰りが遅いけど、今日はその……なんかあったのか?」
真っ暗で身体中痛くて寒い中、聞き慣れた陽向の声が聞えてきて、なぜだか私は妙に安心した。
「陽向……なんか、遭難したっぽい」
「……は!?」
頭がぼんやりしてうまく働かないなか、できるだけ簡潔に今の状況を陽向に伝える。
「崖から落ちて、私は木に引っかかったみたいだけど、瑞希はわかんない……」
「幸、今どこにいる? 怪我は? 大丈夫か?」
電話の向こうの陽向が動揺しているのが伝わってくる。
「場所……は、わかんない、途中まで車で来て、その後しばらく歩いたから。身体はあちこちいたいけど、それより寒い。お昼の格好で出てきちゃったから……」
「わ…………って……ろっ……」
意識が朦朧とする中、できるだけ私は今の状況を伝えるけれど、段々と気が遠くなってきて、いつの間にか私の意識は途切れていた。
目が覚めると、私は見覚えの無い白い天井を見上げていて、看護師のお姉さんが私の腕に繋がる点滴の交換をしていた。
「あの……」
「ああ、目が覚めましたか、今先生をお呼びして来ますね」
私が声をかけると、お姉さんはニッコリと笑って私に安静にしているように言って部屋を出て行った。
辺りを見回すと、個室らしく、部屋には私が寝ている以外のベッドは無い。
しばらくすると、初老くらいの男の先生が病室にやって来て、色々と私に説明をしてくれた。
全身打撲はしているけれど、つき指や捻挫以外は大きな怪我は無いらしい。
ただ、内臓が内出血している心配もあるため、二日は入院して様子を見る事になるという。
いまいち状況が飲み込めず、一通り話を聞いた後、私は何があったのか尋ねる。
記憶障害を疑われたけれど、簡単な質問に答えて、単純に崖から落ちた後の記憶が曖昧なのだと説明したら、それは後から来る婚約者に聞くように言われた。
あと、あんな遠足に行くような格好で奥地に行くなんて山をなめ過ぎだと怒られた。
「幸っ……!」
「陽向」
しばらくすると、病室に慌てた様子で陽向が入ってきた。
「どこか痛む所は無いか? 身体はちゃんと動くか?」
「うん、大丈夫」
陽向は髄分と私を心配してくれていたようで、私が大丈夫だと答えると目に見えて安心したような顔になる。
「思ったよりも怪我が酷く無くて安心したよ」
「大翔」
陽向より少し遅れて大翔も病室にやって来た。
「全く、予定より早く仕事が終わったから、夕食はどうするかラインで聞いたのに既読も付かないから通話もして、ラインの調子が悪いのかと思って電話したら、遭難してるとか言われた時は焦ったぜ」
私が大丈夫そうだとわかると、陽向は大きなため息をついて私に言う。
「ごめんなさい……」
それに関しては謝るしかできない。
どうやら陽向はあの電話の前にもかなりラインで連絡を入れていたらしい。
「あの後、幸を探しに行こうと思ったんだけど、それより救助の依頼をしたらいいのか、するとしたらどこにかけたら、何をしたらいいのかわからなくなって、大翔に電話をかけたんだ」
あの時はかなりパニックになっていた、と陽向は言う。
「陽向から話を聞いて、とりあえず救助依頼の確認だとかは俺がする事にして、陽向には幸のパソコンやタブレット端末で、Googleアカウントにログインできるか確認するように言ったんだ」
「なんでGoogleアカウントにログイン?」
大翔は苦笑しながら私に話すけれど、私はなぜその行動を取る必要があるのかわからず首を傾げる。
「Androidデバイスマネージャーというサイトがあってだな、簡単に言うとスマホの位置情報を確認したり、遠隔でマナーモードも無視して最大音量で着信音を鳴らしたりできる」
「……そういえば、スマホ買った時にそんな機能があるとか聞いたような気がする」
説明を大翔から受けて、私はかつてスマホを買った時に窓口のお姉さんにそんな事を説明されたような気がする、とおぼろげな記憶を手繰り寄せる。
「これを使うには登録しているGoogleアカウントにログインできる事と、GPS位置情報がオンになっている必要があるんだが、食べ歩きが趣味なら常時オンになっているんじゃないかと思ってな」
「なるほど……」
確かに私はネットで調べたお店に向かう時、地図アプリを頻繁に使う。
GPSで今自分が向いている向きまでわかる事もあって、私は基本的に位置情報はオンにしてある。
特にオフにしないと困るような事もないからだ。
「消防にも連絡したが、夜中に救助ヘリは出せないので救助は夜が明けてからになると言われてな」
「だから俺が直接助けに行く事にしたんだ」
「…………え、二人が助けてくれたの?」
今、大翔と陽向はさらっとものすごい事を言わなかっただろうか?
まさか、あのほぼ絶壁みたいな斜面に生えてきた木にかろうじて引っかかっていた状態の私を……?
「店が閉まる前に急いでレンタカー借りて、Googleアカウントには幸のタブレット端末からログインできたから、GPSの位置情報を元にある程度近づいて、後は着信音を頼りに探して見つけた」
どこか得意気に陽向は言う。
「崖の中腹辺りで引っかかってた幸を命綱もなしでいきなり助けに行こうとした時は流石に肝が冷えたがな」
「大翔が途中でロープやヘッドライトを買っておいてくれて助かったよ。一旦崖の上まで登って、そこから下りて行ったんだ」
「危うく怪我人が更に増えるところだったな」
予想外の力技に私は絶句する。
つまり、陽向はロープに身体をくくりつけただけみたいな状態で崖を下りて、それから意識の無い私を抱えて崖を登った?
それとも下りたのだろうか?
地面への距離がエグくて陽向から電話をもらった時点では下には闇しか広がってなかったので、上るのも下りるのもかなりきつかったはずだ。
色々理解が追いつかなかったけれど、陽向ならやりかねない、という妙な納得感はあった。
「そうだ、瑞希! 瑞希はどうなったの!?」
私がそう言った途端、二人の顔が気まずそうに曇って、一気に血の気が引く。
「……瑞希は、まだ寝てる。幸と違って崖から落ちきってたから拾うのは簡単だったけど、怪我も酷くて……今は容態も安定してるけど、もう少し病院に運ばれるのが遅かったら危なかったって」
「即死でもおかしくない高さだったが、途中で崖の途中に生えている木に何度もぶつかって勢いが殺されたり、落ちた場所に枯葉が積もっていてクッション代わりになったんだろうな」
「そっか……」
陽向と大翔の説明を聞いて、とりあえず瑞希が生きているらしい事を知って私は胸をなで下ろす。
「幸、何があったんだ? 山の中にある店で昼食を食べる予定だったそうだが、あの辺りは場所によってはスマホも繋がらないし、本当に山奥で何も無い所だぞ。カーナビや地図アプリだってある時代に、あそこまで行くのは道に迷ったと言うにしても無理がある」
真剣な顔で大翔は尋ねてくる。
ようやく状況が飲み込めてきたけれど、これは正直に答えると第二の惨劇が起こるやつだ。
直感的に私はそう思った。
「ナビが狂ってたみたいで迷っちゃってさ、スマホは繋がらないし、地図だと多分この辺なんだけどーって車降りて彷徨ってたら私が足滑らせちゃってさ、瑞希も助けようとしてくれたんだけど、二人で落ちちゃった」
本当の事を言う訳にもいかず、私は無理矢理いい訳をひねり出す。
多分、瑞希は私と心中しようとしていたのだと思う。
そこまで瑞希を追い詰めてしまったのは私であるという自覚は流石にある。
けれど、正直に私がその事を話して、そんな風に弁明したとして、それが陽向や大翔に通じるとは思えないし、それこそ取り返しのつかない事になってしまう。
……特に陽向。
私としては運良く助かったのなら、それでめでたしめでたしという事にして、穏便に事を納めたい。
「……俺と陽向が幸達を拾った場所ではスマホもGPSも機能してたが」
「うん、ちょうど落ちた辺りが電波が届くギリギリの境目だったのかも」
「…………そうか」
怪訝そうな顔をする大翔に、つい早口で言えば、大翔は急に大人しく引き下がる。
「二人共、私達を助ける為にいっぱい頑張ってくれたんだよね。ありがとう」
話が一旦途切れた所で、私は二人に向き合って頭を下げる。
「当たり前だろっ」
「とりあえず、命に別状は無いみたいで良かったよ」
陽向と大翔は柔らかく笑って頷くけれど、自分の身に何が起こったのかという事が飲み込めてくると、今になって急に怖くなってきた。
もし、落ち方が悪くてそのまま一気に一番下まで落下していたら。
もし、私達の落ちた場所がスマホの電波が届かない場所だったら。
もし、あの時陽向が電話してくれなかったら。
他にも次々にもし、が浮かんできて、本当に自分はものすごく奇跡的なタイミングで助かったんだな、と思える。
「とにかく、瑞希には早く回復してもらわないとな、色々言いたい事もある」
「うっ……」
ため息交じりに言う大翔の横で、急に陽向が俯く。
「陽向?」
「なんか、安心したら……気が抜けて……良かったっ……本当に良かった……!」
何事かと私が陽向を見れば、急に陽向に抱きしめられる。
顔は見えなかったけれど、声と気配で陽向が泣いているらしい事はすぐにわかった。
「陽向、ちょっと痛い」
「悪いっ、ナースコールするか!?」
私が身じろぎしながら言えば、陽向は焦ったように身体を離して、両目からぼろぼろ涙をこぼしながら心配をしてくる。
「しないよ、そこまでじゃないよ」
「幸……」
「なに?」
ぽんぽんと陽向の頭を撫でながら言えば、陽向はその手をとって、私を見る。
「本当に生きてる……俺の知ってる幸だ……」
「……うん、私もまたこうやって陽向に会えて良かった。助けてくれてありがとう」
私の手を握りながら言う陽向に、私まで涙腺が緩くなってしまう。
泣きながら嬉しそうに笑う陽向を見て、
「ああ、やっぱりこの人しかいないなあ」
と、なんだか負けたような嬉しいような不思議な気持ちになった。
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