#45 予想外でした
瑞希:来週の土曜日、日帰りで山に行かない? その山で獲れた新鮮なジビエ料理が食べられるお店があるんだけど
陽向と一週間ぶりに盛り上がった翌日、昼近くなって私が目を覚ますと、瑞希からラインが来ている事に気づいた。
「山で食べる新鮮なジビエ料理かあ……」
すごく、食べてみたい。
でも……。
「いいんじゃねえの? 行ってこいよ。どうせその日は俺仕事だし」
今日は休みで、私の代わりに遅めの朝食を用意してくれた陽向に話してみたら、あっさりと背中を押された。
私は今まで散々、私が他の男と出かけるのを陽向が容認するように仕向けてきたし、状況的に陽向が私に行くなとか、反対するはず無いとはわかっていた。
なのに、なぜだかその日は妙にがっかりしてしまって、そしてがっかりしてしまった自分に驚いた。
これじゃまるで陽向に反対してもらいたかったみたいじゃないか。
「えへへっ、楽しみだなあ」
なんだかそれを認めるのが悔しくて、あえてわざとらしくはしゃいでみたけれど、陽向ははいはい良かったな、と興味なさそうに返してくるだけだった。
それからの一週間は、特に何事も無く過ぎていった。
相変わらず大翔と瑞希はよく我が家に遊びに来るし、陽向が分厚い結婚情報誌をやたらとこたつの上とかに乗せてきて邪魔だったけれど、それくらいである。
瑞希と山に行く当日、十二月も半ばにさしかかって寒い事もあり、私はばっちりと防寒対策をして出かけた。
上着も軽くて暖かい物を重ねて、下着もヒートテックを着込んだ。
山の中にひっそりと立っている食事処というのは、実は意外に多い。
不便な立地条件にも関わらず、その美味しさからわざわざ遠方から客がやってくるパン屋やそば屋の話はよく聞くし、たまにテレビや雑誌でも取り上げられたりする。
今回行く場所は秩父方面らしいけれど、時期的に閉山してたり、獲物によっては狩猟禁止の時期にかかっていたりするけれど、一体何の肉が出てくるのだろう。
その辺を瑞希に聞いても、
「着いてからのお楽しみだよ」
と、返される。
前にも何度かこんな事はあったけれど、連れて行ってもらったお店はいつも美味しかったので、今回もその実績を信じてついて行く事にする。
店へは途中まで車で行って、それからしばらく歩くという。
「さっちゃんはさ、自分に足りない物を陽向を手に入れる事で補おうとしてるんだよね」
車で山道を進みながら、瑞希は言う。
今日のために、わざわざレンタカーを借りてくれたらしい。
「……そうかもしれない」
「僕は、近い者同士で互いに寄り添いたいかな」
私が答えれば、視線は正面を向いたまま、瑞希は述べる。
「私は、それでもやっぱり、陽向に近づきたいよ」
「……本当のお母さんから遠ざかりたいんじゃ無くて?」
「…………」
それもある。
だけどそれを言うと、そのまま瑞希に流されてしまいそうで、私は口をつぐむ。
「何がどうなったって、さっちゃんはさっちゃんだよ」
「うん……」
「逆に、どうあがいたって、さっちゃんはさっちゃんでしかないし、他の誰かになるはずも、なれるはずもないんだよ」
「それは、問題のすり替えじゃない?」
だから、このままでいいし、瑞希と付き合うのは何も問題が無い、という方向に話を持って行かれそうで、私は瑞希の言葉を遮る。
「そうかな、でも、さっちゃんが気にしてる根本的な問題はそれかと思うけれど」
「……まあ、人はそう簡単には変われないよね」
「そうだね。あ、ここからは歩きだから」
私が言葉を濁すと、車が山道の、微かにできた空き地のようなスペースに停車する。
「随分、山道っぽい所に止めるんだね」
「お店の前には駐車場もあるみたいなんだけど、休日は昼前になると満車になって結局近場で止められそうな所を探す事になるんだよ」
車を出て歩きながら私が尋ねれば、瑞希は先を歩きながらそう答える。
私はとりあえずななめがけの財布のポケットにスマホを入れ、貴重品だけ持って車を出た。
「へえ、結構有名なお店?」
「うーん、知る人ぞ知るって感じかな。お客さんもリピーターがほとんどなんだって」
「ふーん、楽しみ」
それから私達はしばらく他愛の無い世間話をしながら山道を進んだ。
「ねえ、まだ? もう四十分近く歩いてるけど……」
「うん、そろそろこの辺で休憩しようか」
いい加減足がだるくなってきて私が音をあげれば、瑞希は私の方を振り向いて、いつものように笑った。
こんな事なら貴重品だけでなく、飲み物とかも車から持ってくれば良かったと後悔する。
「するー……今どの辺?」
私は道の端に座り込みながら瑞希に尋ねる。
汚れていい服で来て良かった。
「そうだね、もうちょっとだよ」
「でも、随分上ってきたね。ここから落ちたらひとたまりもないって感じ」
道を少し外れたらすぐにある急な崖を覗き込みながら、私は言う。
かなり下まで見渡せて、そこに至るまではかなり急な坂道が続いていて、足を踏み外したら簡単には戻ってこられなそうだ。
「そうだね」
「それにしても、さっきから全然人と会わないけど、駐車場が埋まるほどの人気店なんだよね?」
道もほぼ獣道で、頻繁に人が通っているようには思えない。
もしかしたら私達が通ってきているのは一般的なルートでは無いのだろうか。
「そうだね」
「瑞希、さっきからそうだねしか言ってないじゃない」
なんだか妙に不安になって、私は瑞希の方を振り向く。
すると、いつの間にか私のすぐ目の前に瑞希がしゃがみ込んでいて、驚いた私は一瞬固まる。
「さっちゃん僕はね、今、結構幸せなんだ」
「幸せ?」
触れそうな程の至近距離で、瑞希は私の顔を覗き込むように言う。
「うん、好きな人と二人きりで出かけて、今なんてまるで僕ら以外この世界にいないみたいじゃないか」
「瑞希……?」
うっとりしたような顔で、地面に着いた私の右手に自分の左手を重ねながら瑞希が言う。
普段と違う様子に、なんだか怖くなった私は身体を引こうとして、慌てて止める。
すぐ後ろは崖だ。
「だからさ、この瞬間に終わりたいなって思って」
「なに言って……っ!?」
にっこりと笑った瑞希が、急に私を抱きしめてきた直後、私の身体は瑞希に抱き上げられ、そのまま私達の身体は宙を舞った。
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