#43 身を任せました

「ただいま~……」

 時刻は夜の八時を過ぎた頃、私が帰宅すると、なんだか美味しそうなにおいが玄関まで漂ってきていた。


「お、おお幸っ、ちょうどいいところに帰ってきたなっ!」

 においの正体を確かめにそのままリビングへと向かえば、ちょうど陽向がオムライスを作っていた所だった。


「美味しそうだね~良いにおい。でも、急にどうしたの?」

 とろとろの卵が乗ったオムライスを見ながら、私は陽向に尋ねる。

 オムライスは私の好物ではあるけれど、糖質と脂肪分のバケモノだからと、陽向は普段食べたがらないのに、どういう風の吹き回しだろう。


「いや……急にふわっとしたオムレツの作り方を練習したくなって……」

「ふーん?」


 気まずそうに陽向は目を逸らしながら言う。

 ふと隣に目を向ければ、大皿に失敗したと思しきオムレツ達がこんもりと盛られている。


「……陽向、卵はいくつ使ったの?」

「……1パック」


 言い辛そうに陽向は言う。

 つまり十個。

 一つのオムレツに二つ使ったとして、このオムライスを作る為に、どうやら陽向は四回オムレツ作りを失敗させていたようだ。


「そういえば、一皿しかオムライスは見当たらないけど、陽向は食べないの?」

「いや、俺はこのオムレツとサラダで済ませるから……」

 そう言いながら、陽向はせっせと他の付け合わせの準備を始める。


 という事は、陽向は自分が食べもしないのにわざわざ私の為だけに何度も失敗しながらこのオムライスを作ってくれたらしい。


 その日の晩ごはんは、私がオムライスと付け合せのサラダと、インスタントのコーンスープで、陽向が大量のオムレツとサラダとインスタントのわかめスープだった。


「……あ、美味しい」

 一口オムライスを食べてみると、とろっとした卵の甘さに、トマトの酸味が口の中で溶け合って、豊かなバターの風味が鼻に抜けていく。

 陽向は普段オムライスを作ったりしないはずなのに、その味は随分と完成されているように思えた。


「そうか、ネットで旨いオムライスの作り方を探したんだ。レシピ通りに作っただけだけど、旨いなら良かった!」

 ぱあっと陽向の顔が明るくなって、嬉しそうに笑う。

 わざわざ、そんな事までしてくれていたらしい。


「ありがとう。すごく美味しいよ」

「まあ、兄貴達ならこの辺もっとスマートに出来るんだろうけど、俺はこれくらいしかできないからな……」

 私がお礼を言えば、陽向は急に先程の笑顔を曇らせて、どこか寂しそうに言った。


 そこでやっと私は気づく。

 陽向、大翔、瑞希の三人の間では私とどこに行っただとか、何をしただとかいう情報はある程度共有されているらしいという事。


 先日私が瑞希の家に行って何かあったらしい事はもちろん、先程まで大翔とお茶してきた事も、きっと陽向には伝わっている。

 結婚に向けてお互いの両親にもこの前挨拶を済ませたと言うのに、その事について陽向が何も思わないはずが無い。


「幸、俺は兄貴達に比べたら頼りないだろうし、ダメな所も多いと思う。けどっ……!」

 食事の手を止めて、どこか思いつめたように陽向は言う。


「けど、俺は、幸が好きだ……」

 どこか諦めるような、泣きそうな顔で、陽向は言う。


 陽向は収入だとか、付き合いの長さだとかで自分はお兄さん達よりも結婚相手として劣っていると思っているらしい。


 そうか、陽向は気づいていないのだ。

 自分にあって大翔や瑞希には無い、自分の一番の長所に。

 でも、そういう所が陽向らしい。


「うん、私も陽向の事好きだよ」

 いつもまっすぐで、情が深くて、何事にも努力を惜しまない。

 陽向のそういう所が好きだ。


「好きでも…………なんでもない……」

 陽向は、何かを言いかけてやめた。

 好きでも、一番じゃなきゃ意味が無い……とでも言いたかったのかもしれない。


 けれど今の私には、

「陽向が一番だよっ!」

 なんて即答はできなくて、結局私はその言葉について陽向に追求する事はしなかった。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 結局、その後は二人とも無言で晩ごはんを食べ終わった。

 食後、今日は私がごはんを作ってもらったので、私が洗い物やキッチンの後片付けをしようとすると、なぜか陽向が付いてきた。


「今日は、作る時にいつもより洗い物増やしたり散らかし過ぎたから、俺も手伝う……」

 どこか恥ずかしそうに、もじもじしながら陽向が言う。

 確かに、キッチンを見渡せば、普段よりも少し散らかっている。


「うん、ありがとう。じゃあ手伝ってもらおうかな」

「おうっ……!」

 私が言えば、陽向が少し嬉しそうに返事をする。


 二人で並んで洗い物をしながら、きっと陽向となら確実にそこそこ幸せになれるんだろうなあ、なんて思った。

 そんなに裕福な暮らしは出来ないし、燃えるような恋心なんてないけれど、この人となら苦楽を共にして生きていけると、そう思えるのだ。


 その日の夜も、陽向は何をするでもなく私をぎゅっと抱きしめながら眠りについた。

 これ、思うように寝返りも打てないし、夜中トイレに行くにも一苦労だし、高確率で寝違えるんだよなあ、なんて思いつつも、私は陽向に身を任せる。


 なぜだか、これはこれで心地良いのだ。

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