#38 誘われました

 高校時代、特に二年生の夏休み以降、私と瑞希はいつも一緒だった。

 学校でも、放課後でも、休みの日でも。


 でも、周囲からは付き合ってるの? と聞かれると、いつもそれは否定していた。

 うまく説明できないけれど、私と瑞希の関係に、私は名前を付けたくなかったのである。


 瑞希の事は好きだし離れがたいし、既に肉体関係もあった。

 だけど、この関係に恋人だとか付き合っているだとか、そんな名前をつけてしまうと、その瞬間に一緒にいる事に義務のようなものが発生してしまうような気がして嫌だった。


 友達は、私達が付き合ってないと聞くと、

「え!? 二人って付き合ってなかったの!?」

「お前らいつも一緒にいるんだし、もう付き合っちゃえよ」

 なんてよく言ってきたけれど、いつも適当に流していた。


「じゃあ、私が瑞希くんとっちゃおうかな~」

 なんてからかってくる女友達もいたけれど、瑞希は私の事だけで手一杯だし、簡単に私を見捨てるような人間じゃない事は知っていたから、特にそんな言葉で焦った事もない。


 眠れない夜に延々ショートメールのやり取りに付き合ってくれる。

 唐突な真夜中の呼び出しにもわざわざ家を抜け出して応じてくれる。


 勉強だって同じ大学に行きたいと私が言ったら、とても熱心に根気強く教えてくれた。

 自分はもっといい大学に合格していたのに、私のレベルに合わせてそっちでも給付型の奨学金はもらえるからと入学する大学を変えるような人間なのだ、瑞希は。


 瑞希との関係はぬるま湯のように心地良くて、私はずっと彼に甘えていた。

 だって、瑞希と一緒なら、私は寂しさから解放されて、嫌な事や面倒な事も考えずに済んだ。


 それどころか、私が何も考えなくても、全部瑞希が私以上に私の事を真剣に考えて手を引いてくれるから、私はそれについて行くだけで良かった。


 けれど、同時にそれは私をどんどん高慢こうまんな人間にしていった。

 何かうまく行かない事があったら全て瑞希のせいで、瑞希が私に尽くしてくれる事もいつしか当たり前になっていった。


 瑞希は私が文句を言ったり理不尽に責めたりしても、いつも笑顔で

「うんうん、ごめんね、僕が悪かったね」

 と甘やかしてくる事が余計にそれを加速させた。


 そして、私はある時、自分の考えがあの日会った、もう顔も名前も忘れてしまった実の母に似てきている事に気がつく。


「瑞希くんの事が好きなら、文句ばっかじゃなくてもっとちゃんと大切にしてあげなさいよ!」

 高校の卒業式の後、私はクラスメートの女の子に呼び出されて、そう言われた。


 その子は目に涙を溜めながら、私への恨み言をあれやこれやとまくしたてたけれど、どうもその子は瑞希の事が好きらしかった。


 けれど、告白したら好きな人がいるからとふられて、でもそれは彼女にとっては最初からわかっていた事なので別にいいのだと言う。


 ただ、三年間一途に瑞希を思い続けてきた彼女をふってまで瑞希が選んだ私が、全く瑞希の献身に感謝していないどころか、最近は文句ばかりな態度が気に入らないらしかった。


 その時、私は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 そんなの、まるで、あの日会った私の実の母親みたいじゃないか。


 自分の事しか考えてなくて、自分が世界一可哀相な人間だと思っていて、その可哀相な自分はもっと周囲から大切にされて一方的に気遣われて当然なのだと言わんばかりの人間そのものじゃないか。


 クラスメートは言うだけ言うとそのまま走り去ってしまったけれど、残された私はあの日以来ずっと軽蔑してきた実の母親に自分が近づいているという事実に気づいて戦慄した。


 まともな人間になりたい。


 まともな人間になって、ここまで育ててくれた両親にも恥ずかしくないようなまともな人生を送って、まともに幸せになりたい。


 そう、強く思った。


 そうでなければ、両親や友達など、周りの全ての人間に愛想を尽かされて見捨てられてしまうような気がした。

 もちろん瑞希にも。


 だから、私はそれからずっとまともな人間になろうと努力してきた。

 頑張り過ぎて投げ出してしまう事もあったけれど、それでも、できる限りまともであろうとはしてきた。


 ………………。


 真奈と話した帰り、私は駅に向かいながら過去を思い出す。

 何で今、こんな事を思い出すのだろう。


 結局、大学に入ってしばらくは瑞希との関係も続いていたけれど、やっぱり瑞希といると甘えてしまう自分がいて、私からもうこんな関係はやめようと瑞希に切り出したのだ。


「僕、何かさっちゃんが嫌な事しちゃった?」

 瑞希は悲しむでも怒るでも、ましていつもの笑顔を浮かべるでもなく、感情のない瞳と声で、私に尋ねてきた。


 単純に、わからない事の理由を尋ねるように。


「瑞希が悪いんじゃない。でも、このままだと私は瑞希がいないと何もできない人間になりそうだから」

「そうなってしまえばいいのに」

 あっけらかんと瑞希は言う。


「うん、そうやって瑞希は私を甘やかすでしょ? だから、少し離れたい」

「じゃあ、一個だけ僕のお願い聞いてもらってもいい?」

「……なに?」


 私は少し身構えたけれど、今まで散々迷惑をかけてきた手前、自分にできる事ならできるかぎりその希望は叶えたいと思った。


 もし、瑞希が今まで私にしてきた事への何かしらの復讐を考えていたとしても、甘んじて受け入れようと覚悟した。


「今までみたいにずっと一緒にいなくてもいいし、セックスもしなくていいからさ、二人でも複数でも、これからもまた遊んでくれたら嬉しいな」

 けれど、瑞希の希望は私が予想した事よりも、遙かに私にとって都合のいいものだった。


 私は、瑞希に責められたり、非難される事も当然予想していたのだけれど、そんな事は全くなくて、そうだ、瑞希はそういう人間だったのだと納得する。

 と同時に、自分の浅ましさが嫌になった。

 それから、瑞希とは相変わらず親しい友達として関係は続いた。


 瑞希は、いつだって私に優しかった。


 駅のホームで、家に向かう電車を待ちながら、私はスマホの画面を見る。

 「だったら、この後する事は決まりね!」

 先程の真奈の言葉が思い出される。


 幸:ねえ、今から二人で会って話せる?


 言葉で言う勇気はなくて、私はラインにそう打ち込んだ。

 けれど、そうすぐに既読は付かなくて、ホームに電車が到着する。


 電車を降りるまでに反応がなかったらあきらめよう。

 そう考えながら電車に乗り込む。


 電車が二駅ほど過ぎた頃、マナーモードにしていたスマホが小さく震えて、私は画面を見る。


 瑞希:じゃあ、僕の家に来る?


 私は、それを承諾した。

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