#36 背中を押されました

「そりゃ、この人で良いのかなって幸の心が揺れてるからよ」

「そう、なのかな……」


 日曜日だというのに、わざわざ時間を作って私の話を熱心に聞いてくれた真奈は、平然と言い放つ。

 今日は陽向が仕事という事もあり、家で一人になった私はなんだか落ち着かずに真奈に電話をかけた。

 すると、すぐに真奈の家の近くにあるカフェへ行くことになり、今に至る。


「だって、マリッジブルーなんて、自分の人生には他の選択肢もあったんじゃないか、とか考えちゃう時になるもので、今の幸の場合、他の選択肢って言ったら、お兄さん達と結婚したら、とかそういう事でしょ」

「う、うううん……」

 言われてみれば、そうなのかもしれない。


「まあ、最終的に決めるのは幸だけれど、あなたは今の自分の美味しい状況をわかってないわね」

「お、美味しい状況……?」

 優雅に紅茶を一口飲みながら言う真奈に、私は首を傾げる。


「話を聞くに、今は婚約者公認でお兄さん達とも遊べるし、なんだったら乗り換え自由な訳でしょ?」

「乗り換え自由って、そんな携帯電話のキャリアみたいに……」

 なんだか、急に話が軽い感じになった。


「でも実際そうでしょ? それに、兄弟の誰とくっついても舅、姑は共通な訳だから、離婚して乗り換えよりは婚約破棄して乗り換えの方がまだ傷は浅いと思わない?」

 季節のフルーツタルトを口に運びながら、真奈が言う。


「どちらにしても心証悪化は避けられなさそうだけど……」

「そりゃ今は婚約破棄でも慰謝料取られたりするけれど、それでも離婚する時の慰謝料に比べたら安いし、有責側でない方が離婚しないって言えば離婚できないんだから、そういう事考えると、乗り換えるなら今よ!」

 ここぞとばかりに真奈は力説する。


「なんか、今日は随分熱血だね」

「そりゃ結婚前の浮気と結婚後の不倫は話の重さが全然違うもの。それに、一番好きな人と結婚しないで条件だけで結婚した主婦が不倫って、よく聞く話ではあるけれど、子供がいると、やっぱりその子が可哀相だもの」


「……うん、それは、そうかもだけど」

「それで、どっちと悩んでるの?」

「身も蓋もない言い方だなあ……」

 でも、今はこの無遠慮な真奈の話の進め方になんだか安心する。


「私なら断然一番上のお兄さんだけど、多分、幸なら瑞希くんじゃない?」

「えっ……な、なんでそう思うの……?」

 いきなり核心を突いてきた真奈に、私の心臓が跳ねる。


「わかりやすいなあ~、うーん、強いて言うなら、女の勘?」

「そ、そうなんだ……」


「幼なじみなんでしょ? それが今まで関係が続いてきたって事は、それなりに好ましく思ってるって事じゃないのかな~って」

「うん、そうだね、そうかも……」


 確かに、肉体関係が無くなっても、結局ずるずると瑞希と友人関係を続けていたのは、彼と離れがたいと思うからだ。


「だったら、この後する事は決まりね!」

「え、決まりって?」

「瑞希くんと会って色々話したら良いのよ。それで愛を深めるなり、踏ん切りをつけるなりすれば良いじゃないっ」

 目をキラキラと輝かせながら真奈が言う。


「……とか言いつつ、何か起こる事を期待してるね」

「だって期待するじゃない~」

「わかりやすいなあ」


 口を尖らせながら言う真奈に、少し笑ってしまう。

 あまり冗長な物語というのも聞いている側としては面白くないのだろう。


「……でも、行動を起こすなら今が良いって思うのは本当。もし乗り換えるにしても、これ以上話が進んだら、どんどんややこしくなるもの」

 急に真剣な顔になって、真奈は私に言った。

 それも確かに事実ではある。


 結局、私は真奈と一時間程話した後、カフェを出た。

 真奈は面白がりつつも、真摯に私の話を聞いてくれているようだった。


 最後に、休日なのに急に呼び出してゴメンと謝ったら、

「大丈夫、彼氏と婚約中だけどマリッジブルーになった友達が自棄になりそうって言ったら、今すぐ行ってあげてって言ってくれたから」

 と、笑顔で言われた。


 ……真奈の旦那さんも、とても良い人なのだろう。


 そう、私は昔から人に恵まれてきた。

 家に帰る道すがら、私は高校の頃の出来事を思い出す。


 両親に自分は実の子供じゃないと言われた時、私はショックだったけれど同時に、だったら自分と血の繋がった、本当の親は誰なのだろうと思った。

 けれど、そんな事をその場ですぐ言う事も出来ず、それは高校二年の夏まで続いた。


 夏休みがすぐそこに迫ったある夜。

 私は意を決して食後くつろぎ始めた両親に話を切り出した。


「私の、血の繋がった両親って、今何してるのかな……」

 重くならないように、できるだけ明るく切り出そうとしたはずなのに、声はうわずって震えて、言った直後に失敗したと思った。


「やっぱり、気になるよなあ」

「じゃあちょっとお母さん達の方で調べてみるわ」

 けれど、私の両親は、あっさりと私の話を聞き入れてくれた。


「いいの……?」

「ええ、自分の本当の親に会ってみたいって思うのは普通の事だし、お父さんとももし幸がそう言ってきたらその希望を叶えてあげようって、話してたのよ」

 恐る恐る私が尋ねれば、母も父も、どこか寂しそうな笑顔で大きく頷いてくれた。


「ありがとう……」

 その時の感情をうまく表現する事は出来ない。

 ただ、勝手に涙が込上げてきて、父と母が私を抱きしめてくれたけれど、その二人の切なそうな顔に、私はひどく胸を締め付けられた。


 そのくせ、自分の血の繋がった実の親に対する妙な期待を持っていて、当時の自分の事を思い出すと、今もその愚かさにのた打ち回りたくなる。

 そして、きっとそれが、私と瑞希の後の関係を決定付けてしまったのだ。

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