#32 抱きしめたくなりました
「それで結局、二人は一昨日陽向と三人でどんな事を話してたの?」
ぐつぐつと煮込まれている鍋を前に、私は目の前に座る大翔と瑞希に尋ねた。
少し遅れるかもしれないと言っていた大翔だけれど、私達が店に着いた十分後にはやってきた。
どうやら急いで仕事を終わらせてきたらしい。
「幸との関係や、俺達の目的を聞かれたので、それに答えただけだ」
「それだけ?」
「まあ、話はそれだけじゃ終らなかったけどね~」
大翔の答えに私が食い下がれば、横から瑞希が笑いながら口を出してくる。
「あの……それ、瑞希はなんて説明したの……?」
私との関係や目的……大翔はいいとして、瑞希の場合は色々と人に話せない事が多すぎて、どう説明したのか非常に気になる。
「ずっと側にいて付き合っているものだとばかり思っていた幼なじみがある日突然兄と付き合いだしたり、別れたと思ったら今度は弟と付き合いだして今は結婚するとかびっくりだよね~みたいな感じかな」
「ああ……うん、なるほど……」
思わず私は目を逸らしてしまう。
絶妙に事実をぼかしているというか、論点をずらしている感がある。
というか、この説明だと完全に私が悪女になっていないだろうか。
その辺はお互いすれ違いがあったというか、なんというか。
「それにしても、大翔の年収とか生涯賃金と子供の教育費とか奨学金の話はエグかったよね~」
「事実を述べただけだ。そら、もう食べ頃だぞ」
「え、どんな事言ったの?」
瑞希の話に、大翔は鍋の世話をしながら答えるけれど、なんだか気になる話が聞こえた気がする。
「今の僕達三人の年収とさっちゃんの年収をそれぞれ合わせて、共働きで働くとしていくらになるとか、十年二十年後の世帯収入に子供の養育にいくらかかるとか、本当に細かくデータを出してプレゼンしてたよ」
「すごく、大翔らしい……」
具体的な内容を瑞希から聞いた私は、妙に納得してしまった。
「実際、俺達の家はちょうど同じような時期に子供三人が立て続けに受験や進学だったから、その辺はかなり苦労したんだ」
鍋から肉を取りながら大翔は言う。
確かに、教育費とかで一番お金のかかる時期の子供三人というのは大変そうだ。
「給付型で併用可能な奨学金を探して条件が合ってる所には片っ端から全部応募したりしたよね~」
「世帯収入がギリギリ給付対象にならない額で申し込めなかった奨学金も多かったが、常に一定以上の成績を維持する事で給付される奨学金もあったからな」
瑞希と大翔が口々にうんうんと頷きながら言う。
なんかもう、その辺の情報を集めて精査する時点で大変そうだ。
私は一人っ子で親も共働きだったので、その辺の心配は全く無かったし、私を育ててくれた両親には本当に感謝している。
「陽向はあんまり勉強は得意じゃなかったし、野球部ではレギュラーで甲子園に出場したりしてたけどプロになれる程ではなかったから、給付型奨学金の出る大学で、より条件の良い奨学金制度の大学に行かせるために結構大変だったよね~」
昔を懐かしむように瑞希が言う。
「うちは塾に通う金もなかったからな」
「まあ、参考書は使いまわせたし勉強は僕達で教えてたからなんとかなったけどね」
「だが、何のためにそこまで勉強して大学に行くかといえば、就職を少しでも有利にして、より稼ぎ、自分の子供に同じような苦労をさせない為じゃないのか。少なくとも俺はそうだった、というような事を話した」
「うわあ……」
えげつない。
大翔や瑞希は早い段階で家の経済状況に危機感を持って動いてきたのだろうし、その時のノウハウが陽向の受験の時には大いに生かされていたのだろう事はわかる。
陽向が高校までずっと野球に打ち込めたのも二人が出来る限り家計に負担をかけないように配慮してきた部分もあるのだろう。
だからこそ、陽向は未だに大翔や瑞希には頭が上がらない訳で、それが弱みでもあるのだ。
「僕は別にやりたい事とかなかったけど、もし出来た場合の進路の選択肢は多いに越した事がないよね。僕自身はとりあえず安定して暮らしていければそれでいいけど」
「その安定した職に就けたのだって、大学まで卒業したからだろう」
瑞希が肉と野菜を取りながら話せば、大翔が新たに肉を投入しながら言う。
「職種によってはそうでもないけど、普通の会社だと募集要項に大卒以上とかあるし、まあ、就職先の選択肢も広がるよね。就職した後も学歴によって昇給の幅が違う所もあるし」
「うん……なんとなくわかった」
こんな話をされたら陽向としては黙る他ないだろう。
「でも、子供の教育はともかく、結婚は当事者同士の気持ちの問題の方が大きいでしょ」
「けど、過去に幸が俺に別れを切り出した問題は解決しただろう? なら今からもう一度やり直すという選択肢も無くはないんじゃないか?」
大切なのは気持ちだと私が言えば、大翔は不思議そうに首をこてん、と傾けて言う。
「いや、そうだけど、急にそんな事言われても……それにもう私は陽向と婚約している訳だし……」
「うん、だから僕は間男からでいいよ。僕達の両親だってどっちも一度は離婚してるし。物心ついた頃から二十年以上も待ったんだ、今更数年増えた所で変わらないよ」
私の言葉に、今度は瑞希がニッコリと笑って答える。
……これは、陽向も黙る。
色々納得すると共に、なんだか私は無性に陽向を抱きしめてあげたくなった。
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