#30 挨拶に行きました
「お帰り陽向、お風呂にする? ごはんにする? それとも、わ・た・し?」
「飯で」
昨日の夜から引きずっている陽向の機嫌を直すべく、エプロン姿でベタな事を言ってみた私だったけれど、あっさりスルーされてしまった。
「ねえ陽向、美味しい?」
「ああ……」
陽向は基本的に仕事が終わったらまっすぐ帰ってくるので、今日は早めに準備を始めて陽向の好物ばかりを多めに作ってみたのだけれど、当の陽向はどこかうわの空である。
「陽向、今日もお風呂一緒に入らない?」
「遠慮しとく」
食べ終わるタイミングを見計らって陽向の腕にくっついてみたけれど、あっさり断られてしまった。
いつもならこれでイチコロなのに。
陽向は私を避けるように立ち上がると、食べ終わったお皿を重ねて流しへと持っていく。
我が家では夕食を作ってもらった方が後片付けの食器を洗うきまりなのだけれど、こうやって機嫌の悪い時でもちゃんとやってくれるのは陽向らしい。
「明日は早いし、今日は早めに寝ようね?」
「そうだな、おやすみ」
夜、お風呂や歯磨きも終えてベッドに入った時、陽向に脚をからめながらくっついてみたけれど、陽向は私を抱きしめ返してそのまま寝てしまった。
がっしり抱きしめられているせいで身動きもとれず、まともにイタズラもできない。
多分、陽向的にはそれが目的なんだろうけれど。
……それでも、同じベッドで抱きしめながら寝てはくれるんだなあ、なんて思ってしまう。
「とうとうこの日が来ちゃったね、陽向」
「そうだな」
「今日はこの服を着て行こうかと思うんだけど、どうかな?」
「いいんじゃないか」
翌朝、一晩寝ても陽向の機嫌は戻らなかった。
これは本格的にまずいかもしれない。
というか、この状態で結婚の挨拶に行くのか……マジか。
私と陽向は準備が整うと、陽向の実家に向かう途中の和菓子屋さんで苺大福を購入した。
このお店の苺大福は陽向の母親である小雪さんの好物らしく、父親である
私の高校以来、久しぶりに会った小雪さんは、流石に歳をとってはいたけれど、相変わらず上品な雰囲気の綺麗な人だった。
私の事も瑞希と仲の良かった女の子として憶えてくれていて、陽向チョイスの苺大福を渡すととても喜んでくれた。
「……それにしても、まさか陽向が瑞希の同級生の子と結婚するなんてねえ」
「私も最近二人が兄弟だって事を知って驚きました」
「あら、じゃあ瑞希を通じて知り合ったとかじゃなくて本当に偶然なの?」
「そうなんです」
「そんな事もあるのねえ」
小雪さんはニコニコと嬉しそうに私の話を聞いてくれる。
まずまずの好感触だ。
「私、お父さんとも保育園の時に会った事があるんですよ?」
私と瑞希は親の仕事の関係で、親の迎えがいつも最後の方になっていたのでよく憶えている。
「そうだったかな? 随分昔の事だから忘れてしまったよ」
「二十年以上昔の事ですもんね~私もまだ小さかったですし」
「そんな小さい頃の事もしっかり憶えているなんて幸さんは記憶力がいいんだなあ」
良祐さんはほとんど学校行事に顔を出さなかったし、まあそんなもんだろう。
正直私もあんまり覚えていないし。
「それにしても陽向、さっきから一言もしゃべってないけど……」
「ああ、大丈夫だ……」
「自分の両親の前でもこんなに緊張してどうするのよ」
家についてからずっと黙っている陽向を心配したように小雪さんが言う。
どうやら、緊張しているように見えるようだ。
「幸さんのご両親への挨拶の時は大丈夫だったのか?」
「いえ、私の両親の仕事の都合で、挨拶に行くのはまだなんです。来月の頭には行く予定なんですが……」
怪訝そうな顔つきで良祐さんが言い、それに私が陽向の横から答える。
「今からそんなガチガチで本当に大丈夫……?」
「昔から陽向はナイーブな所があるからなあ」
陽向の両親が口々に心配そうに言う。
「問題ない……」
そう陽向は言うけれど、問題ないように見えないからこういう話になっているんだろうに。
というか、これは緊張じゃなくて、不機嫌を隠せてないだけだ。
嘘をつけない陽向は、機嫌が悪い時、周りに当たる事はない代わりに恐ろしく大人しくなるのである。
私も最初はただ落ち込んでいるのかと思ったけれど、仲直りした後に聞いてみたら、
「どうしようもなく腹が立った時は、自分が今感情のままに動いたらどうなるかを出来るだけリアルにシミュレーションするんだ。そうして先に最悪の事態とその更に先を想像する事で、俺は踏みとどまれる」
と言いだして、背筋が凍った覚えがある。
自分が身体を鍛えるのも、いざとなれば自分が優位に立てる状態を出来るだけ確保する事で、踏みとどまれるようにする為だとも言っていた。
「俺は兄貴達と違って頭が良くないからな。立場的にも体力的にも完全に弱い側にまわったら、もしもの時、自分でも何するかわからないし、そんな精神的にも弱い自分は俺自身が許せない」
恐らく私は今、陽向の想像の中でかなり悲惨な事になっている。
陽向がその姿を想像して、少しでも同情心が生まれるうちは多分、踏みとどまってくれるんだと思う。
そして、今まで陽向が一晩置いても機嫌が直らなかった事は無かったので、今回は相当に根が深いと考えていいだろう。
……まあ、当然といえば当然なのだけれど。
「でもまさか陽向が一番最初に結婚するなんてねえ」
「今時、兄弟で上から順番になんて言う気は無いけども、少し意外だったな」
「ああ、いい相手がいたら、他の奴に取られる前にさっさと決めないとな」
感慨深そうに陽向の両親が言えば、陽向はわずかに微笑みながら答える。
その微笑みにほの暗いものを感じるのは私だけだろうか。
「そうねえ、大翔も瑞希も彼女とか好きな人とかいないのかしら?」
「まあ、陽向がさっさと結婚してくれるなら、孫の期待も出来そうだな」
「そうね、孫……ただひたすらに甘やかして可愛がれる存在……なんて甘美な響きなのかしら」
「という訳だから、期待しているぞ、陽向、幸さん」
「もし何か困った事があったら、いつでも頼ってきてね!」
一方、陽向の両親は陽向の両親で何か妙な盛り上がり方をしていた。
とりあえず、陽向との結婚はかなり歓迎してくれているようなので良しとしよう。
「……子供、いいかもしれないな」
陽向の実家からの帰り道、ポツリと陽向は呟いた。
「ふーん、陽向は子供欲しい?」
駅に向かいながら、なんとなく陽向の機嫌が戻ったように感じつつ尋ねてみる。
「子育てなんてしてたら他を見る余裕なんてなくなるだろうしな」
……あんまり機嫌は戻ってないかもしれない。
「い、いやあ、私はしばらくは新婚生活を楽しみたいなー、なんて」
空恐ろしさを感じつつ、私は話を逸らそうと試みる。
「そうは言っても作ろうと思っても必ずできるものでもないんだから、今から励んでも別にいいだろ」
「まあ、そういわれるとそうなんだけど……」
「まだ昼の三時過ぎか。今日は十分時間があるな」
腕時計を確認しながら、陽向が何か言いだした。
「じゃあ、帰ったらいっぱいイチャイチャする?」
「する」
ここは腹を括ろうと私が尋ねれば、陽向は即答してくる。
「……でもなあ、あんまり陽向が元気いっぱいだと私、今日は夕食作るのは無理かもなあ~」
「俺が作る」
わざとらしく言ってみたら、陽向が再び即答してくる。
これは……。
「今日は鍋のしめじゃない、あったかいおうどん食べたいなあ、お肉や野菜たっぷりの、身体が温まるやつ」
「細かいリクエストがあるなら、作り方とか先に、教えてくれれば……」
陽向の反応に、私は確かな手応えを感じる。
「じゃあ、スーパーに寄って帰ろうか」
「ああ……!」
手を絡めながら上目遣いで言えば、陽向が大きく頷く。
……とりあえず、陽向の機嫌は直ったようで良かった。
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