#26 気づいてしまいました
「良いんじゃないかな、これにしなよ」
「うん、これで行こうかな」
クローゼットから引っ張り出したワンピースを鏡に映せば、姿見越しに瑞希と目が合う。
お店で夕食を食べ終えた後、私は瑞希を家に招き入れた。
結局、瑞希のアドバイスでずっとクローゼットの肥やしになっていたワンピースにきれいめのカーディガンを羽織っていく事になった。
クローゼットやタンス、姿見は寝室に集まっているので、私達が立っているすぐ左隣には毎晩私と陽向が寝ているダブルベッドがある。
「ねえさっちゃん、僕はね、ほんとはそんなに我慢強い方じゃないんだよ」
私の来ているワンピースのバックファスナーを下ろしながら瑞希が言う。
お互い今更だからと、着替えは家に着いてから服を合わせる度に毎回瑞希の前で堂々とするどころか、こうやって手伝ってもらっている。
「そう? 私は瑞希ほど、我慢強い人間なんて知らないけどな」
今この状況だけでなく、それは高校の頃からずっと私が瑞希に対して抱いてきた印象である。
自分がどんな辛い状況に陥っても、それを周りには悟らせずに、瑞希はいつもニコニコしていた。
そして自分の事は差し置いて、いつも人に対して親切だった。
高校時代から瑞希の周りにはいつも人がいて、瑞希は男にも女にも人気があった。
大学に入ってからはそれが顕著になったけれど。
「僕が自分を必死で繕ってるのはね、いつも頭の隅にさっちゃんがいるからなんだよ」
ファスナーを下ろしきってワンピースが床に落ちると、瑞希は後ろから私を抱きしめながら言う。
「今は我慢できてないじゃない」
「してるよ。これでも抑えてるんだ」
ぎゅっ、と私を抱きしめる瑞希の腕に力が込められる。
「うん、知ってる」
「いじわるだなあ、さっちゃんは」
私の首筋に瑞希が頭をすり寄せてくる。
「私はね、とても無責任なろくでなしで、今こういう事をするのだって、ただ自分がそうしたいだけで、そこに意味なんて無いんだよ」
そう言いながら私は瑞希の頭を撫でる。
「知ってるよ。僕はさっちゃんのそういう所が好きだったんだ」
私の胸元に暖かい雫がぽたぽたと落ちてきて、ああやっぱり、と私は瑞希に向き直って彼の顔を両手で覆う。
向き直った瑞希は、いつも笑顔ばかりを浮かべている眉間にしわを寄せて、次から次へと瞳から涙をこぼしている。
そう、瑞希は昔からこういう所がある。
いつも自分の感情をぎゅっと押しつぶしてニコニコ笑っているけれど、それは表面に現れないだけで、傷ついていない訳じゃないんだ。
「……瑞希、ごめんね」
私は瑞希の涙を拭うように彼の目尻に口付ける。
今日、私はずっと自分の感情ばかりで瑞希を見ようとしていなかった。
見たらもう戻れないような気がしていたから。
「さっちゃん……」
瑞希はそのまま私を抱き寄せて、目の前のベッドへと押し倒す。
涙に濡れた瞳が私を見下ろしながら、悲しそうに笑う。
ちゅっ、と瑞希は唇に触れるだけのキスをして、額に、耳に、首筋に、と何度も瑞希はキスを落とす。
「好き、好きなんだ、ずっと……」
縋るような声で瑞希は私の耳元で囁く。
いやがおうにも彼の気持ちが伝わってきて、胸の奥からお腹の下にかけて、ゾクゾクと甘い疼きが走る。
「……ごめんね」
瑞希の頭を撫でながら謝れば、瑞希は動きを止める。
「ねえ、さっちゃん、お願いがあるんだ」
「……なあに」
顔を上げて、再び私を見下ろしながら瑞希が言う。
「しばらく、僕の頭を撫でてくれないかな。それ以外は何もしなくていいから」
「うん」
私が頷けば、瑞希は甘えるように私の胸に顔を埋める。
それから私はしばらく瑞希を抱きしめながらずっと彼の頭を撫でていた。
帰ってきた時に暖房を入れたので、特に寒くなる事は無く、むしろ瑞希から伝わってくる熱が暑いくらいだった。
どれくらいそうしていたかはわからない。
だんだん同じ体勢が辛くなってきた頃、瑞希は落ち着いたようで、身体を起こすと、どこか力が抜けたようにへらりと笑った。
「ごめんね、ありがとう」
「うん……」
寂しそうに瑞希が私にお礼を言って、私はそれに頷く事しかできなかった。
その後、それ以上の事は何も無く、私は瑞希に手伝われて部屋着に着替えて、散らばった服を直す。
ワンピースは厚めの生地だった事もあり、幸いしわにはなっていなかった。
「じゃあさっちゃん、またね」
「うん、また……」
穏やかな顔をして帰っていった瑞希を見送りながら、私は強い名残惜しさを感じた。
気持ちだけじゃない、この足りない感覚を、この欲望を、私はよく知っている。
「なあ、幸……」
「ごめん、今日は一日歩き回って疲れてるの」
その日、私は久しぶりに陽向からの誘いを断った。
きっと今、陽向に抱かれても、瑞希の事しか考えられないから。
それは、私の中で二人を同時に汚してしまうような気がした。
大翔の時はそんな事、全く思わなかったのに。
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