#7 元彼と再会しました

 仕事を終えて帰宅する途中、私は最寄り駅近くの本屋へと足を運んだ。

 普段、私が買っている雑誌と、最近出たという陽向の好きなマンガの新刊を探す。


 陽向がやたら薦めるので読み始めた馴染みの無い戦記物だったのだけれど、読んでみたら意外に面白くてすっかり私もはまってしまった。

 今では職場からの帰り道に本屋がある私がお金を立て替えて買ってあげる代わりに、先に読むのがお決まりになっている。


 レジでお会計を済ませてルンルン気分で帰ろうとした時、ちょうどこちらを見ていた私服姿の大翔と目が合った。

「あれ、大翔も本買いに来たの?」

「あ、ああ……」

 私が話しかければ、大翔は決まり悪そうに返事をする。


 確か、大翔の最寄り駅は全く別の駅じゃなかったか。

 勤めている会社とも全然エリアが違う。

 それに今日は平日だけれど、彼は休みだったのだろうか。

 さっきも私を見ていたようだけれど、一体いつから見ていたのか。


 え、まさか……。


 ストーカー加害者は六割が知人……復縁を迫られ断った末に……情痴殺人、なんてワードが頭の中を駆け巡る。

 同時に『いつか痴情のもつれで男に刺されないか心配だよ』なんて瑞希の言葉が思い出される。

 決め付けるのは良くないけれど、材料が揃い過ぎている。


 しかも、いつも私服であろうとピシッと身なりを整えて、常に皺一つ無い服と良く手入れされた靴を身に付けていた大翔が、今は全体的にくたびれた服装になっている。

 そんな彼が目の下にクマを作って淀んだ瞳でじっとこちらを見ているのだ。


 家の近くにちょっと出るくらいならそんな格好をする事もあるかもしれないけれど……。

 この前の顔合わせでは彼はこの最寄り駅とは全く別の路線で帰路についていたはずだ。


 今、選択を誤ったら殺られる……!


 そう私に思わせるには十分だった。

 大翔は三兄弟の中では一番背が低くて華奢だけれど、それでも十分私よりは背も高く、体格もいい。


「せっかくだし、ちょっとどこかで話してかない?」

「そう、だな」


 ここで変に怯んだり怖がったような反応をしたら、余計に大翔を刺激する事になる。

 直感的にそう感じた私は、駅近くのコーヒーのチェーン店へと誘った。

 まだ早い時間なので、店内はそれなりに賑わっていて人の目もあるはずだ。


 店に着くと、店内の席はほぼ埋まりかけていたけれど、ちょうど窓際の席が空いたので、素早く席を確保して大翔とコーヒーを注文する。

 普段だったら、甘いラテを注文したい所だけれど、今日はそんな気にもなれなくて、アイスコーヒーを頼んだ。


「それにしても偶然だね~、こんな所で会うなんて」

「ああ、そうだな……コーヒー、そのまま飲めるようになったんだな」

 席に座って私が言えば、大翔は私の手元のアイスコーヒーをじっと見つめる。


 大翔と付き合っていた当初、私は苦いのが苦手だと、コーヒーを飲めない事にしていた。

 本当はそんな事はなかったのだけれど、その方が可愛いのではないか、と当時は本気で思っていたのだ。


「うん、最近飲めるようになったんだ~」

「そうか……」


 アイスコーヒーと共に当時の苦い記憶がよみがえる。

 私の初めての彼氏である大翔は、あまりに出来すぎだったものだから、当時の私は彼に釣り合うようになろうと随分と背伸びをしていた。

 聞きかじりの知識でとんちんかんな努力をして失敗した事も多い。


 けれど、最大の悲劇は、私のそんな取ってつけたようなちぐはぐなモテテクが彼に通用してしまった事である。

 日に日に彼は私に夢中になり、私は自分の生み出したしょうもない細々こまごました設定や雑誌やネットで聞きかじった女子力の高い立ち居振る舞いにがんじがらめになっていった。


 そして、大学の卒業が近づいたある日、彼に結婚をほのめかすような事を言われた時、とうとうそれは限界を迎えた。


 もう嫌だ!


 こんな生活が一生続くなんて耐えられない!


 全て投げ出してなにもかも辞めてしまいたい!


 と、私の全細胞が叫び出したのである。


 でも、正直に全てを話して彼に幻滅されるのが怖かった私は、精一杯自分が良く見えるように背伸びしながら大翔をふった。

 別れるにしても、せめて大翔の中でだけは今まで必死に作り上げた大翔に愛される私のイメージを壊したくなかったのだけれど、それは私の自己満足だという事も知っている。


 私と大翔の別れは、案外あっさりしたものだった。

 これでもう煩わしいことから解放されると安堵した反面、大翔の最後まで紳士的で優しい姿に、酷い劣等感と罪悪感に襲われた。


 しかしその後、大翔は度々女の子と別れると私に復縁を持ちかけてくるようになる。

 大翔が付き合ってきた彼女の中でも特に私がすばらしいと言われているような気がして、悪い気はしなかった。

 でも、当時の不自然なまでに表面を取り繕っていた私が一番好きなんて、大翔は女の子に随分と夢を見ているとしか思えないので、また付き合う気にはなれない。


 結局のところ、友達として付き合いながら、たまに復縁を迫られる、くらいが私にはちょうどいいのだ。


「それにしても、お仕事忙しいの? 随分疲れてるみたい」

「ああ、そうなんだ。でも、やっと一段落したからもう大丈夫だ」

 全体的に少しくたびれた様子の大翔に尋ねれば、心配要らないという返事が返ってくる。


 今まで、どんなに忙しくても身なりだけはきっちり整えていたからこそ心配なのだけれど。

 大翔自身というよりは、そんな大翔の精神状態によって私が被害を受けるのではないかと言う意味で。


「そっか、お疲れ様。なら早く帰って休みたいよね、ゴメンね、呼び止めちゃったりして」

「いや、いい……」

 じっ……と私をまっすぐ見ながら大翔は言う。

 正直言って怖い。


 まさかあの大翔がそんな事をするはずがない……とは思いたい。

 一方で、そんな人間がやさぐれた様子で生活エリアが違う私の目の前に現れた事に恐怖を感じる。


 ずっと交友はあったから、最寄り駅と通勤に使う線は雑談の中で話した記憶はある。

 けれど、その知識を使って行動を起こす所がもう怖い。


「それにしても、大翔が陽向のお兄さんなんて、びっくりしたよ」

「俺もまさか、弟の連れてきた婚約者が幸とは思わなかったさ」

 出来るだけ平静を装いながら、私は本題を切り出す事にする。


「大翔は、とても素敵な人だと思う……でも私、やっぱり陽向の事が好き。陽向と結婚したい」

「……考えてくれた上での結論なんだな。ありがとう、ちゃんと話してくれて」

 何を言われるかと内心ドキドキしていたけれど、大翔は私の話を聞くと、やわらかく笑った。


「ごめん……」

「謝る事は無いさ、陽向をよろしく頼む。これからは親戚になるのだし、困った事があったらいつでも頼ってくれ」


 良かった。

 やっぱり大翔は私の知っている大翔だった。


「大翔……ありがとう。これからもよろしくね」

「こちらこそ」

 改めて私が御礼とこれからの付き合いについて頭を下げれば、大翔もにっこり笑って私に頭を下げた。


 ああ良かった、これで当面の問題は解決した。

 …………この時、私は本気でそう思っていた。

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