終わる日常

 よく晴れた休日の昼過ぎ、一面に広がる青い空に白い雲。ここまではよくある、この街の日常である。そんな日常の調和を乱すのは逃げ惑う人々と怒号であった。

怒号の主の手元にはきらりと光る何かが握られていた、おそらくナイフだろう。それも一人ではなく、複数人いるではないか。彼らの周りには血を流しぐったりと倒れている者、痛みに泣き叫ぶ者、そんな様子に腰を抜かし、悲鳴を上げることしか出来ない者と様々であった。その他の者はそんな怒号の主を中心に外へ外へと逃げ惑っているのであった。

 不思議なもので、人間こんな状況に陥ると自分のことしか考えられないようだ。各々が自分勝手に逃げ、周りを押しのけ、我先にと混乱状態である。都会とは言えないない、この街の規模でこれなのだから都市部では同じことが起きたのならば、元凶よりもこの人ごみの方が死傷者が出そうである。当たり前というべきか、誰もけが人を見ようとしない。気付いてはいるだろうが、誰も手を差し出さない。


 なんて所詮お話の中だけである。


 しかし、ヒーローはいなくてもいつの時代も馬鹿はいるようだ。相手は複数、そして狂気が人の皮を被って、凶器まで持ってしまったという、なんとも笑えない状況だ。人々の流れを逆走し駆けてくる一人の姿そこにあった。勇気と蛮勇の違いも理解していない馬鹿な男の姿が。

 「なんで誰も助けようとしないんだ・・・。」

 彼のつぶやきは逃げ惑う人々の波の中に消えていく。こんなテロのような出来事、自分の事で手一杯だ。彼のような馬鹿な男は滅多にいない。


 しばらくすると、集団を抜けた。ここに来るまで気付かなかったが、そこには血の匂いが散漫していた。そんな匂いに慣れているはずもなく吐き気がする。しかし、ここで足を止めたらここまで来た意味がない。改めて周りを意識するとそこは混沌としていた。意識のある者はすぐに刺され、切られ、殴られ意識を失い倒れていく。もはや人の声と呼べる音はそこには一音もなかった。

 この惨劇の中、一人の見知った少女を見つけてしまう。彼女と目が合う。声が出ないのか何も聞こえないが、何かを伝えようとしていた。聞こえないがはっきりと分かったし、伝わった。もとよりそのつもりでここまで来た。


 助けて


 改めて言おう、彼はでは無くただの鹿である。超能力があるわけでもなく、凄腕の武術家でもなく、武器と呼べるものも何も持っていない。容姿一つとっても一般人Aに過ぎない。彼が唯一持っているのは勇気。それも自分の出来ることを一切考えていない、蛮勇だけである。

 彼は少女の前に飛び出し勇ましく組み付きに行った。結果はわかりきっている。無残にも投げ返されナイフで一突きである。何も出来ず、倒れた彼の目の前で少女も刺される。遠のく意識の中、彼女の声がかろうじて聞き取れた。




 「なんで、くれなかったの」






  彼は自分が無力であることを理解した。

  彼は救いを与えようとして悲しみを増やしただけと理解した。

  彼は知識としての蛮勇を初めて実感し理解した。

  彼は事実は小説より奇であり、小説のように万能でないことを理解した。

  

  彼は今日の行動を後悔した。

  

  彼はもし次があるなら理性的になろうと決意した。

 

  彼は手の届く限り多くを守りたいと切望した。

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