Program5.瞳に映った顔は

 修学旅行3日目。

 友紀ゆき御影みかげさんとはぐれて、2人が来てくれるのを待っている間、私と由梨ゆりは2人で近くの水槽を見つめていた。結局、電波が通らなくなったのはあのとき私たちがいたごく狭い範囲だけだったらしい。


 水槽の中ではジンベエザメがゆったりと、気持ちよさそうにその大きな体を漂わせている。あんな風にいられたら、たぶんいろんなことが小さく思えるんだろうな――そう思いながら眺めていたら、「そうでもないよ」と言うようにこっちに向かって泳いできて。

「あっ、凄いよ佳乃よしの! こっち来たこっち来た!」

「……うん」

 改めて近くで見たジンベエザメの姿は動画とかで見て想像していたものよりもずっと大きくて、つい言葉を失った。

 悠々と漂うように通り過ぎていくその大きな体を目で追ってから、まるで夢から覚めたような感覚すら覚えてしまって。しばらく何を言おうか迷ってから、「あ、そうだ。4人集まったら深海魚展行ってみる?」とやっとのことで声が出た。


「あっ、でもそろそろショーか、じゃあ先にそっち見て……」

「う~ん、もうちょっとで全員揃うんだね。じゃあ今訊いとこ」

「え?」

「佳乃さ、結局昨日はどうしたの?」


 そう訊きながら私の顔を覗き込んできた由梨の顔から、いつもの太陽のように明るい笑顔は消えていて。

 ――わたしにも言えないようなことなの?

 暗にそう言われているような気さえして。


「言った方がいいの?」

「言いたくないこと?」

 刺すような視線を見つめて。

「うーん、気になる?」

「一応、知りたいかも」

 見慣れた上目遣いに折れて。

「そっか……、いいよ」

「話して大丈夫なの?」

 戸惑う目つきについ笑って。

「隠すことでもないし」

「なんだ、そうなんだ」

 安心した顔は、私も同じで。


「昨日、御影さんとちょっと話しててさ」

「え、愛衣めいと? 何か変なこと言われてそうだなぁ」


 そう冗談めかした声で言った由梨の顔は、ちょっとだけ強張っていた。それで、何だか色々なことを考えて。

 昨日の夕方に御影さんが漏らした「いろんなことがあった子」という言葉の重みを感じてしまって。私の中にまでいろんな感情が湧き起こってしまいそうだった。必死に抑えて、それでもちょっとだけ。


「そんなことはないけど、何か、私って由梨のことそんなに知らないんだなって」


 抑えきれずに漏れてしまったそんな声に、由梨は少し目をみはってから。

「そりゃね……」

 小さな溜息を交えて返してきた。

 どこか遠くを見つめるようなその目に、思わず心が騒ぐ。どういうことがあったのか、それで由梨はどうなったのか、何をしてしまったのか、色々訊きたいことはあったけど。

 その白くて小さな指が手元のストラップ――昨日買ったご当地真顔猫様まがおねこさませわしなくいじっているところを見ると、どうしても訊く気にはなれなくて。


「あっ、ごめんね? でも、ちょっと恥ずかしいんだ。うーん、恥ずかしいっていうか、知らないでほしいのかも。自分がなかった頃の話なんて」

 一瞬だけ、由梨の目に暗い影が走ったように見えた。

 でも、すぐにいつもみたいにまっすぐに私を見て微笑んでみせて。

「それに、佳乃よしのだってわたしの知らない佳乃でいっぱいでしょ?」

 そんなにこやかな笑顔にすら、ちょっとだけ距離を感じてしまう。

 確かに、今年出会ったばかりの私たちは、お互い知らないことばかりなのだろう。私だって知られたくないことの1つや2つはあるし、由梨がいま伏し目がちに言ったことだって、きっとそうだ。

 そんなのは、わかってる。

 わかってるけど、何だか寂しくなってしまって。


「わ、私は由梨と今年知り合えて、よかったよ?」

 出たのは、とって付けたような言葉。

 そんなことを言ってもどうにかなるわけでもないのに、思わずそう言っていた。由梨は少し赤くなった――心の底から嬉しそうな顔で「わたしもだよ、佳乃」と言ってくれて。

 なのに、あまりにも嬉しそうなその顔に、またちょっと複雑な気持ちになって。

 こんな言葉でも嬉しく思ってしまえるほどのことが、由梨にはあったの?


 思わずそう尋ねたくなってしまった。

 考えれば考えるほど、私は由梨のことを全然知らなかった。


 私が知っているのは、明るくて、ちょっと世話の焼けるような部分があるけど素直で可愛らしい――そんな由梨だけだ。でも、由梨だって私と同じくらい生きている。

 その間に、今みたいに笑っているのと同じくらい、泣いたり怒ったりしてきてるんだ。そんな明るい由梨しか知らないでなんて言っていいのかな……なんてことまで頭をよぎって。

 違うところまで――由梨のも知っている人を羨ましい……なんて思ってしまう。色々な感情が頭の中で混ざってしまいそう。


「わたしだって、おんなじなんだよ?」


 だから由梨の小さな囁きをうまく聞き取れなくて。

「えっ?」

 そう訊き返したときに、「あっ、いたー!」という友紀の声が聞こえた。

 慌てたように小走りで近付いてくる友紀と、何かを察したようにニヤニヤして歩いてくる御影さん。

「あ、もうちょっとゆっくり来ればよかった?」

「なに言ってんの愛衣、早くしないとショー始まっちゃうよ!?」

「あっ、ほんとだ! 佳乃行こ!」

 ショーが催される中央ステージまで歩き始めた友紀の後について歩き始めた私たち。由梨の言った「おんなじ」の意味も知りたかったけど、余計なことを言わなくて済んだのはよかったのかな?

 あれ以上2人きりになっていたら、たぶん何か言っていたから。


 イルカショーの最中、さっき見た由梨の笑顔を思い返していた。

 今みたいに――みんなで一緒にいるときに――浮かべている明るい笑顔と、さっき2人だけでいるときに見た笑顔が、どこか違うような気がして。


 ああいう静かな笑顔をすることも、今まで知らなかったんだ。

 イルカが輪をくぐったときに歓声を上げている由梨の明るい笑顔を見ながら、そんなことを考えていた。

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