第21話 全ての真相

 単純世界モナドでの調査期間を全うした。

 はっきり言おう。この世界は糞だ。ぼくが住んでいた世界に負けず劣らず、生きていて心が苦しくなる世界だった。好きな女の子の故郷を悪くは言いたくない。しかし、何一つ良かったことが思い浮かばない。

 確かに、ラサやラーン、ノウ、ジョイル、リツィ、男衆といった人たちはこの世界における良心のように感じたし、ぼくは彼らから多くのことを学んだ。でも、ぼくは思うのだ。彼らがもし別の世界に生まれていたら、より充実した、素晴らしい人生を歩めていただろう、と。

 そんなたらればの話をしても仕方がないのはわかっている。そして、そんなことを考えるのは、彼らの尊厳を踏みにじっているのかもしれない。彼らは生まれた世界で精一杯生きているのだから。それに比べてぼくは愚かだ。精一杯生きる努力もせずに、世界を見限った。あるいは、世界がぼくを見限ったのかもしれないが……。

 これからぼくは何をするべきだろうか。実を言うと、ぼくはこの一回きりの任務でもって、あらゆるものに対して嫌気がさしていた。たった一つ、ラサという存在を除いて。彼女だけがいる世界で生きていたい。そうすれば、ぼくの心は常に活力で満ちていられるだろう。ぼくはこんなことを考える自分自身を愚かだと罵る。甘えだ。心がぜい弱だ。いっそのこと、死んでしまえば? 

 でも、生きたい。ぼくは死ねない。どれだけ世界を憎んでもぼくは死ねない。

 そのゆえんはただ、この世界にラサが生きているから、という一点に尽きる。

 

 ステーションスクエアの昇降機近くの芝生に設置されたベンチに、シエルさんが座っていた。三か月ぶりに見る彼女の姿は全く変わっていない。

「こんにちは、シエルさん」 

 ぼくは声を掛けた。シエルさんがぼくとラサの方を見る。少し微笑んだように見える。

「こんにちは、湯山君。それにラサ、元気だった?」

「うん。元気、げんき~!」

 ラサはにこやかに応える。その姿にシエルさんは少し驚いた様子だ。

「あれ。ラサってこんな娘だったかしら」

 声に出して優しく笑っている。

「まあね~。わたし変わったんだ! セージのおかげでね」

 ラサはそう言って、ぼくの左腕にまとわりついてくる。それを見たシエルさんは、すかさず、

「あれあれ~? もしかして君たち、そういうことなの?」

 にやにやしながら聞いてくる。色恋話には興味がおありのようだ。

「いえ、そんなんじゃないですよ!」

 ぼくははぐらかす。すると、ラサはショックを受けたかのように、

「そ、そんな! セージ、わたしにあんなことまでしておきながら……!」

「あら、湯山君。なんにもないというラサに何をしたというのかしら?」

 怖い顔で尋問してくる。ぼくは冷や汗をかく。こういうときの女性は尋常じゃないくらい怖い。

「すみません、許してください。ぼくはラサさんが大好きです!」

 ぼくは必死に弁解した。赤面するラサ。真顔になるシエルさん。

「……。そんなことまで言わなくていいのに」

 シエルさんはサディスティックな笑みを浮かべる。怖すぎるんだけど。


「さて、挨拶はこれくらいにして、早速だけど、所長のところにいってもらうわね」

 —―挨拶だったのか。もっと心穏やかに済ませてほしい。

 昇降機に乗り込み、アダム所長がいる、中枢司令室所長席へと上昇を始めた。この昇降機の円盤には、丸い穴が開いている。すなわち、そこの真上が所長の椅子がある場所である。側面は青の蛍光色がぼんやり光っていて、薄暗いが、どことなく幻想的にも見える。

 昇降盤が上へ上へと昇る中、ぼくがぼんやりしていると、急に視界が移った。

 —―中枢司令室だ。無意識に背筋を正してしまう。相変わらずの、コンピュータのブルーライトの壮観だ。

 そして、ぼくは所長席に目を向ける。アダム・アインシュタイン所長が静かにこちらの方を真っすぐ見つめていた。

 —―この人が、すべての不幸の元凶。ぼくが真に憎むべき存在。しかし、ぼくはどうすることもできない。ぼくの安全や身分の保証はすべて所長に委ねられているのだから。

 その所長が痰のからんだ咳払いをした。そして、ゆっくりと口を開いた。

「よくぞ戻ってきたな、ラサ、セージユヤマ。ご苦労であった」

「ただいま、おじいさま。……大変な任務でしたが、セージと力を合わせて、なんとか遂行することが出来ました」

 ラサが敬愛を込めて言う。それは所長へ向けられたものか、ぼくに向けられたものか、わからない。いや、多分、所長への敬愛だろう。

「うむ。そなたら二人とも、最初よりずいぶんと印象が変わって見える。そなたらを組ませて正解じゃったようだな」

 ぼくは、その点に関してはアダム所長に感謝する。だから、

「はい。俺自身もラサと行動を共にすることで多くのことを学びました。世界の在り方が、いかように人に影響を与えるか。どれほど惨めな世界であっても、人々は必死に毎日を生きていること。人々の心と世界との間には密接な関係があること。そして、心を操作された人間の心の叫びも」

 ぼくは殊更最後の点を強調して言った。黙って聞き続けた所長は、ぼくが語り終えた後も長く沈黙のままで、それからまた徐に口を開く。

「セージよ。お前は今、心を操作された、と言ったな。お前はあの世界について、どの程度知った?」

「おそらく、すべて、です」

「言ってみよ」

 所長がぼくに短く促す。ぼくははい、と応え、

「まず、単純世界モナドの人々はたった一つの属性素をもって生まれます。属性素とはおそらく、感情を模して作られたなんらかの物質だと思われます。その属性素は怒りや悲しみ、喜びといった感情を人々に与えます。ただし、あなたはその属性素を一人につき、一種類にしか付与しなかった。まず、ここで一つ聞かせてください。それはなぜですか?」

 ラサは初めて聞いたという様子で、所長を視線で責めているようにみえる。その視線がぼくに向いていないことが、何よりも救いだった。

「かなりのことを知っているようだな。……ゴラべイオンを頼ったか」

 ぼくは所長の言葉に驚いた。なぜ所長の口から彼の名前が……。

「え、ええ。その通りです。どうしてそのことを……」

 そこまで言って、ぼくは衝撃的な事実に思い至った。二人の容姿にはどことなく似ている、という印象が今ここで収斂した。ぼくのあっ、という驚きの声に、所長が面白そうに声を漏らす。

「気づいたか。そうだ。ゴラべイオンはわたしの孫だ。私は自分の息子の遺伝子に手を加え、知性の属性素を与えた。あの世界に生まれたものの目線で世界を研究してもらうために。そして、彼が何を思うのか、私が研究する為にな」

 ぼくの頭に複数の疑問符が浮かんだ。それはラサも同じようで、

「ちょっと待って、どういうこと? おじいさまはあの世界を面白半分で作ったのよね? その割には随分ご執心じゃない?」

「ラサよ、お前は真実を知らないようだ。あの世界の真実を。そして、この研究所の真実を」

 この男は一体何を言っているんだ。いや、それより。

「ちょっと待ってください。さっき所長が言った、遺伝子に手を加えるってどういう意味ですか」

「そのままの意味だ。もしやお前、このことは聞いていなかったか」

 その言葉に、ラサとシエルさんが申し訳なさそうに、うつむいている。

「ごめん、セージ。実はね、この研究所で実験のために作られた世界の住人は、この研究所の所員の遺伝子を複製して造られたクローンなの」

 え……? クローン?

「ごめんなさい。私たちも、そのことを完全には受け入れられなくて言えなかったの」

 シエルさんが言う。

「そ、そんなこと、しても良いんですか? 倫理的にも法律的にもアウトなんじゃ……」

 ぼくの言葉に、所長はにやりと笑う。その瞳は、何かを失ってしまった者の瞳のように見えた。くっくっく、と喉を鳴らし、

「わからんか? そのための異世界だ。地球は研究をするには最低な環境の世界だ。倫理だの法だので、好きなように研究が出来んからな。私は、私の知的好奇心を満たすために、異世界に研究所をつくった。だからな、この研究所には倫理だと法だとかいう糞みたいな障害物は一切ないのだよ」

「そんな、ことって! じゃ、じゃあ! 人類の永久的な繁栄っていうのは? 嘘だっていうのか……?」

 ぼくの問いに所長はぴしゃりと答える。

「嘘だ! それは不可能だ。人類は間もなく滅びる。そして、お前はわかっていない。それがただの方便だってことをな。……話過ぎてしまった勢いで教えてやろう。お前は素晴らしい研究成果を持ち帰ってくれたからな」

 そして、所長はラサを真っすぐ見据える。ラサは困ったように、ぼくに視線を移す。そして所長は大仰に笑う。

「はっはっはっは。綺麗に分化したようだ。私の思った通りだ! セージよ、お前は素晴らしい逸材だ。素質がある。今から言う私の話を受け入れるんだ。そうすれば、お前の人生は遥かに豊かになる」

「意味が……わからないです……。分化ってもしかして、属性素のことですか?」

「そうだ、そこまでわかるとは、流石だ。あとで説明してやろう。……その前に、わたしの話を聞くがよい」

 そこで言葉を一旦切る。沈黙が流れる。—―相変わらず、強者の場をコントロールする力は絶大だな。その作法を心得ている。どうすれば、上に立てるか。場を制圧できるか。相手が何を言うか予想し、その上で自分が何を言えば、相手に強い影響を与えることが出来るか。ぼくたち弱者は、このような術にいとも簡単にはまってしまう。

「そもそもこの研究所の目的は、人の心の所在をさぐることだ。これが私の長年の研究テーマだった。あらゆる異世界に人間を住まわさせ、そこでの人の行動や生き方か彼らの心を探る。しかしな、その研究するには我々の暮らしていた世界では非常に困難だ。そこで、異空間に研究所を設立することにした。そこで問題が発生する。それは人手不足だ。そこで、私は人類の救済という大義名分を掲げ、主に、地球での生活をドロップアウトしかけた人物に照準を合わせ、彼らをここに集めたのだよ」

 所長の口から語られた、本音と建て前。それは到底ぼくが知って良いような内容ではないように思われる。

「それをぼくたちが知ってしまっていいのでしょうか」

 恐る恐る聞く。その言葉に、所長は平然と、

「構わんさ。お前はどうせ私の言葉に従う。シエルタナカには記憶を消させてもらう。そしてラサは研究材料として、脳を解剖させてもらう」

 その言葉にぼくたち三人は息を飲む。ラサはわけがわからない、という調子で、

「な、なにを言っているの⁉ おじいさま。わたしの脳に何の価値があるというの?」

「誇るがよい。お前の脳には素晴らしい価値がある。お前は属性素を分化させ、偽物ではあるが感情を手に入れた稀有な存在だ。生憎、もう一人の研究材料はお前たちが嬲り殺してしまったがな」

「に、にせものってどういうこと?」

 ラサが戸惑いと不安に満ちた声で尋ねた。

「言葉通りの意味だ。お前の感情は偽物だ。レプリカだ。お前の感情は私が意図して作り上げた『感情』だ。くれぐれも私には感謝することだな」

「う、うそよ! そんなはずない! わたしの感情はセージと作り上げたものだから!」

 ラサは激高する。その瞳には涙が溜まり始めている。

「ラサよ。私の言葉が信じられないというのか? 今まで何も疑わずに、私からあらゆることを学んだお前が、私の言うことを信じないというのか?」

 起伏の無い言葉。しかし、その内には確かに怒りが潜んでいた。

「信じない! わたしが信じるのはセージの言葉だけ! お前の言葉なんか信じない!」

 ラサは既に号泣していた。この娘はとことん可哀そうだ。何かを知るたびに、心がずたずたに傷つけられて。それなのに、強がって笑ってくれる。

――わたしが信じるのはセージの言葉だけ、か。

 それなら、これからぼくが何をしてもラサは赦してくれるだろうか。

「ラサ。しょせん、お前は私への恩義も感じられない偽物だ。なあ、少年よ。こんな偽物の心を持った女など気色が悪くて、鬱陶しいだけだろう。言ってやってくれまいか。—―恩知らずの、偽物女と、な!」

 —―恩知らずはぼくも同じだ。

 世界が腐っていると思っていたけど、どうやら、あらゆるものが腐っていたようだ。そりゃ、人類も滅びるわ。

 ラサだけは、生まれたばかりのラサだけは守らなければならない。彼女の心は偽物なんかじゃない。

 アイデンティティの危機にさらされた、ラサは苦悶に顔を歪めていた。涙はとめどなく流れ、悲鳴が轟いている。そこここにいる白衣の人たちが、何事かと、こちらを窺っている。

「シエルさん、一生のお願いです。昇降機を下ろしてもらえますか」

 ぼくは真摯な眼差しをシエルさんに向けた。

「無論、そのようにするつもりでした」

 シエルさんは即答した。所長はすかさず、

「お前たち、何をするつもりだ。大人しく私の言葉に従っていろ。お前たちに逃げ場なんぞない!」

 ぼくは――。

 

 ぼくは、ガバメントをポーチから引き抜き、所長の額を撃った。もう迷うことは無かった。辺りは騒然とする。そして、昇降機が下降を始めた。

 密閉空間のなかで、ラサの叫びだけが延々と響き続けた。

 ぼくは彼女の背後に回り、優しく包み込んだ。そして、耳元にしっかり聞こえるように、力強く、伝えてあげた。

「ラサ。君の心はだれよりも本物だよ」

 はっと息をのむ。叫びが止む。かと思うと、またわんわん泣き出した。だけど、彼女は苦しんでいなかった。

「ラサはよく泣くな」

 耳元で優しくささやいてあげる。

 そんな様子をただただ見つめていたシエルさんがとうとう口を開いた。

「お熱いですね」

 そう一言。

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