第18話 人の本性
激動の後に静寂が訪れた。狂気はすっかり消え去ったように思われた。王城の前庭には、三体の巨大な死体と二十数人の男衆とジョイルの遺体がまばらに転がっている。つい先ほどまでここは戦場だった、ということを忘れてしまうほどに静まり返っていた。
建物の中から、レシグ王とゴラべイオンが現れた。外の惨状を見るや、その顔に驚きが広がっている。
「これは、一体何が起こったというのだ」
レシグ王が戸惑いの声を上げる。ぼくとラサは重い足取りで彼らの方へ向かう。ラサはもう自らの足でしっかり歩けるようだ。
「オスの男たちが急に暴走しました。国中で多くの人が被害に遭っています。今すぐに、救急に向かうべきです」
ラサが神妙に言う。とは言え、今この国にそんな余裕があるようには思えなかった。男衆でさえ壊滅的な被害を受けたのだ。ぼくたちくらいしか、人助けのできる余裕がある者はいないようである。
「とりあえず、被害の状況を確認してみないと」
ぼくはその場の生存者に向かって言う。ラサとレシグ王、ゴラべイオン氏、十数人の男衆は無言で頷く。
惨憺たるものだった。オスの男たちは、須らく無傷のまま死んでいた。それは一向にどうでもいい。これは人の死体ではない。ぼくはそう考えた。
問題は、何の罪もない市民が無残にも殺され、ある者は体の部位が食いちぎられ、どす黒い血が、地面のあちこちに染み付いていた。草野原の緑と血の赤のコントラストがおぞましい。
生存者は一定数いたが、それ以上に犠牲者は多かった。しかし、何よりもぼくの気を滅入らせたのは、死者を悲しむ人がほとんどいないことだ。それはここの誰に不平を言っても仕方のない、この世の摂理だった。
国の広場の近く、ある一角に、ひとりの白い髪の女性が茫然と立ちすくんでいる。いつも以上に虚ろな目をしている彼女は、ラーンだろうか。ノウだろうか。髪は結ばれておらず、長い髪が無造作に落ちている。それにしても一人しかいないのが意外に思われた。――刹那、嫌な予感が脳裏をよぎる。先日のラーンとノウの会話がリフレインする。
その女の子の足元には、そこに立ち尽くす彼女と同じ容姿の女の子が倒れていた。
ラサが恐る恐る声を掛ける。
「ラーン? それともノウ? どうしたの……」
倒れている女の子が死んでいる、ということはその場の皆がなんとなく気づいていた。しかし、ただならぬ雰囲気に誰も重い口を開けることが出来ないでいた。
「……」
その女の子は何も言わない。ただ虚ろな目をじっと、じっと一時も離さずに、斃れている女の子の顔を見つめている。
「ねえ。大丈夫?」
「……」
しかし、彼女は何も答えない。このまま、永遠に口を利いてくれそうになかった。見かねたぼくは、
「ラサ。そっとしておこう」
彼女を放置するしかなかった。まだ、救える命があるかもしれなかった。
医療の発達していないこの国に、深い傷を負った者の治療などまともに出来なかった。ぼくは、ラボの力を借りることを提案した。しかし、
「残念だけど、それはできないの。研究所の人たちにとって、この国の人たちは研究対象でしかない。たくさんある世界のひとつにすぎない人たちを一々救うことは彼らの本意ではない」
それは、まるで彼女自身が一番知っているかのような口ぶりだった。そう。彼ら、ではなくて、わたしたち、なのだ。
「でも! ここはラサの生まれた土地じゃないか。助けてあげたいと思わないのか⁉」
ぼくの迂闊な言葉にラサが激怒した。彼女の本来の属性である、怒り。怒りとは、自らに向かうものと、他者に向かうものの二種類がある。この怒りは、ぼくとラサ本人に向けられたもの。
「助けたいに決まってるじゃない! 心を手に入れて、今まで以上に人というものが愛おしくて仕方がないよ! わたしは冷血な研究者だったかもしれない。でも! 今は身の回りにいる人たちがどうしようもなく愛おしいの」
ラサは涙ながらに訴える。かつての自らの姿を悔いるように。
「でも! 今まで平気で人を見捨てておいて、今になって人を助けてほしいだなんて、愚かにもほどがあるじゃない! それに、もし今回メスの人たちを助けたら、今後、わたしは傷ついた人を見捨てるわけにはいかなくなる。そうしたら、調査員の仕事もままならないよ……」
そして、ラサは小声でつぶやく。だから、助けられないの、と。
ぼくは何も言えなかった。彼女の言葉と涙が脳にべっとりこぶりついた。
一週間後。調査期間は半分を超えていた。あれから、この国は平和と言えば平和だし、そうでないといえばそうでもなかった。つまりは、とりあえず何事もなく日々は続いている。
ぼくとラサはなんとなくぎくしゃくしていた。別に仲違いをしたというわけではないのだ。ただ、お互いの気持ちがなんとなくすれ違っているような感じがするけ。
日々は鬱屈としていた。あれから、リツィは、王国の保護下におかれ、今後、王国が彼女の面倒を見ることになるという。ひょっとすると、いつかは王女として扱われる日も来るかもしれない。ただひたすらに、ぼくたちはリツィの幸せを願うしかない。
多くの死を目の当たりにして、ぼくたちはすっかり疲弊していた。だから、ぼくはそんな日々を打破するために、ラサに一つ提案する。
「なあ。一回、ステーションスクエアに帰らないか?」
「え、どうして?」
変な間が開いたけど、ぼくは気にしない。
「いや、ちょっと気分転換にさ。別に調査期間中に一時帰還するのはオッケーなんだよな」
「うん、まあ、それは大丈夫だよ」
「じゃあさ、一回帰ろうよ」
ぼくはできるだけ強く押した。
「セージがそこまで主張するって、なんか珍しいね。……うん。一回帰ろうか」
ラサは少し悩んで、答えを出した。
「ありがとう」
掛け値なしの感謝の言葉を伝える。
正直なところ、ぼくはこの世界に心から滅入っていた。絶望していた。すでに、この世界に救いなんか見いだせなかった。これ以上ここにいても、何も得るものはない。ぼくはそう決めつけた。
またしてもぼくは世界に絶望し、ギブアップしようとしている。ぼくには「生きる素質」が無かったのかもしれない。ラボの求人に電話なんかしないで、潔く死ぬべきだったのかもしれない。でも、ぼくは死ななかった。それだけは事実である。
だから、この任務をなんとしてでも遂行し、せめて生きる意味だけでも見付けられれば良い。
ぼくたちは初めてこの世界に来た時に転送された、楓林に来た。そして、ぼくたちが降り立ったピンポイントには、とても小さな機械が設置されており、それには様々なスイッチがある。
「よくこんな小さい機械を見つけられたな」
ぼくはあきれ気味に言う。木を隠すならなんとやら、ばりに見つけるのは困難なはず。まあ、木ではないので、それよりは簡単なのかもしれない。
「この場所を覚えていただけだよ。――よいしょっと。えーっとこのボタンを押して、ラボの位置番号が〇〇二四〇一五八二二六っと。じゃあ、転送開始するよ!」
え、ちょ、待って! そんなことを言う余裕すらくれず。
「しっかり目を瞑ってなよー」
ぼくたちは強烈な光に包まれた。
久しぶりの鋼鉄の建築物に違和感を感じる。すごい、これぞ、未来建築。ぼくたちは転送装置が格納されている研究所を出る。まるで楽園のようなステスクの景観にわずかに感動してしまう。メスの小屋とは比較にならない程、頑丈そうに見える施設の造り。広場の中央に据えられた、噴水のダイナミックさ。匂い立つ芝生の緑。そこかしこを行きかう、まるでこの世の複雑性を象徴するかのような、奇人変人。相変わらず、理解不能なファッションだな、ここの調査員は。それと比較すると、いかにぼくのファッションが普通か……。いや、普通であるという点で、抜きんでてしまっているのかもしれないが。そういえば、ラサはずっと同じドレスを着ている。寝るときは流石に、向こうで買った簡素な麻の服を着ていたけど、その彼女の戦闘服はかなりボロボロだった。改めて、こうしてラサのたたずまいを見ると、その優美さに息をのむ。端的に言って、美しい。けど可愛さも確かに感じる。もっと端的に言って、ぼくのタイプだ。そのぼろぼろの衣装から醸し出される、勇ましさや闘志が彼女の性質を象徴しているみたいだ。そしてそして、ところどころ破けてしまっている個所からは彼女の滑らかで白い肌がちらりちらりと露出していて、……おっといけない。危うく、煩悩に飲まれるところだった。そのまま視線を、下へ上へ、彷徨わせて最後にラサの困惑する顔にぶち当たるのだった。
「セージ、なに見てるの……?
っ!? セージの変態! ありえない! 無害なことが唯一の取り柄だと思ったに」
あれ、ラサってこんな反応をするような娘だったっけ。ぼくと同室で寝ることになんの躊躇もなかったラサだぞ。でも、それは良くも悪くもラサは変わったということなのかもしれない。
こんな馬鹿げたやり取りはあったが、ぼくは実は明確な目的をもって、ラサに一時帰還を請うたのだ。
「なあ、少し、別行動しないか?」
「え? 別にいいけど……。ちょうど、新しい戦闘服を見繕おうとしてたところだし」
「そうか。それなら、お昼にあそこの、テラスがあるレストランで待ち合わせよう」
ぼくはすぐ近くにある、なんだかおいしそうな匂いが漂ってくる木造の建物を指さす。
「オッケー」
気軽にそう答えた彼女とぼくは一旦別れた。
ぼくにはやるべきことがあった。それは人を殺す手段を手に入れることである。人を殺したくないという、ぼくの思いは生半可なものであった。確かに、無害な人を殺すことは許されない。それは今でも変わらない。しかし、守りたい存在が危険にさらされたときに、それに対処するには武器を持たなければならないのだ。ぼくはそういう時には、人を殺しても仕方がない、という結論に至った。
しかし、一方でこうも思う。人はあらゆる命を奪う。それは主として生きるためであるが、時に遊びのためでもある。では、なぜ、人は人を殺してはいけないと思うのだろうか、と。ぼくはこの問いに答えを出せないでいた。
オスの男が、人の肉を喰っていた光景がフラッシュバックする。ほとんど、傍目だったので、グロテスクさを意識することは無かった。それにあの時は必死だった。でも、今になって確かに、あれは狂気だ、と認識している。
そしてまた、一方でこう思うのだ。人はあらゆる肉を食べる。それは生きるためだが、贅沢のためでもある。では、なぜ、人は人の肉を食べてはいけないと思うのだろう、と。倫理か? 本能か? それとも、心にその理由があるのか? この問いの答えもまた非常に難しい。
さて。ぼくはボンさんと対面している。ぼくはかつて語った持論を百八十度展開させた。
「すみません。人を確実に殺すことが出来る武器をください」
その言葉にボンさんは驚いて、ぼくの顔をまじまじと見る。そして、にやりと笑った。
「何かあったようだねえ。良かったら聞かせてくれるかな」
「ええ。まあ、簡単なことです。ぼくには守るための力が必要だと気づいたんです。それは、中途半端なものでは駄目だった。殺さないと、殺されると知ったからです」
「へえ? セージ、変わったね。でも、その気持ちわかるよ」
同情の意を乗せた言葉に聞こえた。しかし。
「かつて、多くのアメリカ人は自衛のために銃を所有していたんだけどね、百年前にある事件が起こって、銃の所有及び所持が義務化されたんだよね」
「え? 規制ではなくて?」
確か、二十一世紀において銃規制の論調が強くなってきたはずだった。
「違うねえ。銃規制なんかできるわけないよ。人は根源的には、憎い人間を殺したいと思う生き物だからね。それを、法とか倫理が封殺していたんだよ。ある時期にソーシャルネットワークサービスがきっかけとなって、猟奇殺人が多発したんだよ。それは若者による愉快犯だった。彼らは、面白半分で、人を殺したかったと言ったそうだよ。その事件によって、確かに一時的には銃規制の論調は強まったね。けどねえ。結局は銃所有の意見が勝ったんだよ。それは一見のエスエヌエスの投稿がきっかけだった。『銃が無くなっても人の殺意は消えない。だったら、殺意を消せばいい。殺意を持った人を殺せばいい。そのために銃は絶対に必要だ』ってね。世論は銃社会を肯定するようになって、終には法律で銃所有が義務化されたんだよ」
ボンさんは、長々と歴史を語った。それはぼくにとっては未来のお話なのだけれど。彼は、それからにこりと笑い、
「セージ、君はこの話を聞いてどう思った? ぼくはねえ。本当は人は心の底から、人を殺してはいけないなんて思っちゃいないんだと思うんだ。だけど、自分は死にたくない。大切な人は死んでほしくない。それが人間の本質じゃないかな?」
「それは、難しい問題だと思います。でもこんな答えは無責任ですよね。そうですね……。俺はかつて人を殺すことを無根拠に否定していました。それは、多分、人というものを知らな過ぎたからだと思います。今、なんとなくわかります人の心には必ず、殺意が眠っている。人とは本来、残虐で、獣より獣なんですね」
「そうだね。人は獣だよ。無慈悲なまでに、命を奪うからね。法や倫理という枷をかけても尚、そこから脱走して暴走する。人殺しは罪なのかもしれないけど、ある意味では人の本来の姿と言っても良いんだよね」
ああ、楽しいな。とぼくは感じていた。ボンさんとは似たような意見を持っていると、最初に思った。そして、そういう人と意見を交わすのはとても楽しいのだと知った。
「そうですね。いつの時代も殺生を行ってきたのは人です。武器はぼくたち人間によって生み出された、奇形児みたいなものだと思います。武器には罪はないし、生まれてきたことの意味すら知らない。それなのに、生み出した張本人が一番その存在を憎んでいるのは無責任ですね。それとうまくやっていく手段を考えるべきです」
「そう。もし人が望まなければ、銃なんて発明されないね。そして、進化もしない。うん、セージがそこまで考えているのなら。これを貸与する」
長かったディベートが一先ず終了した。こうでもしないとボンさんは銃を貸与してくれないのだろうか。
「これはコルト社のガバメントだね。古い銃だけど、性能は十分すぎるほどだね」
そう言って、ボンさんぼくに黒い銃身に茶色いグリップが目を引く、まさしく拳銃だ、と認識できる銃を手渡した。それと弾丸も。初めて持つ感触は、意外にずっしりしていて、うまく扱えるの不安になる。射撃場では気楽に触っていたが、いざ、人殺しの道具だと認識すると、二割増しの重量感だ。
「実を言うとね、僕は銃所有は反対派なんだよ。それも、かなり過激な方でねえ」
「え、そうなんですか?」
ぼくはボンさんの語り口から、彼を銃賛成派かと思っていた。
「やっぱり簡単に人を殺せるのは良くないよ。刃物で刺して、人を殺したんだっていう実感を死ぬまで忘れないくらい脳に焼き付けるくらいの覚悟がないと殺しは駄目だよねえ」
「それは、どういう根拠でしょうか。いえ、別にボンさんの考えに反対するわけではないです」
「それはやっぱり心だよね。心を大事にできない奴が銃を持つと悲惨なことになるのさ」
その言葉が心に重くのしかかった。しかし、ぼくには、その心が何なのかをこの時はわからなかったけれど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます