第15話 一途な愛
「今日はもう寝ようか。明日はリツィを迎えに行かないといけないしな」
「そうだね」
そういって、ぼくたちは囲炉裏の火を消して、麻布に並んで横になったわけだが。
無の時間が幾ばくか過ぎたころ。ラサの声がそれをかき破った。
「……眠れない」
「なんでだ? ラサが眠れないなんて、そんなわけないだろ」
ぼくは軽い冗談を言う。
「ねえ……」
「なんだ?」
「セージ、どうしてそんなに近くで寝るの?」
「いや、毎日こうだろ」
なにを今更、といった感じだ。ぼくは既に全く気にしていないし、そもそも、これはラサが作った距離だ。
「そうだっけ……? でもやっぱりおかしくない? もうちょっと離れてよ」
いや、それは理不尽じゃないか、と思う。まさか、
「もしかして、あんなことがあって、急に恥ずかしくなったのか?」
そう言ってやると、焦ったような、怒ったような声音で。
「ち、ちがっ! そんなんじゃない! 変なこと言わないで。論理的に考えて、男女がこの距離で眠るのはおかしいって言ってるの!」
「そうかな」
「そうだよ!」
まあ、ぼくもそう思う。論理とか抜きに、常識的におかしい。
ぼくは一度立ち上がり、麻布をラサと距離を取るようにずらした。そして、ぼくは再び横になった。やれやれだ。
「これでいいか」
「うん……」
やけにしをらしいな。しかし、今日はいろんなことがあった。ありすぎて、脳が全く追いついていない。眠っている間に、追いついてもらうことにする。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
翌朝。
天候に関して一つ、説明しておく。この世界では週に一回雨が降る。それも猛烈な豪雨が。こうして記録をつけてきたので、正確なスパンが分かったのだが、それは本当に正確に週に一度であり、あからさますぎるこの周期が繰り返されているようだ。雨は、まるで水量が減り、枯れかけた川を元通り生き返らせるかのように、慈雨となって世界に降り注いでいるようだった。となれば、もはやこれは川ではなく、ただの水路か貯水池でしかないということになる。
雨の朝というのは、誰にとっても憂鬱なものなのではないか。ぼくとラサは、昨夜の熱を帯びた空気も、雨に冷やされたかのように、落ち着いた様子で朝食を食べた。わずかに気まずい空気が漂っているのを感じ取ったが、それはそんなに悪いものではないように感じた。
食後。ぼくたちは、リツィを迎えに行くことにする。そこで一悶着あった。とてもくだらないことである。ラサが雨に降られるのが嫌だから、ぼくに一人で迎えに行ってもらえないかと頼んだのが発端だ。そもそも、この世界に雨よけの道具が一切ないのがおかしいのだった。どうやら、この世界ん住民には雨に濡れることを避けるという発想がないようで、それは多分、雨というのが唯一の水源で、恵みであるからだと思う。ぼくたち現代人は、恵まれすぎたがために、もはや雨というもののありがたみをすっかり忘れ去ってしまっている。
「いや、ラサはこの世界の生まれなんだよね。だったら、雨に濡れるのなんか平気じゃないのか」
「むむむ。それは偏見だよ。確かに昔は平気だったけど、今は無理! それはね、君たち地球人がね、子供の頃は平気で虫に触れたのに、大人になって触れなくなるのと同じことなんだよ」
と、ラサはわけのわからない講釈を垂れる。いや、まあ少しは理解できるけど。
「仕方ないな。じゃあ、行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい!」
彼女は、昨夜手に入れたばかりの笑顔を早速使いこなしているのだった。
ぼくはずぶぬれになりながらジョイル家にたどり着く。ここまで濡れると、もはや爽快である。
「おはよう、セージ。いやー、良い感じに濡れてるな!」
「おはよう。っていうか、なんですかそれは」
すると、眠っていたリツィが目を覚ました。ぼくの存在を認めると、例の殺りく兵器がごとくの笑顔で、
「おはよー、セージお兄ちゃん」
「おにいちゃん!?」
ぼくは初めてのその響きにどぎまぎしてしまう。
「リツィのやつな、すっかりお前たちのことが気に入ったみたいでよ、昨夜も折角二人きりだってのに、ずっとお前とフィユリアの事ばっかり話すんだよ」
そういうジョイルは、全く寂しそうではなく、むしろリツィに友達が出来て嬉しいといった具合である。
「俺たちは別になんもしてやれてないんですけどね」
「いや、こいつにとっては一緒にいてもらえるだけで嬉しいんだよ」
彼は、娘の事なら何でも知っているという口ぶりで言う。そしてそれは、おそらく本当の事なんだろう。その証として、リツィはにっこり頷いている。
帰り際のこと、ぼくはジョイルに一つの要件を切り出した。
「あの、用があってゴラべイオンさんと話がしたいんですけど、俺でも会えますかね」
「ん? ゴラべイオンのおっさんに会いたいのか。それなら全然かまわないぞ。俺が明日にでも取り次いでやるよ。
ぼくはゴラべイオンさんを大層お偉い人だと思っていたので、王の傍付きであるジョイルが、おっさん呼びしたことに、びくついた。万が一誰かに聞かれたら、不敬で殺されるのではないかと思ったから。
「ああ、ありがとうございます。それにしても、おっさんはないでしょう」
「いや、おっさんはおっさんだろうよ。何もおかしかねえよ」
そう言って、乱暴に笑って見せる。この世界には敬いという概念がないのかもしれない。いや、きっとないのだ、と思い至る。この世界に暮らす人々は、みんなフラットであった。それはレシグ王も例外ではなかった。つまり皆が平等で、上下を区別する表現などないということなのだろう。
「んじゃあ、明日いつでもいいから王城に来てくれ」
「おう、わかった」
ぼくは、そうなると丁寧語口調もおかしいかもしれないと思った。現にジョイルと市場であった時、変な口調だと指摘されていた。彼らがどんな言葉を話していか、その辺も詳しく調べるべきかもしれない、と思ったのだった。
ラサとリツィ、そしてぼくは何もすることがなく、ただおしゃべりをしたり、雨漏りの水でリツィがきゃっきゃしているのを、微笑まし気に眺めるという半ば廃人じみた午後を送った。
そして夕方になり、ずいぶん外の様子が暗くなり始めた頃。もう一悶着あった。
それはラサの悲鳴まじりの一言で始まった。
「ああ! 今日の分の食材がない!」
「え? 本当か? 少しくらい何か残ってないのか」
「ううん。それが全くないの。どうしよう」
ラサが訴えるような視線を送ってくる。どうしよう、とか言っておきながら、その言葉の実は、もちろんあなたが買ってきてくれるよね、というものだった。いや、流石にそれは厚かましいのではないか。
「俺、これ以上濡れたくないんだけど?」
それにここで折れてしまうと、今後、ぼくは完全にぱしりとして扱われる気がした。ぼくにだって誇りがあるんだ。女の子の言いなりにばかり、なってはいられないのだ。
「そんなあ。困ったなあ、今晩はご飯抜きだね……」
そう言いながら、彼女はリツィに視線を送る。そして、
「ごめんね」
と、まるで心から残念で申し訳ないという意を表明するかのようにのたまう。嫌な予感がした。というか、一瞬にして予感は現実となった。リツィはひどく淋しそうな表情になって、
「わたしたち、きょうは何もたべられないの?」
とぼくに訴えかける視線をよこすのだった。ラサの策にまんまとはまってしまった。あまりにも狡猾で、罪深い罠だった。彼女の良心を強く疑う。
「わ、わかったよ!! ごめんよ、リツィ。俺が今から必死になって! びしょぬれになって! 買ってきてあげるからさ」
ぼくのその言葉はほとんど、ラサに向けられていた。なんか、ラサは一晩で変わってしまったな、とぼくは遠い気持ちで考えた。。それはまるで、結婚前はしをらしかった彼女が、結婚した途端、鬼嫁に豹変してしまうという世界の真理を見ているかのようだった。いや、まあ実際のところは知らんけど。
こんな雨の日の、しかも夕暮れ時にあっては市場と言えど、人の往来はひどく寂しいものだった。そんな折に、見知った顔を見つけたのだから、どこか救われた気がした。
ラーンとノウは相変わらず固く互いの手を結んでいた。雨に濡れることなど、全くお構いなしに二人は仲睦まし気に路地を歩いている。そこには二人だけの世界が広がっているかのようだった。多分、ぼくの入り込む余地などない。……って、どうしてぼくはそこに入り込もうとしているんだ。
ぼくは二人に声を掛けるか迷った。あの日の夜、二人の行為を見てしまったことをいまだに引きずっている。十八になったぼくは、言うに及ばず、女性と交際をしたことがないのだが、そういった生々しいものに耐性が無いわけではなかった。しかし、さすがに女性同士、しかも双子の姉妹の行為は刺激が強すぎた。
ぼくは変わっていこうと誓ったばかりだ。ここで逃げてはいけない気がした。それに、二人の秘密を知りたいという欲求もあった。勇気を出して、露店を覗いている姉妹に声を掛ける。
「ラーンさん、ノウさん、こんばんは」
「あら、こんばんは。セージさんでしたっけ」
向かって左側に長い白髪を下ろしている……そうだ、ラーンさん、彼女が穏やかな口調で挨拶を返してくれる。それに続いて、
「こんばんは」
ノウさんも似たような声音で言う。声だけ聞くと、どっちがどっちだか全く区別できない。それにしても二人の声は抑揚がなく、まるでぼくのことなど興味がない、と暗に言われているような気分になってしまう。
――ぼくは非道いやつだ、と思う。他ならぬこのぼくが、不愛想に人と接してきて、今まで何人も傷つけてしまったかもしれないというのに、他者にこうして同じようにそっけなく対応されただけで、不満を感じるのは傲慢すぎる。
ぼくは気を持ち直して話題を振ってみることにする。
「今日はどういった用で? 雨、降ってますよね」
こんなに雨が降っているのに、どうして敢えて濡れてまで市場に来たのかを問いたかったのだが、なかなか思ったように言葉を捻ることが出来なかった。言葉を操る能力というものは、使わないとレベルアップしないし、使っていない間に、どんどん錆付いていくみたいだ。
ラーンさんは、そんなぼくの言葉の意味をちゃんと理解してくれたみたいで、
「雨が降っているからですよ」
と、わずかに空を見上げながら言う。それにつられるようにして、ノウさんも空を見上げる。立ち込める白煙のごとく揺れる雲からは、勢いを全く変化させない幾条もの雫が草花を叩いている。この汚れたものが何もない世界にあっては、降り注ぐ雨は真水に近いのかもしれない。地球の雨は汚れ切っている。
「雨が降っているから……?」
「はい。わたし達二人が雨の日にこうして揃って濡れることが出来る日は、晴れている日より遥かに少ないのです」
「そうですね、
ノウさんが、ラーンさんを慈しむような視線を送りながら言う。
「雨の日が、貴重、ですか……」
二人のハイレベルな回答に半ば付いていけないような気分になりながらも、精一杯彼女たちの言葉を噛み砕く。
「ええ。いつわたし達が離れ離れになるかもわかりません。ひょっとすると、今日がわたしとノウが雨の日を歩くことができる最後の日かもしれません。だから、わたし達はたった一日たりとも、無駄にはしません」
「そんなこと言わないで、姉様。わたし達は死ぬまで一緒と誓ったじゃない……」
ノウは懇願するようにラーンを見据える。
「ごめんね、ノウ。そうよね、わたし達は何物にも引き裂かれない絆で結ばれている。心配しないで、これからもずっと一緒」
ラーンさんはノウさんに穏やかな視線を返す。ぼくの眼前は、神秘的というか、もはや二人の女神の神聖なる戯れの様相を呈していた。目に入れるのさえ
ラーンさんのその言葉を聞いたノウさんが、ぼくの度肝を抜かす行動に出た。彼女は、何の躊躇いもなくラーンさんをきつく抱きしめた。そして、ラーンさんの肩に自らの頬を委ねる。愛おし気にラーンさんは、彼女のびしょぬれの白い髪を優しく撫でる。大粒の水滴がラーンさんの手から零れ落ちる。
それから……。それから、二人はぼくの目を
ぼくはその光景をただ茫然を見つめるほかなかった。完全にぼくの理解を超えた、二人の女神の神域はひたすらに眩しかったけど、目を離せなかった。
「ほらノウ、もうやめなさい。セージさんもいるんですよ」
ラーンさんは無理やり、ノウさんを引き離す。ノウさんの顔は尚も恍惚に満ちていた。エロいな、とぼくは場違いなことを考えた。それは低俗な意味での「エロ」ではなく、エロティシズムの本来の意味合いでの性愛の極致である。それでわかっていただけるだろうか。
「セージさん。つまりね、こういうことなんです。これがわたしたちのすべてなの」
「そ、そうですか」
なんとなく勇気を振り絞って人に話しかけたら、その人のすべてを見せつけられる。そんなことってあるだろうか。
――これが全て、か……。どこかで聞いたような言葉だ。果たして、人ひとり――あるいは二人――のすべては、こんなに簡単に体現できるものなのだろうか。ぼくの疑問は深まるばかりだ。
しかし、ぼくはこの光景に触れたことで、この世界の真理に関する大きな手掛かりを得たのだった。それはラーンさんとノウさんの話に限ったことではない。ジョイルやリツィ、セレーネおばあさん。そして、ラサも例に漏れない。
この世界に住むあらゆる人に課せられた
翌日、ぼくはゴラべイオン氏と対峙していた。この世界の秘密を知るために。
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