第11話 ハッピーウェポン
偵察者の件に関しては、ラサがその日のうちにレシグ村長――じゃなかった、レシグ王に報告するそうだ。
「小さい頃の記憶だから曖昧だけど、偵察がこの国で目撃されると、その一か月後くらいにオス国の男たちが、人をさらいに来たはず」
ラサはさも、当然の出来事のように平然と言ってのける。ぼくの常識からしたら、アブノーマルの極致だけど……。
「それって、やばくないか。俺たちはこんなところにいて大丈夫なのか」
ぼくは不安の声を上げる。
「王国直属の武力組織の男衆がこの国をある程度は守ってくれるよ。あとは、自分たちの身は自分で守るしかない!」
「それ、あんまり大丈夫な気がしないけど……」
「ふふん。わたしの実力を舐めてもらっちゃ困るよ。多分、そこらへんの
なんだよ、ますらおってなどと考えながら、この少女の強さが本物なのか気になった。
「えっと、じゃあ、俺がいまラサに殴りかかっても問題ないってことか」
「問題ないけど、多分セージがただじゃすまないことになるよ」
あ、これ、絶対的自信にあふれた強者の言葉だ。ぼくの本能がそれを感じ取った。とはいえ、ぼくには二の手があった。絶対に行使することはないけど、脅してみる。
「でも、俺には、ストロングマンがある。さすがに遠距離攻撃はきついだろ」
「そんなの、セージの動きを観察して避ければ良いだけー。残念!……それに、セージは絶対にそんなことできないよ」
「まあ、それはそうだけど」
いやー、この娘には敵わないな。多分、身体能力においても、知能においてもぼくを遥かに凌駕している。ちょっとした会話の中で身をもって知らされたのだった。
その日の午後。時計などない世界において、午前午後などあってないようなものだけど、染み付いた時間感覚はそう簡単に落ちないものだ。とりあえず、なんとなく午後! ああ、時間に拘束されないって素晴らしいな。
じゃなくて。その日の午後。ぼくたちは別行動を取ることにした。ミニ会議の結果、本拠地はこのボロ小屋――不謹慎だけど、実際そうだから仕方ない――に決定した。
ぼくは、この小屋を掃除すること、買出しに行くこと、をおおせ付かった。ラサは偵察者の存在を、国王に報告へ。
とりあえず、砂埃をなんとかしないと。
一時間みっちりほうきで掃いた。わずかに汗が
その他、必要な箇所には軽く修繕を施して、掃除にはひと段落をつける。次は買出しに行かなければならない。以外にも重労働な掃除に、ぼくは空腹を感じていた。まあ、朝食が少なすぎたのもある。――というかこれじゃあぼく、完全に雑用係じゃないか! 将来尻に敷かれるのではないか、という一抹の不安がよぎった。
さて、少々補足説明が必要だろうと思う。世界が違うということは、あらゆるシステムが違うということだ。
例えば、経済のシステムだ。単純世界モナドといえど、通貨は存在する。通貨というものがいかに人類の社会にとって基本的なものであるかは、メソポタミア文明の例を見れば明らかだ。
モナド国の通貨は、レシグ王が毎年一定数国民に配布する、簡素な彫刻のあしらわれた木版である。何が彫られているかというと、――これが失笑もので、例のメスマークなのだ。単位はモナ。
晴れてぼくは大金持ちになったわけだが、悲しいかな、この国にぼくの物欲をそそるものなどないに等しい。これって、何気に相当辛い。
とはいえ、くいっぱぐれることがないだけでも有難い。やったぜ、これで、うまいものたらふく食べよう。――ああ!この世界、セミの幼虫と草しか無いんだった!しかも、蝉の幼虫はご馳走なのである。そんなに多く出回らない。これ、相当絶望的じゃないか。
……ともあれ、ぼくはメス国の中心部からわずかに外れたところに設けられた市場にやってきた。ここだけは、他のエリアとは違って、それなりに活気がある。市場と呼ぶにはあまりにお粗末で、貧相なものだけど、ここがメス国の台所だ。生活の基盤。
通りを当てもなく歩いていると、今朝食べた雑草、否、ヨモギや、メイプルシロップ、木材、値の張る幼虫、
ふと一つの露店に目を遣ると、見知った顔があった。この世界ではさほど目立たない、暗い深緑の短髪は、昨日以来のジョイルさんだ。とはいえ、ぼくは彼をガンスルーするつもりだった。それが当然だと思ったからだ。そういう時に向こうから声をかけられると、無茶苦茶驚いてしまうものだ。
「よお、セージじゃないか。奇遇だなあ」
「うぇ!? あ、ど、どうも。ジョイルさん」
思いっきりどもってしまう。それにして、ジョイルさん、やけに嬉しそうだ。ぼくに会えただけでそんなに喜ぶなんて、おかしい。――光栄だけど。
「よせよ、さんなんてさ。俺のことはジョイルって呼んでくれや。――セージもお菓子を買いに来たのか?」
「ん? お菓子?」
そんなものがこの世界にあるのか、まじか、うれしい、と思って、ジョイルさんが立っている、目の前の店に堆く積まれたそれを見て、ぼくは大いに困惑した。
――葉っぱだけど。
「なんですか、これ」
ぼくは素っ頓狂に尋ねる。
「いや、だからお菓子だよ。これだけが人生の楽しみさ」
そんなことをジョイルさんはにこにこしながら言うのだから意味不明だ。いや、まてよ、まさか。
「……これって、食べても気持ちよくなったりしませんよね」
「いや、それがするんだよ! もう最高だよ」
ああ、成程ね。ぼくは諦めとともに、スマートグラスを起動する。果たして、スクリーンに映し出されたのは、
『植物界、被子植物、バラ類、バラ目、麻科、麻目、大麻草』
――やっぱりドラッグじゃないか!これには流石に草(笑ってしまう)。
まあでもぼく、知ってるんだ。人体への悪影響はたばこよりも遥かに少ないって。酒とかたばこを公然と売っているのに、大麻を禁止している矛盾だって黙っていたけど、気づいていた。でも、それこそ、それを公然と主張したら消されることも知っている。
だからぼくは、すでに開き直ることに決めた。
「ああ、それはこの国ではお菓子って言うんですね。ヨス国では、それは葉っぱって言われていて、禁断の果実とも言われたりします。非常に多くの愛好家がいます」
だけど、ジョイルさんは首をひねって、
「きんだんのかじつ? ……どっちにしろ、これは最高のブツってことは同じなんだな」
そう言って、彼は、籠山盛りの葉っぱの代金、
――いや、やっす!!
もうこの国、嫌だ。理解はできるのに、ぼくの常識が全く追いついてこない。
そんな一幕も過去のこと。ぼくはなぜか、ジョイルさんの家に来ていた。嫌でも台所に積まれた、葉っぱの山が目に付く。
これまた一様にどこかで見たような家具が取り揃えられた、ワンフロアの小屋には、ぼくとジョイルさん、そして一人の幼女がいた。
その女の子は、見た目、小学生低学年と言った感じである。
「俺の娘なんだ。リツィって名前だ」
娘がいたとは驚きだ。ジョイルさんは見た感じ、相当若い。
「たしかに、髪色とかジョイルさ、ジョイルと同じだ」
いま気づいたけど、女性より男性の方が呼び捨てにくい。これはぼくが特異なのだと思うが、男友達がいないので、呼び捨てると「友達」というものを強く意識してしまうからだと思われる。
それはともかく、目の前にいる少女は、肩辺りで切りそろえられた髪がところどころ跳ねていて、その純真無垢な瞳は、ぼくを一点に見つめ、
ともあれ、何か言わないといけない。
「こんにちは、リツィ。俺はセージっていいます」
流石にちゃん付けはできなかった。これはコミュ障にしか理解できないことだと思うから、説明はしないでおく。
「早速本題に入るんだけどよ、セージに頼みがあるんだ」
「な、なんですか」
「こいつの面倒をたまにでも良いから見てほしいんだ」
「は? いや、どうしてですか」
「俺は知っての通り、王さまの側近だ。だから、今日みたいな休みの日は本当に少ないんだ。そのあいだリツィは常に一人なんだよ」
「学校には通わせないんですか」
ぼくがそう言うと、ジョイルさんはさっきにも見せた、何を言っているのかわからないといった様子で、
「がっこう? なんだそれは」
ぼくも流石にこの世界に学校が存在しないとは思わなかった。この世界の子供は一体なにをして時間を過ごすのだろう。甚だ疑問だ。
「あ、いや何でもないです。でも、俺、子供が苦手ですし、そんなに時間もないですよ」
時間がない、と言われて引き下がるのは、日本人だけらしい。
「いや、頼むよ。この通り!」
さっきからにこにこしていたジョイルさんは、真剣な面持ちになる。その横には相変わらず無垢な瞳が、ぼくを一点に見つめる。
――子供の無垢な瞳は、人類最強の兵器なのではないか。そう思った刹那、ぼくは折れていた。
「わかりました。でも、そんなにしょっちゅうは来れませんよ」
そういうと、ジョイルさんとリツィは揃って、満面の笑みを浮かべた。眩しすぎて、目を向けられない喜びの表情が二つ、そこにあった。特に、小さい方のそれはもはや殺りく兵器と化していた。人類が数度滅びてもおかしくない笑顔がぼくの眼前にあるのだから、ぼくは既に三百五十億回死んでいるのかもしれない、そんな訳の分からないことを考えるほかなかった。
この世界には、あんな一面もあるのだな、とぼくは夢想した。この世界に来て、はや一日半で、モナドが退屈であると決めつけるのは流石に早計だったのかもしれない。この世界をもっと多角的に観察していかなければならない、と思い直した。そこに偏見や固定観念は禁物だ。
あの後少し挨拶を交わして、ジョイル、リツィ父娘とは別れた。その後、買いそびれた、食料を調達して、国外れのボロ小屋に帰ったのは、すでに陽が落ちた頃合いだった。これには流石にラサもお怒りの様子だったが、草(断じて葉っぱではない)をたらふく食べさせたら、落ち着いてくれた。ぼくは早くも一日目にして、家事をすべて請け負うことになってしまった。だけど、これは元の世界でも同じことだったから苦痛ではない。父さんの帰りが遅い日が多く、ほとんどの家事をぼくが受け持っていたからだ。家事ができる男はモテるぞ、と父さんに囃し立てられていたのは既に遠い過去の思い出だ。――雑用係万歳!
これをここで特筆すべきものか悩ましいのだが、敢えて記しておこう。ぼくとラサは、図らずも同じ屋根の下で生活を共にすることになった。内心ぼくはどきどきしていた。それも尋常ではないレベルで。
けど、そんなどきどきはなんと、初日の夜には儚くも消え去っていた。ラサがなんの悶着もないまま、安らかな眠りへ付いてしまったその時に。
ぼくは大した希望など抱いていなかった。だけど! 少しは恥じらってくれるのではないかと、予感してしていたのだ。ぼくは曲がりなりにも男なんだから。
「は? まじできもいんだけど」
「きゃあ! セージの助べえ! 近づかないで!」
こう言われた方が、はるかに心は凪いでいただろう。いや、凪いでいる、と言うことは無いか。相当、ぼくの心は傷つくであろう。でも、ぼくはそういう風に心を傷つけられたかったのだ。
男としての無関心ほど、心が冷えわたることは無いのだと、痛感した。
いや、少なからず期待していたぼくが大層ばかなだけだったのだ。これはあくまでも仕事だ。仕事に私情を持ち込むぼくが愚かだっただけだ。
ぼくは昨夜目撃した、恐怖のラッキースケベで満足することにした。あれはむしろ思い出したくないタイプのものではあるが、この際仕方がない。
やばい、思い出したら、背筋がぞくぞくしてしまった。今晩も眠れなかったら、流石に睡眠不足でぶっ倒れる。そう自らに言い聞かせて、すぐ近くから聞こえる安らかな寝息を傍に、なんとか眠りについた。どうやら相当疲弊していたようだ。
それから一週間何事もなく、ぼくたちは任務にあたった。任務と言っても、ほとんど何もない世界だ。やるべきことなんか限られている。ぼくは、ステーションスクエア――長いので今後はステスクと呼ぼう――で調達した、メモ帳に、その日起きたことや、所感などを気分が任せるままに書き連ねていった。
特に注意して記録したのが、ここに住む人たちの心の姿だった。ぼくは、この世界に来た当初から、人々の心や言葉に違和感のようなものを感じていた。それに、ぼく自身に、人の心を知りたいという思いがあった。人の心とは複雑怪奇で、どれだけ研究してもし尽くせないほどの世界が広がっている。
結果として、ぼくのその見通しは間違っていた。
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