第9話 トゥルーフィーリング
両開きの厳つい門扉が、内側から重々しく開いた。二人の男がそれぞれの扉を支えている。どちらも若く逞しい青年のように見える。左側の男――深緑色の短髪が目立つ――が進み出て、
「やあ、ラーンとノウじゃないか。今日はどういった用件で?」
「こんにちは、ジョイルさん。こちらの二人が王さまに用があるみたいなの」
ラーンさんが応答する。どうやら、ラーンさんが先導する役割みたいだ。ノウさんは、そんな姉に付き従うような所作を見せている。こくりと頷いている。
「へえ、二人とも見ない顔だな。……いや、待てよ。そこのあんた、もしかしてフィユリアじゃないか?」
男はまじまじとラサを観察しながら、驚きとともに言う。それを聞いた、もう一人の男――がたいの良い長髪の男――が、
「なんだって?生きていたというのか」
「……うん、フィユリアだよ。国の人たちには心配をかけちゃったみたいだね」
ラサがうつむきがちにそう答えた。すると、ジョイルと呼ばれた男が、急に満面の笑みを浮かべて、
「はははは。本当によかったなあ。いやー、無事でよかったよ」
と本当にうれしくて仕方がないという風に言う。その笑い声はあまりにもこの場にそぐわないもののように聞こえた。
一瞬の静寂の後、彼は咳ばらいをして、
「すまない。……王に用があると言ったな。私に付いてきたまえ」
二人の男に従い門をくぐると、そこには大きな家屋があった。城と呼ぶのが相応しいのかもしれないが、ぼくの常識がこれを城と呼ぶことを許さない。ただ大きいだけの家である。これまた、その大きさが権威の象徴だと誇示しているかのような、ただでかいだけの家だ。造形的な意匠は皆無である。洋とも和ともかすらない、何の変哲もない様式だ。
前庭では複数人の男が槍を携えて、懸命に訓練を行っている。
扉を開けたら、そこには王さまがいた、ということは流石になかった。いくつかの部屋に分かれているようだ。原初的な生活感が漂う部屋をいくつか経由して、王室にたどり着いた。ジョイルさんが声高らかに、
「レシグ王、お客さんがお見えです。王に用があるとのことです」
となにやらやけにフランクなものいいをする。王さまなんだから最大級の敬語を使うべきなのではないか、と考えていたら部屋の中から、しゃがれた声が応えた。
「入りなさい」
その一言だけを聞くと、青年は何のためらいもなく戸を開いた。え、まだ心の準備ができてないんだけど……。
話に聞いた通り、王さまというより確かに村長だな、と思った。でもよく考えたら、それらは名前が異なるだけで、人々の長であることに変わりはないのだ。このメスが村ではなくて国であるというだけのこと。ぼくたちのイメージの「国」はあまりにも大きいが、それの明確な定義はかなり難しいだろう。国とはなんなんだろう。世界ってなんなんだろう。……おっといけない、王の前だった。ぼくは姿勢を正す。
「なんとそなた、フィユリアではないか。母親ゆずりのその真紅の髪を持つ者はそなたを除いて、他にはおらんからの」
王は白髪頭に立派な白いあごひげを蓄えた、険しい顔つきの老人だった。ぼくの第一印象は、哲学者みたいだな、というものだった。ソクラテスみたいな。
室内にはもう一人いた。四十がらみの男で、ぼくが経っている場所からは横顔しか見えないが、野性的なタイプのイケメンである。哲学者で例えると、タレスかな。伝わらないか。
彼はぼくたちにはお構いなしに、巨大な平机に覆いかぶさり、棒状の何かで熱心に文字を掘り入れているように見える。何をしているんだろう。
「お久しぶりです、王さま」
「おお、やはりそうじゃったか。オスに連れ去られて、もう帰ってくることはないと思っておった」
「いいえ、わたしはオスに連れ去られていませんし、オスに行ってもいません」
「それは一体どういうことじゃ。オスにもメスにもおらんだというのはおかしな話ではないか」
「そうですね。説明すると長くなるのですが、わたしは別の国にいました。そこで無事に生きていました」
ラサがそこまで行ったところで、先ほどまで夢中で何かを刻み込んでいた男が急に顔を上げて、
「それはありえない!!」
と大声をあげた。ぼくは盛大に驚いた。
「我々の住まう世界モナドには、ここメス国と、あちらのオス国しか存在しない。それ以外存在するはずがない!」
一体この男は何者なんだ。急にこんなことを言い出して。
「少し黙っておれ、ゴラベイオン。……それで、無事にその国で暮らしておった、そなたがなぜ今になって、メスに帰ってきたんじゃ」
この男はゴラべイオンというのか。厳つい名前だな。
ラサは本題に入るという合図として、はい、と落ち着いた声で言う。
「わたしは例の一件の後、訳あって無限地帯を彷徨いました。そして、力尽きて倒れたところを、その国の人に拾われて、わたしはその国に連れていかれました。もちろん、その人は悪い人ではありませんでした。わたしに何不自由のない生活を与えてくれましたし。そして、ある日、そのお世話になった方に、故郷を訪れて、無事を知らせなさいと命ぜられました。これがことの経緯です」
ラサは明朗な口調で滞りなく説明していった。どこか遠くをみて説明する彼女の表情からは、今まで見えなかった彼女の天才の一面が垣間見えた気がした。
ラサの語った内容には、偽りがあったがぼくはそれは仕方がないことだと思った。研究所のことを話せば、彼らを困惑させてしまう。これは彼らが知ってはいけないことなのだろう。自分たちの世界が、外の世界の人たちによってつくられた、と知ったらぼくだったら正気ではいられない。結局、人はどれだけ現実的になったとしても、世界の神秘を信じていたいのだ。心のどこかで、神が創造したものであって欲しいと願っているのではないか。
そんな思案に耽っていると、ゴラべイオン氏が再び声を上げた。
「まさか!ありえまい!私の父も!祖父も!無限地帯には何もないことを長年にわたって調べ上げたんだ。確かに、ないことを証明するのは困難かもしれないが、そんな国があってはいけないんだ!それは何かの間違いだ」
「はあ、すまんな。こやつがこうなると、もう手が付けられん。今日のところは引き取ってもらえるかの」
「え、ええ。わかりました」
「フィユリアよ、これからどうするつもりなんじゃ。すぐにその国に帰るのかね」
「いえ、わたしと彼は――セージといいます――メスにしばらく滞在するつもりです。セージはわたしを助けてくれた方のご子息です」
そう言って、彼女はぼくに目くばせをする。空気を読んで、ということね。オーケー。
「ど、どうも、初めまして、セージです。ヨス国の生まれの者です。フィユリアさんから思い出話に聞いていた、メス国を一度訪れたくて彼女に同行しています。しばらくここで滞在して、楽しい思い出でも作れればいいなと思ってます」
ぼくは脳内で必死に出鱈目話を構築して、しどろもどろになりながらも、辛うじて筋の通ったことを言えた気がする。汗が噴き出た。先ほどからの彼らのぼくに対する疑いの目線が痛かったのだった。
これでいいんだよなと思い、恐る恐る顔を上げると、王さまは納得するかのように頷いた。
「そうか、まあ、何もないところじゃが、ゆっくりしていくと良かろう」
この時、尚もゴラべイオン氏は、そんなはずはない、と何度もつぶやいていた。ぼくたちは、ひとまずその場を引き上げることにした。
ぼくたちは立派な門をくぐって王宮を出た。ジョイルさんが先導してくれている。ちなみに、彼とラーンとノウはぼくたちの謁見の最中は応接間で待ってくれていた。大して時間はかからなかったが。
ジョイルさんがぼくの方を見やると、声をかけてきた。
「いやー、あんた、セージっていったっけ?フィユリアの恩人の息子さんの。この世界に、メスとオス以外に国があるとはな」
「まあ、ここから凄く遠いですからね。つまらない国ですよ」
「故郷をそう悪く言うもんじゃないぜ」
「そ、そうですね。本当は良い国です」
「そうだよ、ヨスは良いところだよ。ね?」
と、ラサはうっすらにやにやしながらぼくを見つめる。ぼくの造語のヨスを強調しないでくれ。なんか恥ずかしい。ぼくは仕返しとして、
「そうだね、フィユリア。ヨスは良いところだ」
そう言ってやると、ラサはむっとした表情を浮かべ、ぼくから顔をそらした。あれ、やってしまったか?
ジョイルさんとは、門前で別れた。
「これからどうするの」
ラーンさんが問う。
「とりあえず、泊まる場所をなんとかしないとね……」
「あら、あなたたちが良ければうちで泊めてあげるわよ」
「本当?でも、さすがに四人は厳しくないかな……」
「確かにそうかもしれない」
ぼくは思いついたことがあったので、口を挟んでみた。
「ラ、フィユリアの家とかいいんじゃないか」
さっき、フィユリアと呼んでにらまれたが、今は致し方ない。どうやら彼女はこちらの世界ではそう呼ばれているらしいから。
「確かにそれはいい考えね。でも、八年間手付かずのはずだから、どちらにせよ今日のところは無理だと思うわ」
ラーンさんが応える。しかし、ラサはというとなんだか難しそうな顔をして、思いつめた様子だ。ぼくは心配になって声をかける。
「どうしたの」
「ううん、なんでもない。……でも、今はわたしの家はだめ。まだ、心の準備が出来てないから」
彼女の声は弱弱しかった。
ぼくはこの時すでに、ラサはこの世界に訳ありであることになんとなく気づいていた。今までのラサの様子を見てきて、それに気付かないわけがなかった。でも、敢えて追及することはなかった。それは思いやりからか?――いや、違う。ぼくにはそれができなかっただけだ。他人の心の奥深くに入り込む勇気がなかっただけだ。どう見ても、明らかにこの世界に曰くありげな彼女を見て見ぬふりをするほかなかった。この時のぼくは、あまりにも無力だった。だから、こんな時に限って、ぼくは空気を読んだ。
「そうなんだ。じゃあ、とりあえず今日のところはラーンさんの家に泊めてもらおう。今後のことはまた明日考えよう」
「そうだね……」
陽は傾き、息を飲むほどに空は緋色に染まっていた。どういう原理かは知らないけど、地球と同じように夜が迫っている。激動の一日は、終わりを迎えようとしている。ぼくたちは、ラーンとノウ家を目指して歩みを進めた。
恙なく一日は終わりを迎えるかに見えた。トイレは裏手にあった。家の近くに公衆浴場があったから風呂も問題なかった。夕食もうまかった。――虫だけど。
寝床の問題もなんとかなった。部屋の中央にあった机と椅子を退けて、予備の麻布を敷いて、ラサとぼくの寝場所も確保できた。しかし、ぼくが女性三人とひとつ屋根の下で眠れるはずがなかったのだ。ラサは疲れていたのかすぐに眠りについた。やすらかな寝息が聞こえる。
こういってはなんだが、少し拍子抜けした。まあ、それがぼくにとって一番ありがたいことだ。
問題はその後だった。ぼくはまんじりともせず、目をつむり、眠ったふりをし続けた。
ふと、ごそごそと物音がするのが聞こえた。ラーンさんとノウさんが眠っている、上がり框のように少し高くなった寝床から聞こえる。ぼくは、寝返りをうつ振りをして、薄目でそちらを覗った。窓が開いていたので、月光――それも満月の――が部屋の中を、思いのほか明るく照らしていた。
そして、目に映った光景に心臓が打った。
ラーンとノウが絡み合っていた。髪を解いていて、どちらがどちらかわからない。一方の少女が下で仰向けになっていて、上からもう一方の少女が覆いかぶさっている。二人は舌を絡めあいながら、お互いの体を愛撫し合っている。上の少女の麻製の質素な寝間着は、大きくはだけていて、なめらかな肌が月光に艶やかに照らされている。その瞳は恐ろしいほどに澄んでいて、潤んでいて、下の少女の瞳を一点に捉えていた。
ぼくは見てはいけないものを見てしまった気がして、すぐに目を固く瞑った。心臓の鼓動は激しさを増していく。目を瞑ると、今度は二人の吐息がはっきりと聞こえてきた。声は聞こえないが、かなり情熱的なものだった気がする。
ぼくの頭の中はぐらりと揺らいでいた。なにが起こっているんだ。ラーンとノウは双子だぞ。それも女の子同士だ。わけがわからない。
ぼくは、この光景に背筋が凍り、性的興奮などというものは一切感じなかった。あまりにも美して、美しすぎて、それがもはや狂気に見えたのだった。
ふたりの交わりが終わった後もぼくは眠れなかった。頭の中で、さまざまな思考が浮かんでは、沼の中に沈んでいった。
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