第8話 ディスタントメモリー
眼前に木造の平屋が見えてきた。非常に簡素な風貌である。
「ここがわたしの家です。もうすぐお昼だからうちでご馳走するわ」
「ありがとう、丁度お腹がすいていたのよ」
「え、さっき食べたばっかだよね」
「う、うるさい。わたしはお腹がすいてるの!」
と言って、ぼくのほうに近づいてきたラサが小声で付け加える。
「セージ、こういう時は提案に乗るのが礼儀でしょ?」
叱責する口調に、ぼくは若干たじろいでしまう。確かに先の発言は空気を読めていなかったな、と反省する。
考えすぎてろくな返事もできないか、反射的に思い浮かんだ返答をしてしまうか、ぼくにはその程度のコミュニケーション能力しかない。そして、経験上、それらは常に良くない方向へと会話を進行させてしまう。だから、ぼくは人と会話をするのが怖くなり、避けるようになった。いわゆる、コミュ障というやつだ。
コミュ障はぼくの人生を相当困難なものにした。だから、語りたいことは山ほどあるのだが、今それを語るのはそれこそコミュ障だ。とりあえず、今は忘れることにする。
「ああ、確かに結構歩いたから俺も結構腹減ったかも」
とりあえず同調する。とりあえず同調しておけばいいということはなんとなく知っている。
「ただいま、ノウ。お客さんよ」
ラーンさんは平坦な口調で屋内に声をかける。改めてその声を聞くと、とても澄んだ美しいと感じた。しかし、その抑揚のない口調がどこか不気味に響いて心がざわつく。
ラーンさんの呼びかけの数秒後、それとよく似た声の応答とともに、これまた驚くほど彼女とよく似た風貌の女性がふりかえる。
その姿はほとんどラーンさんに瓜二つで、双子なのだろう、と目星を付けた。その女性がぼくたちのほうへ近づいてきて、ラーンさんの隣に並んだ。そうなるともう、二人が双子だと確信できた。そして双子ってこんなに似ているんだな、と内心驚いた。
間違い探しをしてみよう。髪色はラーンさんと同じ雪のような白。長い髪を結んで、前に下ろしている。それも同じだ。しかし、ここで一つ違いを見つけた――向かって左に下ろしているのがラーンさんで、右に下ろしているのがノウと呼ばれた少女だ。残りは見たところほとんど変わらない。相変わらず、はかなげで美しい容貌である。ふと変なことを考えてしまう。こんなに美しい人が、同じ姿で二人も存在していてよいのだろうか、と。それは、美しい絵画はたった一枚存在してこそ真価を発揮するのであって、二枚も存在してはいけないという認識に似ていた。変な譬えだけど。
「おかえりなさい、
「うん、久しぶりだね、ノウ。元気にしてた?」
「ええ。……やっぱり、フィユリアなのね。本当に久しぶりね。てっきりオスに連れ去られちゃったと思ってたわ」
「ううん、ちょっと遠くへ旅に出てたの。――それでこっちが仲間のセージよ」
同じような質問を避けるためか、ラサは早々に話題を転換した。ぼくが自己紹介をする番だ。
「どうも、セージです。ラサの仕事仲間です。……おじゃまします」
もうこの世界ではセージで通そうと決めてあった。多分、日本人のフルネームはこの明らかに異世界風の名前を持つ人たちには異様に聞こえるはずだ。
「はじめまして、セージさん。わたしはノウです」
「ラーンとノウは双子なんだよ。――まあ、見たらわかるよね」
「うん」
「二人はわたしの幼馴染なんだ」
「へえ、仲が良かったの?」
ぼくがそう尋ねると、ラサは一瞬何かを思案するような表情になる。そして、どこか自信無さげに小さい声でうん、と頷いた。
二人の少女に気をとられて注意が向かなかったが、改めて家の中の様子を窺うと、その単調さに困惑してしまった。家というよりはむしろ小屋といった感じで、扉を開けば、すべての生活を覗けてしまう。中央には木製の机と椅子が四脚。向かってすぐ左には台所があり、その片隅にある、ざるの中に草花がこんもり盛られている。
部屋の右の方は、少し高くなっていて、
「さあ、ご飯を作りしょう、ノウ」
「そうですね、姉様。フィユリアが帰ってきたことだし、贅沢にあれを使いましょう」
「そうね、それがいいわ」
そう言って、よく似た二人は台所で調理を始める。ぼくたちは一先ず椅子に腰かけた。あれってなんだろう……。そんなことをのんきに考えていた。
数十分経っただろうか。立ちかわり入れ替わるので、もうどっちがラーンさんなのか、ノウさんなのかわからなくなった。そんな時。机の上に大きめの木皿が、どん、と置かれた。なんとも豪勢だなあ、と思った。一瞬だけ。
「って、なんじゃこれは!!」
思わず自分でも驚くほど大きい声が出た。それにはラサも驚いた様子を見せる。……のだが、皿の上のブツを見るなり表情が活き活きとし始めた。
「虫の幼虫の姿焼きです。楓の樹液をつけるとおいしいんですよ」
「月に一回のご馳走です。たんと召し上がってください」
ラーンとノウは並んで机の前に立って、ご馳走の説明をしてくれる。えっと、左がラーンさんで、右がノウさんだよね。
――いや、そうじゃなくて。虫ってどういうことですか。ただでさえまだ抵抗があるのに、こんなに山盛りにして、彩として楓の葉やら、なんかの葉っぱが添えられてあるけど、ヴィジュアルが悲惨なことになってるんだけど。
「虫って何の虫ですか?」
ぼくはとりあえず一番の疑問を解消することにした。
「虫は虫です」
第一の疑問は解消されなかった。
「わたしと姉様が作ったのですからおいしいですよ。さあ、召し上がれ」
「は、はい。いただきます」
ぼくは諦めた。まあ、虫がそれなりにいけることは既に知っている。
隣の椅子に座るラサを見ると、驚くことにと言うべきか、やはりと言うべきか、むしゃむしゃそれを食べていた。ああ、美少女なのに台無しだ、と思ってはいけないのだろうな。好き嫌いは人それぞれだ。
「……うま!なんだこれ、むっちゃうまいな」
最初のハードルが低かったのはあるが、想像をはるかに超えていた。カリカリに炒められた虫は、中はもちっとしていて仄かに森の香を感じる。それをメイプルシロップにひたすとこれがまた相性抜群で、癖になって手が止まらない。
食後。ラサは満足げにお腹をさすっている。ぼくも満足だ。新たな道が開けたような心地がする。
「ああ、おいしかった。やっぱり故郷の味っていいなあ」
「ラサが昆虫食にこだわる理由がわかったよ」
「うん。わたしにとってこれは大好物のご馳走だったんだ。また、ここで食べられるなんて思ってもみなかった。――セミの幼虫」
「え……」
今なんて?
「ねえ、フィユリア。この後はどうするつもりなの?」
「うーん。とりあえず、メスを一通り回って見て、国王に挨拶をしようと思ってるけど……」
「え、国王?」
そんな仰々しい身分の人に簡単に会えるのか。ぼくは戸惑いの声を漏らした。
「セージが考えているような大層なものじゃないよ。まあ、村長みたいなものかな」
「ソンチョウ?」
ノウさんが首をかしげる。やっと覚えた。向かって右に白い髪束を下ろしているのが妹のノウさん。
「ううん。こっちの話」
「そう」
ノウさんそっけなく言う。声のトーンもほとんど姉のラーンさんと同じだ。純度百パーセントの言葉と言うと聞こえが良いが、その言葉の意味以上の情報は皆無だ。まあ、ぼくも似たようなところがあるから人のことをとやかく言えないけど。
「それじゃあ、わたし達も散歩がてら一緒にでかけましょうか」
「はい、姉様」
午後の昼下がり。なんとなく気になっていたのだが、頭上に輝く太陽は地球のそれと同じように移動しているようだ。つまり、時間感覚は元の世界とほとんど同じと考えてよさそうだ。まだ確証は無いけれど。
どの程度この世界が単純に作られているか、は今後観察していくことにする。実際、ぼくはこの世界の異質さに興味が湧いていた。
雲一つない青空は快晴と言うべきなんだろうけど、その空から、快さは全く感じられない。あたり一面に茂る草花も、どこか人工臭くて自然の美しさをあまり感じられない。まあ、実際に人が作ったのだから当然か。
大地は平坦で、もういっそのこと平面といっても差し支えないだろう。理由は言わずもがな、だ。複雑な起伏は取っ払ったのだろう。ぼくとしても坂道がないのはありがたい。それに引き換え、一本の小道はぐねぐね曲がりくねっているのだから少し不思議だ。普通に考えたら、直線の道になりそうなものだが。そう考えながら、周囲を観察してみて、なんとなくその理由が分かった気がした。
メスには一本の川がジグザグに流れていて、それがこの国の不規則を生んでいるようだ。家屋は基本的に川沿いに不規則に点在していて、その家々を結ぶように道は連なり、川の上は木製の橋でまたいでいる。平坦な土地のために川には流れを感じることが出来ず、ともすれば水路のようにも見える。水源はどうなっているのだろうか、とぼくはなんとなく気になった。
ふと前方を見やると、先を歩むラーンとノウが手をつないでいた。一瞬、びっくりした。でもまあ、双子の姉妹だから別におかしくないのか、と納得する。仲睦まじくて微笑ましい光景だ。
そんな風にぼんやりしていたら、隣を歩いていたラサがぼくにだけ聞こえるくらいの声で、
「ねえ、あの二人のことどう思う?」
「見分けがつかないくらい似ていると思った」
「双子なんだから当たり前じゃない」
あきれ顔を向けられる。それなら、
「まあ、なんというか、そっけなさ過ぎると思う。ラサは二人に久々に会ったんだよね」
「そう、それ。確か七、八年ぶりよ。わたしも二人と話していて、ずっと引っかかってたの。こんなにそっけなかったかなって」
「昔はそんなことなかったんだ?」
「うーん、それがよく覚えてないんだ。元からこんな感じだった気もするし、もっと騒がしかった気もするんだよね」
「まあ、大人に近づくとだいたいそんなもんじゃない?」
「確かに!セージも相当そっけないよねー」
ラサはいたずらっぽく笑みを浮かべてぼくをからかう。だから、それはごめんって。
「こうやって歩いてるとさ、懐かしいって思う気持ちもあるんだけど、それ以上に、いままで訪れた世界と比べて、ここがいかに雑に作られたかを思い知らされて、なんか悲しくなっちゃうな」
そう言うラサの顔を窺うと、本当に悲しそうな表情をしていて、ぼくはどうにか励まそうと、相応しい言葉を探すのだが、それはキャパシティオーバーだった。
そうこうしている内に、他の家屋より大きい木造平屋が見えてきた。これが国王の住まう王宮とやらか。そこにファンタジー世界の宮殿の要素は一ミリもなかった。良くて、村一番の村長の邸宅だ。ずっしりと構えるやけに大きい門扉が異様に際立って見えた。それだけが国王の名の権威を示す唯一の虚勢のようでなんとも虚しい。
門の手前まで来て、どうするのだろうかと様子を見守っていると、手をつないだままのラーンさんとノウさんは一度顔を見合わせて、頷き、再び固く閉ざされた門扉に向き直った。そして、大きな声をきれいにはもらせた。高くて澄んだ、どこまでも届きそうな声だ。
「王さまー!フィユリアが帰ってきたよー!」
ぼくは無機質が響くのを肌で感じた。
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