第7話 シンプルワールド

「もう目を開けても大丈夫よ」

ラサの声が傍から聞こえる。ぼくは恐る恐る目を開けてみた。

眼前に広がっているのは圧倒的緑だった。あまりに画一的な林の中にぼくたちはいた。


 なんだか拍子抜けしてしまった。まあ、そんなもんですよね。ラノベとかのファンタジーな異世界をわずかながら期待していたが、そんなことはなかった。あまりにリアルで、退屈な木の集合体をみて興がなんとなく冷める。

 これまでが異質すぎた。未来の研究所が規格外すぎた。それゆえにぼくの初の異世界はあまりにも無感動だった。異世界とは言っても、マンメイドのお粗末品らしいが。ここは素直に現実を受け入れよう。


「思った以上にただの林だな。全部同じ木に見えるんだけど……」

色とりどりの植物が群生するファンタジー世界には程遠い緑と茶色のツートーン。

「そうよ、全部楓よ。紅葉の日は見ものだけど、それ以外は本当にただの林ね。――それにしても、なかなかの観察眼ね」

「いやまあ、葉っぱをみたらすぐにわかるよ」

「さっそく、スマートグラスが活躍したみたいね」

 そう、ぼくの視力はいまだかつてないほど良かった。良いというのを超えて、明らかに進化していた。ものの形や輪郭が今までより鮮明に視覚できる。


「そこの木を見ながら、右の弦にあるボタンを押してみて」

どれどれ……。ああ、これか。それを押し込むと、音もなく沈み込んだ。――すると、視界に文字が現れる。

『植物界、被子植物、バラ類、ムクロジ目、ムクロジ科、カエデ属、カエデ。落葉樹で、秋になると葉を黄色や赤色に染める。晩秋期に葉を落とす。一次世界のアジアや北アメリカなどに分布。備考、モナドでは、たった一日だけその葉を一斉に真紅に染める、モナドの赤が有名である』


「モナドの赤?」

「この世界の唯一の見どころよ」


「それはそうと、楓しかないのはどういうこと?」

「やっぱり変に思うよね。……この世界はおおかたのものが一種類しか存在しないの」

「変っていうか、単純に驚いたよ」

複雑性一いちの世界だからね」

ラサさんが真剣な眼差しをぼくに向けてくる。何か言った方が良いだろうか。

「まあ、でも種類が多かろうと少なかろうと俺はどっちでもいいと思うよ」

実際にどちらでもいいことだ。植物としての機能を果たしてくれるなら、種の多さは煩わしさしかないからむしろありがたい。半分気を使ったつもりで言ったのだが、ラサさんはおどけた調子で、

「とはいえ、実は植物は例外で、一種類じゃないんだよね。人間と植物は切っても切れない関係にあるからら。さすがにおじいさまも楓しかない世界なんていう鬼畜なことはしなかったみたい」

「最低限人が生活できるくらいの種はあるってことか」

「うん。人は水と植物さえあれば、十分まともな生活ができるもんだよ」

「へえ、俺たちの生活からしたら、想像もつかないけど」 

 ぼくたちの世界はもので溢れかえっていた。テレビや、パソコン、携帯、その他多数の家電製品や嗜好品、家具や調度品。しかし、これらは無くても一切生死にかかわらないものだ。むしろ、無い方が充実した生活を送れるかもしれないものがほとんどだ。

 ぼくはかつて父と二人で住んでいた家を思い浮かべた。ごくありふれたコンクリートのアパートの一室。そこにあった唯一の緑は、多分、たった一つの観葉植物だけだった。――なんとも皮肉だな。


「とりあえず、歩こう。歩きながら話すよ。一応あてはあるんだ」

そういって、くるりと方向転換する。ツーサイドアップの赤髪がはらりと揺れる。

 

 これが楓の匂いか、と歩きながら感じる。やはり、自然――人工だが――の空気は心地よい。


「この世界は一つしかないことの影響を測るために作られたの」

「ひとつしかないことの影響?」

「うん。一次世界――セージがいた世界のことよ――そこでは、あらゆるものが複雑な多様性を持っている。まずアダムおじいさんはその複雑性こそ、人類を衰退へと導いたと考えたわ。人種とかが分かりやすいけど、それが生み出す問題は小さくなかったはずよ」

「なるほど、その複雑な世界のアンチテーゼとして、作られたのがここ、モナドってわけか」

「そのとおり!セージ、なかなか難しい言葉を知ってるのね。アンチテーゼだって」

「いや、俺はそこまで馬鹿じゃないからな」

「え、そうだったの!?」

ラサさんは、さも初めて知ったという驚き顔を作って見せる。まあ、冗談だとわかるからスルー。


「ラサさん、どこに向かってるんですか」

「……セージ?どうしてあなたはわたしをさん付けで呼ぶわけ?せっかくずっと、セージって呼んであげてるのに」

「いや、だってラサさんは一応先輩だし、自称だけどすごい人みたいだから」

「ああ、もう!こうなったらさん付けは禁止!それと敬語もやめてね」

ラサさん――いや、ラサは怒りながらぼくに説教する。なんだかラサはよく怒るな。もしかして、ぼくのほうが人をイラつかせているのではないか……内心不安になった。


「それでラ、ラサ?今からどこにいくんだい?」

おかしな日本語を使ってしまった。ぼっと顔が熱くなる。ぼくは女の子を名前で呼び捨てて、タメ語で話したことなどないのである!堂々と言うことではないが。

 しかし、ラサはそんなことお構いなしの様子で、

「……知り合いを訪ねてみようと思うわ」

どこか、上の空でそう応えた。


 楓の林はそこまで広くなく、間もなく村のようなものが見え始めた。上空を見上げると、雲一つない快晴だ。あの太陽はぼくが地球から見ていたものと同じなのだろうか、ふと疑問に思ったが、考えるのを止めた。多分、答えは出ない。ということで、ラサに聞いてみようかと考えていると、その村の入り口を示す門に迫ったところで、急にラサが立ち止まる。

 何も言葉を発することなく数秒が経った。ふう、とラサが息を漏らす。

「さあ、行こう」

努めて明るくした様な口調で。

「そうだな」


「ここが例のメスの国?国というよりは村って感じだけど」

「うん、確かに国というには小さすぎるんだよね。……でもここの人たちにとって、モナドは唯一の世界で、メスは歴とした国という認識よ」

「うーん、なんか箱庭みたいな感じだな」

「それは言い得て妙かもね……」

 ラサは切なげにそう言う。

 

 ぼくたちは今、メス国の入り口から続くたった一本の小道を歩いている。ところどころに、簡素な造りの民家が見られるが、どこか退廃した空気が漂っている。

「なつかしいな……」

辺りを見回しながらそう呟いたのが聞こえた。意味を問うてみる。

「え?」

「ううん、なんでもない」

ラサは首を横に振った。


「えっと、知り合いって?ラサはここに来るのは初めてじゃないんだ」

 ぼくがそう尋ねると、どこか迷った様子を見せた後、うん、と頷いて、

「そうね、いつか言うことになるなら今言っておいた方がいいか。――わたしね、メスの生まれなの。ここがわたしの故郷よ」

「え、そうなの?」

 ぼくは予想だにしない言葉に一瞬、ラサの言葉の意味が理解できなかった。つまり、ラサは異世界人ということか。それも、研究のために作られたみながお粗末と評する、この世界の。


「もう少し驚いてよ!?それなりに勇気がいる暴露だったのよ。……前々から思ってたけど、セージって感情が希薄すぎるのよ」

「あれ、もしかして怒ってる?」

「怒ってるんじゃないよ。ちゃんと驚いたり、笑ったりしてくれないと、こっちも不安になるでしょ。ちゃんと意味が通じなかったのかなって。……でも、ごめんね。わたしも無意識のうちに語気が強くなっちゃうからお互い様だね」

 そう言われて、少し胸がずきずきした。ぼくは感情が表情にほとんどでない――出すことが出来ないのだ。だから、ぼくはいつも能面のように、何を考えているのかわからないように他人には映る。結果として、人から避けられる。そんな苦い思いがふつふつと蘇る。


「ごめん、気を付ける……。でも、とても驚いたよ」

なんかまた変な空気になってしまったな、と思った。どうやら、その理由の一端はぼくの方にもあるようだ。反省しないと。確かにぼくは円滑なコミュニケーションをとった試しがない気がする。

 そんなことを考えていたら、突然、女性の声が響いた。ラサの声ではない。


「フィユリア?もしかしてフィユリアなの!?」

ラサがその声がした方に素早く視線を移す。そして、その目がみるみる内に懐かしさに満ちていくような気がした。

「あなたは、ラーン?それともノウかしら?」

「やっぱり、フィユリアなのね。わたしはノウよ。……ああ、今までどこに行っていたの。みんな、すごく探したのよ」


 ……この時の違和感をぼくは鮮明に覚えている。ぼくは、ラサ――何らかの理由で、ここではフィユリアと呼ばれている――と、この女の子が久方ぶりの再会を果たしたのだな、と思った。だけど、こんなものなのか、とも思ったのだ。味気ないもんだな、と頭の片隅で思った。ぼくに似たような経験があれば比較できるのになあ。ああ、切ない。


「ごめんね、少し遠くにいたの」

「遠く?それって、オスのことかしら?」

「それは、違う。遠いところよ……」

「そうなんだ。でも、戻ってきて良かったわ。みんなにも知らせないと」

「そうだね。でも、その前に聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」

「なあに?」

「あれからもオスからは襲撃を受けているの?」

「ええ、何度も。でも男衆の方たちがなんとか防いでくれているわ」

「そう……。よかった」

 

 ぼくは二人の会話を黙って少し離れたところから聞いていた。ノウという少女に目をやる。見たことがないくらい白い髪。その雪のような異様な白は日光に照らされて、光り輝いている。腰ほどまであろう長さの髪は束ねられて、右肩を伝って豊満な胸を沿いながら下りていく。目はたれ目気味で、どこか虚ろな印象を受ける。化粧っ気の少ない滑らかな肌が遠目にも映える。ものすごくシンプルなデザインの黒のワンピースを着ている。そこから二本の純白の生足が覗く。これまた無地のサンダルが裸足を辛うじて守る。

 また、女性をじろじろ観察してしまった。しかし、ある程度距離があったためか、何も見とがめられている気配はない。よかった。

 

そのノウと呼ばれた少女が、無機質で抑揚のない声で、

「あなたはだあれ」

とぼくに問うた。少しどきりとする。その顔は無表情で、内心を窺い知れそうもない。

湯山世司ゆやませいじです。どうも」

「ユヤマセージ?変な名前ね。……わたしはノウ」

 なんとも歯に衣着せぬ物言いだな。しかし、ここの世界の人からすれば、かなり変わっているということは理解できるので別に構わない。


「……あなたはもしかして、フィユリアの旦那さんかしら?」

ノウさんがそう尋ねる。まあ、そう思っても仕方ない状況だ。ずっと行方が分からなかったラサが、男を連れ立って帰ってきたのだから。ぼくはラサの名誉のために否定しようと、いや、と口にしたとき、当のラサが、

「違うにきまってるじゃない!」

と怒り声高々に言うのだから堪ったもんじゃない。事実だけど、もうちょっとぼくを傷つけない言い方をしてくれてもいいじゃないか……。


「えっと、あの一件以来、わたしは遠くへ旅に出たの。そして、ここではない国にたどり着いたの。そこでお仕事を頂いて、彼はそこの仕事仲間だよ。メスにはその仕事のために帰ってきたということ」

ラサが優しい口調で、噛み砕いて説明する。とてもアバウトな説明で、ぼくだったら何回も疑問を挟みたくなるところだが、ノウさんは、へー、とかそうなんだ、とか言うだけで、納得している様子である。

 

 たしか、この世界、モナドにはメスとオスしか国がないと聞いた。ラサはさっきオス国へは行っていなかったと答えた。普通疑問に思うものだが、ノウさんは何も不思議には思っていない風だ。さっきから違和感しかない会話が続くのだった。まあ、単に疑問に思っても口に出さないタイプかもしれないし、先ほどからの態度を見るに、他人にあまり興味がないのかもしれない。


「立ち話もなんだから、ふたりとも私のおうちへいらっしゃい。ラーンもフィユリアに会いたがっているはずだから」

「そうだね。お言葉に甘えて」

 

ぼくたちは小道を歩き始める。ふと、辺りを見回すと、今更になってその殺風景さ、単調さに驚く。雲一つない快晴。まばらに点在する古民家。ぐねぐねと曲がる一本の小道。後方に広がる楓林。風は一吹きもしない。退廃的なその景色に閉塞感すら感じる。


ここは確かに異世界だ。しかし、ぼくの思い描くそれとはまったく異なる。人がおざなりに作ったがゆえのいびつさがそこかしこに滲み出ていた。

この世界で暮らす人たちは、何を思い、考え、そして何のために生きているのだろうか。ぼくはそのことが知りたくなった。



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