第5話 ボトムヘッド
先を歩くシエルさんに従って通路を黙々と進んでいく。かつかつという二人の歩行音だけまばらに響いている。
エレベーターホールには人がまばらにいる。二十三階は男子部屋しかないので当然ここにはシエルさんを除いて皆男性である。
ここは何度来ても、その目的に似合わない神聖さを感じる。光が無作為に反射する広大なこの空間は、エレベーターしかないのに、さながら大神殿のようだ。ひとつひとつのエレベーターがそれの柱のイメージに重なる。
いくつもある透明な円柱のうちの一つに近づきシエルさんがパネルをタッチすると、なめらかにカーブした両開きの扉が開く。それに乗り込むと、すぐにエレベーターが下降を開始した。一階まで高速で下降しているのに、あいかわらずほとんど揺れを感じない。ぼくは胸の高鳴りを感じる一方で、わずかに緊張もしていた。
「いよいよ初仕事ね。心境はどう?」
真剣な面持ちでそう尋ねてきた。
「突然のことで、まだ実感が湧かないですね」
「それもそうね。……でも変ね。普通は、事前に何らかの通達が届くはずなんだけど」
「何もありませんでしたよ。本当にさっきいきなり呼び出しを受けました」
まあ、毎日退屈していたから、さすがにそろそろ任務が来ないものかと思っていたので別に構わない。
「そういえば、ラサさんも一緒に呼ばれていましけど、どうしてかわかりますか」
「初任務のルーキーにはベテランがついてタッグを組むことになっているから、おそらくそういうことでしょうね」
なるほど、そういうことね。ラサさんについてふと思いを巡らす。素直とは言い難い、どこか屈折した女の子。ぼくにまっすぐに澄んだ眼差しを向けて、ストレートに嬉しいことを言ってくれと思った次の瞬間には、理不尽にキレられたあの一連の会話が否応なく思い出される。そんな年端も行かない女の子とタッグを組んでの初任務。この先なにが起こるのか全く予想できない。
そんなことを考えていたら、一階です、というアナウンスが頭上から聞こえた。
一階のエレベーターフロアは、他の階のそれよりもやけに薄暗かった。気温も若干低く感じられ、不気味な冷気を肌に感じる。ひとまず、先を行くシエルさんについていく。
そこはまさに巨大なラボの中枢といった有り様だった。
七メート四方くらいの自動開閉扉が左右におもむろに開く。ずしりとした重量感が見て取れる。そして、中に足を踏み入れて、度肝を抜かれたのだった。いや、もう何回目だ、これ。
まずなにより、広い。そして、人が多い。全体的に青い光があちこちで煌々と灯っている。それは規則正しく幾重にもカーブを描いて、はるか遠方まで伸びている。間近の一つの光に注目してそれの正体に気づいた。コンピューターのモニターだった。それはホログラムのように、四角形の光がモニターになっているものだった。
つまり、淡く光る青いそれの一つ一つがコンピューターということだ。そう認識すると、なんとなくこの広大な空間の構造がなんとなく把握できる。漏斗を思い浮かべるとわかるだろうか。いまぼくたちがいるのがもっとも半径が大きい最上部にある扉の傍。そこから何層ものコンピュータの円が、半径を小さくしながら、遥か下層へと繋がっている。最下層の様子はここからは全く見えない。
シエルさんが進行を開始した。まるでぼくが驚いて足を止めることを予想していたかのように、先に立ち止まっていた。
エスカレーターと階段が、いたるところに規則性をもって配置されている。何回も通路を経由しながら、あみだくじのように、下へ下へと降りて行く。
それぞれのモニターの前には、白衣を着た研究員風の人が椅子に座していたが、こちらには一切関心を向けることなく、モニターにくぎ付けだった。
「さあ、見えてきた。あそこが
所長なのに、よりにもよって、建物の一番下の下にいるなんて、相当変わっているな、と思った。
「どうやらラサは先に来ていたみたいね」
エスカレータを下りながら、視線がよく目立つ赤い髪を捉えた。その彼女の眼前には白衣を着た老人が椅子に座っている。彼が所長なのだろう。白髪頭で、少し離れたところからでも、この人が相当年をとった老人であることが見て取れる。
「アダム所長、おはようございます。それとラサも」
「あら、シエル、おはよう。セージも来たわね。……さあ、説明してちょうだい。アダムおじいさん!これはいったいどういうことな!?」
ぼくは初めて所長と対面した。遠目で見たよりもかなり年を召しているように見える。白髪に、よく伸びた白いあご髭がそれを際立たせている。その顔は、いかにも欧米風の彫りの深いはっきりした顔立ちで、幾条も刻まれた皺が、彼が長い年月を生きたことを証明していた。名前はアダムというらしい。
彼はおだやかだが、厳然とした凄みのある態度で嗄れ声を発した。
「そう急ぐこともなかろう、ラサよ。……君とははじめましてだな、セージユヤマと言ったか」
「は、はい。初めまして」
あふれ出る強者のオーラにたじろいでしまう。
「私はピーエムエルの所長のアダム・アインシュタインだ。アダム所長と呼んでくれてかまわん」
――アインシュタインってすごい名前だな。まあ、このラボの所長を務めているだけあって、その名前に全く負けていないようだ。おそらく天才の類の人物なのだろう。
「さあ、もういいでしょう!早く説明して。どうして事前に通達もなく、私とセージを招集したのか」
「少し黙っていなさい」
アダム所長がぴしゃりと言い放つ。
「すまんな、騒がしくて。この娘は確かに賢い人間なんだが、感情をうまくコントロールできないんだよ」
「そんなことない!勝手に決めつけないで」
ラサは反論するが、所長に睨みつけられて萎縮してしまう。
「セージよ。お前にひとつ尋ねる」
名前を呼ばれてびくりとする。そして、唾を飲み下す。
「どうしてあの素晴らしい世界を離れたいと願った」
思ってもみなかった質問だったが、ぼくはその質問に答えたいと思った。そして、承認してもらいたかった、誰かに。ぼくの選択が誤っていなかったと確信したかった。
「なにもかもが思い通りにいかないことが辛かったからだと思います。頑張っても正当に評価されず、いつも空回りばかりしてしまうのが嫌で仕方がありませんでした」
そして、半ば自暴自棄のままこのラボにやってきた。
「ほう?しかしお前は果たして、正当に評価されるまで本当に頑張ったのか、という疑問に正面から立ち向かったことがあるかね」
「え?それは、もちろん……したと思います」
「随分と自信がない様子だな。しかし、まあ、いい。別に説教がしたかったわけではない。お前に素質があるかどうかを試しただけだ」
ぼくの心はひどく揺さぶられて、ぐらついた。目をつぶってみないようにしていたところを鋭く突かれた。ぼくの人生はもしかして、もう少し頑張れたのではないか。ここ来てから何度かそう思うことがあった。それに加え、厳しいトレーニングの日々において、自分が想像以上に苦痛に耐えられることを知った。
ぼくは、本当の苦痛の一歩手前のところでいつも努力をやめていたのではないか。だから、筋肉の超回復のような進歩がない人生。
「もう!セージが困ってるじゃない。早く本題に入らないと、わたし帰るわよ」
よくまあ、あれほど諫められて、そう何度も真正面から喰ってかかれるなあ、と内心ひやひやしながらも、感謝する。ありがとう、思考の沼にはまるところだった。
アダム所長はそんなラサの言葉をスルーして、
「だがまあ、ラサと行動を共にすることで起こる化学変化は見ものだろうな」
と誰に言うでもなくそう呟く。
「よし、ラサが帰らぬうちに任務を通達するとしよう。――ラサとセイジ。お前たちには複雑性最低値の世界、モナドでの三か月間の調査を命ずる」
確固とした口調でそう告げた。その言葉を聞いて、ラサの顔色が急変した。
「どうして!?わけがわからないわ。あんなお遊びで作ったような世界に今更なんの調査をするというの?」
「お遊びか……。まあ、それは否定できないな」
「っ!!」
どうしてだか、ラサさんがひどく驚いている。
「とはいえ、お前たちにモナドの調査を命ずるのには理由がある。あそこは、確かに失敗だった。私自身が全く期待していなかったしな。しかしな、失敗だったからこそ、成功させるためには何が必要か考えなければならないと思いなおした」
ゆっくりと、確実に言葉を紡いでいく。
「それで、その調査にはラサ、お前の力が必要不可欠だ。だって、そうだろう。お前はラサである以前に、フィユリアなのだからな」
「っ!!そんな名前知らない!それに!わたしじゃなくてもほかに凄腕の
「誰に調査を命ずるか、それは私が決めることだ。それともなんだ。少なからぬ恩義があるはずの私の命令を拒否するというのか?」
厳かに、圧を加えるような言い方。
ぼくはただ黙って二人の舌戦を見守っていた。事情が複雑になってきた。フィユリアとは。ラサがアダム所長に恩ががあるとは。
「そんな言い方はずるいよ……」
「でも、分かった。命令に従うわ」
「ふむ、それでよい。それからセイジ。お前にとってはこれが初仕事だな。――ラサから学びたまえ。そして、少しでも腕を磨くのだ」
「任務はそれだけではない。お前たちには、ラボに帰還したその日のうちに、世界の
「修正案?」
ぼくは反射的にそう尋ねる。
「われわれの究極の目的、衰退しゆく人類を反映へと導くこと。そのためには、リアルワールドになんらかの修正を加える必要がある。その前段階として、失敗した単純世界モナドを成功へと導くための
「それで、その修正案にはひとつルールがあるの」
ラサさんがぼくの方を向く。
「ルール?」
「うん。その修正はたった一つだけ。それも何らかのパラメーターを一か百にするの。もちろん、その値を一から百にしたら問題が解決するという単純な話でもないわ。これまでの経験上ね」
「修正できるパラメーターの詳細は、後で携行品と一緒にそこの世話役が配布するから確認しておくように。お前たちはその中から単純世界モナドを成功へと導く一か百を見つければよいのだ」
アダム所長が、座っていた椅子のひじ掛けの側面に手を添えた。そして、ぴっ、ち電子音がかすかになったかと思った刹那、ぼくたちがいた、もっとも半径が小さい円の床面全体が、音を立てずに下降し始めた。――彼が座っている椅子を除いて。
「うわ!なんなんだこれは」
「はあ……。もう私たちは引き返せないわ」
「わたしはあなたたちを送り届けたら、帰るけどね」
「それにしても、アダムおじいさまったら。年をとるにつれて、身勝手になっていってるわ」
「そう悪く言わないの。彼は彼なりにラサのことを思ってくれているはずよ」
「そうは見えないけどね。どうして今更モナドなんかに……」
あたふたしているぼくをよそに、二人は平然とおしゃべりを始めている。何も説明してくれないんですね。
「さあ、湯山君。ここは調査員が携行品を用意したり、情報を共有したり、休息をとるために一時帰還したときに滞在することになる広場、ステーションスクエアよ」
そこは、いままでの未来的で無機質な建物の室内とはうってかわって、管理された芝生の公園のようなところだった。様々な草木や花が人工的に植えられている。作られた自然といった感じだが、久々に目にした緑の光景だった。
そこかしこに調査員と思しき人たちが闊歩している。なんというか、それぞれが独特な格好をしている。銃や刀剣でフル武装した青年や、華やかな衣装をまとった豊満な女性や、学者然とした初老や裸同然の危ない人までいる。まさにカオス。上にいた人たちは、白衣をまとった人たちにあふれ、あまりにも秩序だっていた。それとのコントラストが際立つ。
「ひとまず食事をとりましょう。それから任務の準備ね。出発はすぐだからもたもたしていられないわ」
ラサさんが走り出さんばかり、レストランのような建物に向かっていく。ぼくとシエルさんは、やれやれといった具合に後に従う。多分腹が減っていたのだろう。
木造のコテージの食堂。ナチュラルな建物はやはり落ち着く。人はやっぱり、鉄の箱に籠っていてはだめだな、と思う。
ラサが、ぼくの分まで虫料理を注文しようとするのを回避して、野菜オンリーシチューを選ぶ。
ラサは、巨大な
食事を終えて、携行品の調達にはいる。主に、武装や携帯食、資料、小道具など。ぼくは初任務だからすべて、一から見繕わなければならないが、ラサの場合はすでに専用の施設に預けてあるらしい。とはいえ、赴く世界によって必要になるものはそれぞれ異なってくるから、別途必要なものはしっかり調達するという。
そしてこのラボはどうやら一切、貨幣経済を導入していないようだ。それは、地球に暮らしていたぼくにとってはとても異質に見えた。
ここはぼくが当たり前だと思ってきた常識をとことんひっくり返してくるのだった。でもそれを望んでいたのは他ならぬぼく。なんとか頑張っていこう。
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