第3話 ファーストトーク

 食事を終えたぼくたち三人はリラックスしながらも会話を再開させる。


「昆虫料理も案外捨てたもんじゃないですね」

ぼくがそれとなく話題を提供する。そもそも昆虫を食べたのが初めてで、最初の一口は抵抗が強すぎてなかなか踏ん切りがつかなかったぐらいだ。それでも一度口に入れてみると、案外悪くないなという感じだった。とはいえ、肉や魚ほどうまくはないし、今後進んで食べたいとは思わないが。


「でしょでしょ! ほかの皆はなぜだか嫌がるんだけど、わたしは蛾の幼虫とかいなごとかが大好物なの」

ラサさんが上機嫌にいう。そう、昆虫料理フルコースを注文したのは彼女だ。こんな嗜好があるなんて人は見かけによらないな。

「わたしも慣れるのには結構時間がかかったわ。この子のおかげでかなり慣れたけど。まあ、昆虫はタンパク質が豊富で貴重な食糧源に変わりはないからね」

シエルさんがそう答える。

「あ、なんか聞いたことがあります。将来、食糧難になったとき人間は昆虫を食べることを強いられるみたいなことを」

「そうね、実際に二十三世紀の地球は増加し続ける人口に肉や魚の供給が追い付かなくなっているわ。そして、それも人類衰退の大きな要因のひとつね」


 そういえば、この研究所ラボの目的は人類を衰退から救い、永久的な繁栄を目指しているとか言っていたな。本当にそんなことができるのだろうか。ぼくはずっと気になっていたことを初めて切り出してみた。

「ところで、この研究所ラボでは、具体的に何をしているんですか。並みの規模ではないですよね」

「そうね。ここでのお食事会も湯山君に大方の説明オリエンテーションをしておくためだしね。そろそろ始めましょうか」

そういうと、シエルさんはラサさんの方をちらりと見る。すると、ラサさんは急にしゃきっとして、こほん、と。

「そ、そうだったわね。まず初めに、ここは永続的人類繁栄研究所という名前で、略してエイハツケンだとかピーエムエルとか、まあ、みんな面倒だからラボって呼んでるけどね」

「センスがないのよね、ここの所長は……」

なんだ、みんなダサいと思ってたのか。今まであえて黙っていたのだった。


「それでここからが肝心なところなのだけど……」

シエルさんは急に真面目な表情になる。

「まず、このラボは湯山君がいた世界とは異なる空間に独立して存在しているの。それにはわけがあるんだけど、それはまたあとね」

彼女は滔々と言葉を連ねていく。どうやらまだ疑問の言葉を差し込む余地はなさそうだ。まあ、これから何度も驚かされるだろうことはわかった。


「わたしたちの究極的な目的は、現在進行形で人類が急速に衰退している謎を解明して、永続的な繁栄のための手がかりをみつけることよ」


「そのためにラサたち研究者リサーチャーは、さまざまな状況を考慮してひとつひとつの問題を対処する為に、その目的に応じた


「例えば、そうね、人間が感情をほとんど持たない世界とか、生物が爆発的な多様性をみせる世界とか」


「こういう調査員インベスティゲーターが派遣されて、余すところなく調査が行われる。そして、彼らの調査報告が研究者リサーチャーにフィードバックされて、また別の世界が組み立てられる」

そこまでいうとやっとシエルさんは言葉を止めた。

「これがこのラボで行っていることの大まかな流れよ」

「まあ、言葉では簡単に言っているけど、実際はかなり危険だし、やっていることそのものは人類に対する冒涜そのものだっりするんだけどね」

さっきまで黙って話を聞いていたラサさんがそう言った。人類に対する冒涜とはなんだろうか。

 すでに疑問の量が飽和してしまって何が何だかわからないが、なんとか自分なりに整理していく。


「その際立った世界というのはどういう基準で作られていくんですか」

「アダム所長は手始めにを作り上げた。とりあえず、単細胞的な人間社会の研究から始めるのが、起点としてわかりやすいからかしらね」

「実際のところは半分お試し感覚、半分お遊び感覚だよ、きっと」

「それは所長だけが知るところね。でも確かに結果的にその世界は失敗だったわ」

「そんなのやる前からわかるようなことじゃない」

だんだんラサさんの語気が熱を帯び始めてきた。肩バンの反応と合わせて鑑みて、どうやらこの娘は怒りの沸点が低いのかもしれない。


「それで、その世界を複雑性一の世界と定義して、その後作られるすべての世界の基準になった。そしてわたしたちの世界創造のルールが完成した。それが一か百の世界ワールドワンオアハンドレッド

一か百の世界?なんだそれは。

「例えばさっき言った、人間がごく僅かな感情しか持たない世界。これは人間が感情を持つ度合い、つまりパラメーターが一の世界。逆に生物が爆発的に多様化した世界はそのパラメーターが百ということよ」

「な、なるほど」

ぜんぜん納得できないのだがとりあえず話を進めるために頷いておく。

 言っていることは理解できる。しかし、どうやって、の部分の疑問が全く解消されない。その疑問のうち最も気になった一つを質問してみる。


「その世界の住人はどうなってるんですか。ここの調査員が仮にその世界で暮らすとか?」

「それはノーね。研究のことなんか何も知らない純粋無垢な人たちが、あたかもそこが自らの故郷であると信じて暮らしているわ」

「その人たちがどこで調達されているのかという疑問は、調査員インベスティゲーターのあなた――セージ?は知らない方がいいわ」

「え、あ、そうなんだ?」

びっくりした。急に下の名前で呼んでくるなんて不意打ちだ。

 それもそうだが、ぼくは知らない方がいいとはどういうことだろう。そのことを聞くべきか否か考えあぐねていたら、シエルさんが説明を再開した。


「と、まあ、わたしたちの任務ミッションの説明はこれくらいでいいかしら。次に湯山君がまずこれからすることの説明と行きましょう」


「まず第一に基礎体力をつけることと筋力増強。派遣される世界によってまちまちだけど、調査員は多かれ少なかれ危険な状況に身をさらすことになるわ。だから、いまの湯山君のひょろひょろの体じゃ、てんでだめね」

「うんうん。それに、そのダサい眼鏡と相まって、セージ、むちゃくちゃ弱そうだし、頼りないよ。男はもっとドンと構えてないと」

グサッ!グサッ!と二本の鋭い刃物が心を穿つ。

 それはそうと、ぼくは眼鏡をかけているんだった。起きた時から――というか、今、一体何時なんだろう。体内時計も機能していない――既に装着されていたし、そもそも眼鏡をかけている人ならわかると思うが、眼鏡は既に体の一部だ。すっかり、自分が冴えないメガネ男子の端くれであることを失念していた。

「だから、まずあなたには専任のトレーナーについてもらってみっちり肉体を鍛えてもらうわ。それから、座学の講義を受けて、基礎的な学力と判断力も身に着けてもらう」

「次に会った時には頼れるナイスガイになってるのね。ああ、楽しみ」

ラサは無邪気に、朗朗とそうのたまう。

 ううむ。この娘、はいりさーちゃーだとか、しにあいんべすてぃげーたーとかいう大層な肩書を有している割には、なんだかおつむが弱そうなしゃべり方をするな。短気だし。よし、会話にも慣れてきたし、ちょっとこの娘に口撃を仕掛けてみよう。


「ラサさんってかなり若そうだし、それに……あんまり賢そうじゃないけど、本当にすごい人なの」

「んん!? もしかしてわたし馬鹿にされた?頭脳明晰運動神経抜群のすごいすごいわたしが、こんなもやし男に馬鹿にされたというの!?」


えええええ。なんか想定していた返しと全然違うんだけど。さっきは奥ゆかしくも謙遜していた自らのステータスすら韜晦とうかいする気はないらしい。ここまできて確信した。ぼくはこの娘とは仲良くなれない。扱いきれない。


「まあまあ落ち着きなさいよ。ラサはこのラボで最も賢いわ。紛れもなくね」

「そうよ!」

そういってラサさんは拳で自分の胸を軽くたたく。

「なんかすみません……」

調子に乗って、余計なことを言うとろくなことはないな。

 なんだか、どっと疲れた。理解の限界を超える話を長々と聞かされたのもそうだが、初対面の女性二人とこうやってランチしてままならない会話をして。

 

 クールダウンした心境でなんとなく周囲の様子を窺ってみた。終始、穏やかな喧騒がバックグラウンドミュージックのように意識の彼方でさざめいていた。あれ、と思った。何百人か、ひょっとすると千人はいるのではないかと見られる人々。彼らのほとんどの容貌は明らかに日本人のものではない。白い肌の人。黒い肌の人。茶色い肌の人。はたまた赤い肌の人。そんな雑多な人種で溢れかえるこのカフェテリアで、なぜかその喧騒の中からは日本語しかきこえない。

 なんなら目の前にいるラサという少女。彼女は絶対に日本人ではないだろう。かといって他のどの人種かと考えてみても、答えが見つからない。つくづく不思議な女の子だ。


「あの、ひとつ気になったんですが」

「なにかしら」

「どうしてみんな日本語で話しているんですか?」

ひょっとすると、と思った。二百年後は日本語が国際公用語になっているのではないか、と。――しかし。


「いや、わたしは今、ラボの公用語の英語を話しているよ。そうだね、その説明もまだだった」


「湯山君。あなたは目が覚めたらこのラボのベッドにいたわよね。実はね、これは無断で行われていることなんだけど……、このラボのプロジェクトにあなたが参加することが確定すると、強制的に催眠がかけられてラボに転移された。そして極微細なチップがあなたの脳に埋め込まれたわ」

「え、なんのために」

「表向きには、何万人といる調査員インベスティゲーターの管理が目的よ。すべての調査員にはアイディーが割り当てられて位置情報などが中枢司令室に送信される。もちろんこれはあなたたちの安全のためよ」


 ぼくはもう、ああそうなんだとしか思えなくなってきていた。だって、仕方がないだろう?ぼくは今日目が覚めたら、二百年後の世界にいた。そして、途方もなく巨大な未来の建築物に圧倒されて、突拍子もないプロジェクトの内容を聞かされて、果てには、脳内にチップと来た。とっくの前に、そのへんの感覚は麻痺しているし、耳に入ってきた情報をそのまま理解するくらいしか、ぼくには余裕がないのだ。

 で?そのアイディーが登録されたチップが、言語とどう関係があるというのだ。


「あなたは当然、日本人としてチップに登録されているわ。だから、あなたが聞こえるすべての言葉は自動的に日本語に翻訳されるのよ」

さすがにこれには驚いた。というか、ぼくらの世界ではそれなりに切実で身近な問題だからこそ、そのすさまじさに打たれた。夢のような技術じゃないか。

 二十一世において、機械による自動翻訳の進歩はスマートホンなどの端末を通して、身近に感じられたが、その一方で、まだまだ使い物にならないなという失望感も感じたものだ。二十一世紀の技術者の汗と涙の日々が、二百年後に結実していたんだなあ、と謎に感動してしまう。


「でも、その翻訳機能は完全無欠のものではないことは覚えておいてね。異なる言語をただ単に翻訳すれば万事オーケーという単純な話でもないのよ」

「ああ、なんとなくわかります。言葉と文化の繋がりがなんとかってきいたことがあります」

「ええ、そんなところよ」


「さて、今日のところはこれくらいでお開きにしましょうか。何か困ったことがあったら、部屋に備え付けの電話か、電子メールで呼びつけてください」

「わかりました。正直なところ、わからないことだらけなんですけど……」

「それは慣れの問題よ。じゃあ、今日からよろしくね、セージ」

そう言うと、ラサは椅子から立ち上がり、ぼくに手を伸ばしてきた。えっと?……ああ、握手か。数秒遅れてぼくも立ち上がって彼女の手を軽く握る。その手は、想像していたよりも、やわらかくて、ぬくもりがあって、少しどきりとした。

「えっと、よろしく。ラサさん」

ぼくが握手でこたえると、ラサさんはにこりとして頷いた。ここだけ見ると、とても素直な女の子だなと思う。が、その後、不敵に笑うと、

「明日から地獄の特訓の日々ね。せいぜい頑張りなさいね」

というのだから、この娘はわかりやすいんだか、わかりにくいんだか。


「それはそうと、湯山君。あなた、自力で自室まで帰られる?」

あ……、無理です。六桁ある部屋番号なんて覚えてないし、何も知らずにここまできたぼくは来た道を把握する余裕なんてなかった。

「帰れそうにないです」

「ふふ、冗談よ。ちゃんと案内するわ」

もう、二人してよってたかってぼくをいじめないでくれ。


「なんだか湯山君っていじめたくなっちゃうタイプなのよね」

 お願いだから、そんな属性をぼくに求めないで。そして、どうかそれをラボの人たちと共有しないでください。心からそう願った。

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