第2話 グレイトラボ
目が覚めた。快眠ののちに訪れるような心地よい目覚めだった。しかし、ぼくはぼんやりする視覚でもって辺りを見回してすっかり驚いた。
全く身に覚えのない無機質でメタリックな小部屋のベッドの上にぼくはいた。そのベッドは今まで体験したことがない種類のふかふかさだ。なんだこれは。人をダメにするやつだ。
なんとか意識を覚醒させて、周囲を注意深く観察してみる。まず大きなデスクに目が行く。それはシンプルなつくりをしているが何の素材でできているか皆目見当がつかない。椅子はそれと同じ素材でできているようで一式になっている。
そのほかに目立った家具はない。かなり質素だ。というか、歩いていてずっと気になていたが、なにやら床がすごい。とても気持ち良いのだ。まるで、床がマッサージをしてくれているかのような感覚。だめだ、くせになる。
クマのように歩き回ってしまった。ふと頭上を見上げて違和感を覚えた。電灯の類のものが見当たらないのだ。この部屋には一つの窓もなく普通なら、真っ暗なはずである。
はたと気づいた。そうだ、壁と天井の全面がほのかに光っているのだ。壁を触ってみると確かに温かさを感じる。
うーん、なるほど、すごい技術だ。ぼくはすっかり感心してしまった。ほえー。
――ってそうじゃないなだろ!?
ここは一体どこなんだ。そう思った瞬間、得体のしれない恐怖で全身が粟だった。
ぼくは反射的にドアを探したがそのようなものはない。
わたわたしながら部屋を歩いたり、這いずり回ったりしていた時、不意に背後から機械的な音が聞こえた。
ウィーン。
振り返ると、白衣を着た女性がったいた。ぼくはそっちには壁しかないと思っていたのでとても驚いた。変な声が漏れた。
「うぇ!?」
「あら、起きていたのですね。おはようございます」
「あ、えっと。おはよう、ございます」
「いきなりこんなところに連れてこられてわけがわからない、という様子ね。湯山君」
見知らぬ女性に名前を呼ばれてどきりとしながらも、突如現れた目の前の女性を軽く観察してみる。茶縁の眼鏡をかけていて、黒髪を後ろで団子にしてあって、幼げに見える。年齢は二十前後に見えるが、あいにくぼくは女性の見た目から年齢を判別する能力を持ち合わせていない。
「えっと、あなたは?」
「そうね、まず自己紹介が先だったわね。わたしは田中シエルよ。さっき……といっても二百年も時空を隔てたのだけど、あなたと電話で話したのがわたし」
なんとなく電話越しの声に似ているなと思っていたがやっぱりそうか。
ありきたりな苗字のわりに変わった名前だなあとか思いながら、え?と疑問にぶちあたる。そのあと田中さんが言ったことが脳に遅れて衝撃をもたらした。
「二百年後!?ってどういうことですか」
「ここはね、二二××年の世界よ。それと、ここはあなたのいた世界線でもない」
あまりの衝撃に理解が追い付かない。二百年後ってなんだ。世界線ってなんだ。
「まあ、こんなところで立ち話もあれだから、カフェテリアに案内するわ」
未来的な小部屋を出ると、そこにはまたなんとも未来的な通路が左右に延びていた。
扉の近くに謎の装置があるがおそらくロックなのだろう。未来的すぎてどういう構造なのかわからない。この時代はなにでもって認証するのだろうか。虹彩か?
どうやらさっきと同じような部屋が何室もあるみたいだ。
「この部屋は全部でどれくらいあるんですか」
「あなたのような
いやいや。話を聞けば聞くほど頭が混乱してくる。ぼくってリサーチャーなんだ。十万七千室ってなんだそれは。想像の限界を超えてきた。いや、多分とっくの前からキャパシティオーバーしている。深く考えない方がよさそうだ。
「えっと、この建物は巨大なビルかなんかなんですか」
「いいえ、ここは
「田中さんも研究者なんですか」
「わたしはたくさんいる
かなしいかな、ぼくは女性を名前で呼んだことがなかった。こんなことでどきどきしてしまう。試しに名前で呼んでみることにしてみる。
「えっと、シエルさん。そんなにたくさん部屋があるとなると、そのカフェまでかなり遠そうですね」
おもったより変な感じはしなかった。おそらく彼女の名前がシエルというかなり日本人離れした名前だからだろう。というかシエルさんは日本人なんだよな?
「そんなことはないわ。この
「え、でもこの通路は直線ですよね」
「そう見えるだけね。それだけこの
ぼくはその話を聞いて地球の地表と同じ原理か、と納得した。マクロでみると地球は球形だが、地表に立つと地球は平面にしか見えない。どれだけ大きいんだこの建物は。
「ほら、そこの角を曲がるとエレベーターホールに出られるわ。ここは二十三階だから、中心部は救護エリアになってる」
果たして、角を曲がってみてぼくは大いに驚いた。
エレベーターホールと聞いて、ホテルのそれを思い浮かべたがそんなものではなかった。透明な円柱の筒がはるか頭上から聳えている。それも一本ではなく何十本も。そのうちの一本に近づいてみると、足がすくむほどの高さから真下を見下ろすことが出来る。
その筒のそばに、腰の位置の高さほどに操作パネルがある装置が据えられている。ぼくは当然、この建物が何階まであるのか気になり、見てみると、六十だった。思ったよりは多くない。
「六十階建てなんですね」
「いいえ、それより上は別のエレベーターでしか上がれないの。言ってみれば、最高機密部といったところね」
シエルさんは冗談めかしく笑いながら言ってみせた。
そう言われると、昇ってみたくなるのが男のロマンであり性なのだが、ぼくには余計な行動をとる度胸などない。そうなんですね、と応える。
「カフェは四十階よ」
シエルさんがパネルをタッチしながらいった。恐る恐る中に入り込む。微かに揺れただけで浮遊感もなく、思いのほか怖くなかった。というか、目的階には数秒でついた。速すぎる。
まあ、予想通りと言えば予想通りなのだが、カフェテリアは滅茶苦茶大きかった。とはいえ、このカフェテリアを見たことで初めてこの施設の広大さを身をもって体感したのだった。
ぼくは呆気にとられて言葉が出なかった。その大きさもさることながら、人の多さに圧巻されたのだ。シエルさんと同じように白衣を身にまとっている人が多くみられるが、よく観察してみると、こじゃれたファッションに身を包んでいる若者や、屈強な体つきの壮年の男たちや、普通のおじいさんおばあさんといった、あらゆるタイプの人がいる。
「わー、すごいですね」
ぼくは小学生並みの感想しか言えなかった。
そんなぼくの言葉なんかお構いなしにシエルさんはまわりを見回している。そして、彼女はある一点を見定めて、あ、居た、と呟いた。えっと、だれだろう。
「友達とランチの約束をしてたの。いつも決まって隅っこのほうにいるから見つけやすくて助かるわ」
シエルさんの顔は少し嬉しそうにほころんでいる。というか、これからシエルさんと彼女の友人と一緒にランチなのか。緊張する。もうここまで来たら、運命に身を任せるしかないとぼくは大袈裟に構えたのだった。
人込みを避けながらぐんぐん進んでいくシエルさんに懸命に付いていく。うん、なんだか今になって、シエルさんのことがすごく頼もしく感じてきた。彼女なしでこんなところに放り出されたらぼくは人込みに殺されていただろう。ぼくに姉がいたらこんな感じだったのだろうか。
どうやら目のまえの円形テーブルに四つ備えられているうちのひとつに座っている人がシエルさんの友人みたいだ。その人は、ぼくたちに背中を向けて座っているのでまだ気づいていない。
なぜシエルさんが遠目から友人の後姿を容易に発見できたのか。その答えはとても簡単だ。この人の髪色が紅蓮の炎のような赤色をしていて、他の人々から異様なまでに浮いていたからだった。
髪が肩のあたりまでのびていることから女性とみた。それにしても、この人から漂っているオーラが並々ではない。まるでファンタジー世界の人物であるかのような。まあ、まだ後姿しか見えていないのだが。
シエルさんがぼくの方を軽く振り返って、しーっと人差し指を鼻にあてた。ぼくはわけがわからず棒立ちしていると、彼女は音を立てずにおそるおそる友人のもとへ近づいていった。
ああ、なるほど。後ろからびっくりさせる気だな。そんな単純な手だが、不意打ちだからそれなりにびっくりしてくれるんじゃないか、とほほえましく眺めていた。
のだが。シエルさんが両手で友人の両肩をばんっ!と叩いた途端、その人は、
「うわあっ‼」
と、大袈裟に声を上げて、椅子から飛び上がった。シエルさんは笑っている。大成功すぎる。それと、声と立ち上がった後姿のシルエットからこの人が女性であることは確定した。
彼女の身長はシエルさんより十センチくらい低く、声もそのうちに幼さを内包しているから、年齢はぼくと同じか少し下なのではないかとみた。ちなみに、シエルさんの身長は僕と同じくらい。ちなみにぼくの身長は百七十ないくらい。身長に関してはコンプレックスを抱いているのであまり触れたくない。
「あはは、驚きすぎ。ラサ」
「もう、ふざけないで!ばか!心臓止まるかと思ったじゃない。そんなことばっかしてたらシエルとはもう縁切るからね?」
どうやら彼女――ラサというらしい、わりとマジギレのご様子だ。
そんなことよりぼくの意識は彼女の容貌に一点集中していた。一言でいえば、美少女。しかし、彼女にはそんな言葉では形容しきれないほどの、神秘性とオーラに満ちている。当初の見立て通り、ファンタジー世界にいても不思議ではない華がある。
目鼻立ちは整っていて、はっきりしている。紅の艶やかな髪は前髪をぱっつんにしたボブヘアだ。
彼女も白衣を身に纏っているが、前ボタンをすべて開けていてラフな感じになっている。白衣の下には薄紅色のブラウスと黒のショートスカートが覗いている。胸元は瑠璃色のリボンタイで飾られていてアクセントになっている。スカートからは形のいいすらりとした脚が伸びていて、黒のタイツに包まれている。ブラックの未来的なデザインのブーツを履いていて、タイツの脚からつま先まで視線が流れるよう移っていく。
やばい。うっかりまじまじと観察してしまった。足元から視線を上へ、彼女の顔に向けるとばっちり目が合ってしまった。その目は若干怒気を含んでいる。
「えっと、あなたがシエルの言っていた新人さん?」
彼女は小首をかしげた。
「あ、はい。
「ユヤマセージ?」
彼女はなぜかかたことでオウム返しにした。外国人なのかな。
ぼくも彼女も言葉を発しなかったのを見かねて、シエルさんが横から助け舟を出してくれた。
「ほらラサ。あなたも自己紹介しなさい」
「え?そ、そうよね。こほん。わたしの名前はラサ。
聞きなれない単語によって硬直してしまう。間が持たない。どうしよう。
このラサという少女、ぼくの目を真っすぐ見据えてくるのでとても居心地が悪い。ぼくは女の子とまともに話をしたことがないのに、こんな美少女と言葉を交わすのは難易度マックスだ。
なんとか、彼女の視線を正面から受け止めて、たどたどしくも言葉を返す。
「はいりさーちゃー?ってラサさんってもしかしてすごい人?」
「すごいっていうほどのことではないわ……」
尻すぼみになりながらラサはこたえるが、その自信のなさはまるでこういう場面では謙遜するべきであると教え込まされているかのような弱弱しさがあった。すると、
「何言ってるの、ラサ。とってもすごいことじゃない、自信持ちなさい」
と言って、今度は優しくラサさんの肩に片手で叩いた。そっと。
「そ、そうだよね。わたしは凄いんだよね」
ラサさんは安心したように言う。そして、小声でえっへん、と付け加えた。
「とりあえず、座りましょうか」
シエルさんがそう言いながら近未来的な椅子に座ると、ぼくとラサさんもそれに倣った。ぼくとラサさんが向かい合わせになった。
ラサさんがメニューから適当に注文すると見たことがない料理が運ばれてきたが、これはある程度予想していたし、半ば楽しみでもあった。
ぼくは、料理を胃袋に流し込んでいくうちに、本当に違う時代に来てしまったんだな、夢なんかじゃないんだな、と強く実感するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます